小石川中等教育学校「合格」に必要なもの
日本語運用能力と数理処理能力
「兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の前にいなさい」というのは聖書にある言葉です。(『コリント人への手紙一』7:24)日本語として、何も難しいものはありません。でも、何を言っているのか、ちょっと意味がわからないという方はおられるでしょう。意味が分かるということは、それについて語る言葉について知っているというではありません。2005年以降に生まれた方たちは、2030年代以降、機械と共に労働することがあたりまえになるでしょう。AIによる統計的推論(数理的推論)や機械による反復作業のスピードに人間はかないません。精度においても、人間の方が不正確という場合が多いでしょう。しかし、現在の数学理論ではAIが文章の意味を理解することはできません。AIは数学で動いています。数学では記号列で意味を表現します。数学における意味表現の方法は、紀元前から、実に高度に発展してきました。ですが、私たちがいま読んでいるような文章の意味を数学的記号列に変化んする理論は今のところありません。ですから、AIが今の数学基礎理論によって運用される限り、AIが文章の意味を理解することはありえないのです。
意味を理解する
では、私たち人間はどうでしょう。人間はうっかり文章を読み違えます。係り受けを間違えたり、推論的瑕疵があることに気づかなかったりするのです。でも、人間は意味がわからなくても、コミュニケーションができてしまいます。だから、うっかり間違えるし、推論に問題があっても気にならないのです。
人間は森の生き物だった
人間が生きていく上で大切なことはいくつもありますが、そのうちのひとつは共感です。私たち人間は、まだ猿のような姿をして生きていたころから、共感という行為を生きるための基礎としてきました。それは種を残すため、群れを残すために必要であったからだと考えられています。ちょっと、説明してみますね。
生き延びるために必要な能力
人間はもともと森の動物でした。気候の変化によって森の中で充分に食べ物が得られなくなりました。森が小さくなってしまったのです。人間の先祖は森をはなれて草原を渡り歩きながら、いくつかの小さな森林から食べ物を採集するという方法を選び取りました。これで生きていくのに必要な量の食べ物を確保することが可能になりました。でも、みんなが食べ物を手に入れられるわけではありません。子供や老人などは、森から森へ、長い距離を草原の大型肉食獣から身を守りながら歩くことができないのです。これでは彼らが死んでしまいます。子供や老人など、弱い個体が生きていけないと、その群れや生物は滅びます。子孫が増えませんし、病気になった個体はほとんど死ぬしかなくなってしまうからです。この危機を人間は食べ物をわけるという仕方で乗り切りました。森の生き物は食べ物を手に入れると、その場で食べます。でも、人間は食べ物を手に入れた場所で食べ物を食べるわけではありません。持ち帰り、調理して食べるのです。それはそもそも食べ物をみなでわけあるためであったと考えられてます。そのようにして、人間の祖先は群れで共に生活するようになりました。そのためには、コミュニケーションの能力が高くなくてはいけません。そのために人間の祖先は(まだ猿のような姿をしていた時代から)、他の個体と共感することを大切にしてきました。目で表情を伝え、笑ったり、歌を歌ったりして感情を伝えます。目の動きから感情を読み取り、笑ったり歌ったりする一連の流れをはじめからおわりまで確認するためには、お互いにある程度の距離感で向き合う必要がありますよね。これが私たちのコミュニケーションの原型であったと考えられています。共感というのはコミュニケーションを必要とする行為であり、それは群れで共生して、種として生き延びるために人間が身につけた仕方であったと考えられます。
文章を理解する能力
いかがでしょうか。もちろん、上のような説明は私の創見ではありません。京都大学の山極壽一先生の教えにならっています。どうでしょう。上のような日本語による説明を読み、それを理解することができる能力があれば、まずは小石川中等教育学校の適性検査に取り組むことができるのではないでしょうか。
子供たちのこれからのために
これからの小学生・中学生たちはAIや機械と共に生きていきます。将来、彼らが勤める企業や店舗ではAIによる情報処理や機械による作業効率化が当たり前になっているでしょう。この文章を書いている私は20世紀生まれですが、そういった世代が当たり前のようにしていた仕事のうち、いくらかはそういったAIや機械が担うようになるでしょう。それは良いことだと思います。これまでも鉄道や自動車の普及で運送業者が廃業したり、機械が開発されて人間の仕事がそれに取って代わられたりする、ということはありました。でも、これまでは人間は他でも仕事を見つけることができたのです。2030年代、今度はどうでしょう。これまでと同じかもしれませんが、これまでとは違うかもしれません。
大人になっても学べるように
AIや機械にしている仕事を奪われるということが問題なのではありません。仕事がなくなったときに、新しい仕事を見つけることができないというのが問題なのです。私はそのように考えます。2017年、多くの人たちは「AIに仕事を取られないように」「AIに取って代わられない仕事につけるように」するにはどうすればよいか、そういった問いの答えを求めているようです。でも、少し考えればわかると思うんですよね。その問いについて答えるためには、AIについてなるべく正しく(つまり科学的に)理解しなければなりません。それは結構、たいへんなことだと思いますよ。
専門家ではない子供にできることは?
「じゃあ、そういうお前はAIについて科学的に理解できているのか」というお問い合わせがありそうです。はい。できていません。私は数学者でも科学者でもありません。だから、私の言っていることはそういった知見にはなりません。でも、色々なAIに関する説明を読み、その内容を理解・比較し、より科学的に妥当な理解を得ようとすることはできると思います。できていると思います。それが学ぶということのひとつのありかたです。学ぶというのは、何も情報を集めることだけすればいいのではありません。知っていることと知らないこととを区別したり、知っていると思っていることについても、本当にそうだと言えるのか、妥当性や真実性を疑うことを続けたり、知っていることや持っているものを組み合わせてまだ見たことがないものをつくりだしたり、そういうことをするのです。
外国語もプログラミングも良いけれど…
そういったことをするのに大切なのは母語運用能力と数理処理能力です。小石川中等教育学校をはじめ、多くの公立中高一貫校は日本語母語話者の入学と学習を中心的に想定しています。ですから、その適性検査は母語としての日本語の読み書きがどれくらいできるか、日本語に数式を加えて適切に思考できるかどうか、そういったことを調べています。小石川中等教育学校に入学したいという小学生、あるいは小石川中等教育学校に子供を入学させたいと考えるご家庭は増えているようです。人気なのですから、競争が激化することは仕方がありません。入学には相対的に高い日本語運用能力と数理処理能力が欠かせない、そういったことはやはり否めない様に思います。

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答案の添削、答案の問題点にあわせた授業が可能です
あらゆるタイプの適性試験に対応します
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適性検査対策の特徴
公立中高一貫校の適性検査問題、過去問題集などでごらんになったことはありますか。ごらんくださるとおわかりになる通り、適性検査対策を行う場合、お子様の特徴や学力に合わせた個別指導が効果的です。大手進学塾の模擬試験やクラス分けテストで同じようなスコアをマークするお子様でも、ひとりひとり言葉づかいの特徴や考え方のクセが違います。お子様は自分自身でそういった特徴やクセに気づくことができないかもしれません。幼いのですから、当然ですね。
答案の添削、学習のフィードバック
そういったときに大切なのは、お子様の学力上の課題や表現・思考上の特徴を指導する側が発見することです。そういった指導によって、学習者であるお子様への効果的なサポートが可能なのです。小石川中等教育学校など、多くの公立中高一貫校の適性検査対策では、その問題形式からして、そういった個別な指導が欠かせません。集団授業を主とする他塾でも、集団授業に添削等の個別サービスや、映像授業やデジタル教材といった補助教材を添えて、そういった問題形式の適性検査対策にあたっているでしょう。もちろん、そういった仕方は間違っていません。私の考えでは、そういった指導においても、受験者の中で相対的にかなり高い学力を備えているごく一部の受験生をのぞいて、ほとんどの受験生は個別な指導を必要とするでしょう。学習の効率を考えたときに、指導者がひとりひとりの生徒にどれくらいの手間をかけられるか、そういったことが重要だと考えます。
塾での指導内容が的中!
穎才学院では、塾内に「図書館」を設置し、生徒に本を積極的に貸し出しています。そこに置かれている本は児童文学やジュニア新書といったものから、純文学や古典まで様々で、私たちは日ごろから、生徒に本を読むことのおもしろさと大切さを伝えるように努めています。平成28年度小石川中等教育学校「適性検査1」は、本を読むことの大切さと面白さを子供たちに宛てて伝えようとする文章が本文として採用されました。
平成28年度小石川中等教育学校「適性検査1」は、文章1が菊田まりこ先生の「本は心の友だち」という文章によるもの、文章2は茂木健一郎先生の『ある時脳ははばたく』によるものです。菊田まりこ先生は『いつでも会える』や『君のためにできること』などの作品で知られる絵本作家、茂木健一郎先生はテレビなどメディアでの活躍が有名な脳科学者です。菊田先生の『君のためにできること』は、15年くらい前に書店で立ち読みして、号泣したことがあります。もちろん買って帰りました(笑)
カーリルで開く
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平成28年度小石川中等教育学校「適性検査1」解答速報
文章1 菊田まりこ「本は心の友だち」による
文章2 茂木健一郎「ある時脳ははばたく」による
(解答例)
問題1
前
勝手に想像をふくらましてしまうような読書のしかた。(25字)
後
文字をちゅう実に追って、本の世界に身を委ねて楽しむような読書のしかた。(35字)
問題2 たくさん本を読み、先人の知識を得て、広い視野で世界を見ることができるということ。(40字)
問題3
文章1はお話や絵本もふくめて文学に接して豊かな想像力を育むことの大切さを、文章2は本に夢中になることの楽しさと本を読んでものを考える土台となる力を培うことの大切さを子供に伝えようとしている。
読書が与えてくれるもの。私にとってそれはいやしだ。力と言ってもいい。辛いことがあったとき、悲しくて仕方がないとき、私は本を読む。『山賊のむすめローニャ』に出てくるローニャたちの生き方や『モモ』でくり広げられるモモたちの冒険は傷ついた私の心と身体をいやし、力を与えてくれた。ある時、父が夜中に本を読んでいる私を見つけてどうしたのかとたずねるものだから事情を話したら、私と同じ様に辛い時に本を読む人は大人の中にもいるのだと教えてくれた。その時に父に渡された内田樹という人の本には、確かに「辛いときに本を読む」と書いてあった。
これからも、私は辛いときや悲しいときに本を読むだろう。最近、江國香織さんの本を読んだ。その本はとても素敵な本で、きっとこれからの私をいやしてくれる気がしている。
平成25年度小石川中等教育学校「適性検査1」解答速報
文章1 柳澤桂子「本を書く」
文章2 福岡伸一「鈴木少年の大発見」
(解答例)
問題1(1)文章の全体像をつかむために、その元となるものを心の中で大切に育み続けること。
問題1(2)準備された心
問題2
与謝野晶子が文学の歴史に足跡を残したように、自分自身も、フタバスズキリュウの化石の発見に関われたことで、日本の古生物学の歴史に足跡を残せたようだと改めて実感する気持ち。
問題3
私は文学が好きなので、作家になりたいと思っている。本を読んでいると、とてもわくわくして楽しいし、本には日本の物も西洋の物も、古い物も新しい物もあり、どれも私にたくさんの物語の楽しさを伝えてくれる。
私は作家になるために、私の心の中にある気がするもやもやした感覚を言葉にするのにきちんと時間をかけたい。確かに、現代社会では仕事の速さや効率が重視されることもある。しかし、私は心のなかにある文学の種のようなもやもやをきちんと時間をかけて形にしたい。文章1で言う「宝」のようなものが「固まる」時が私にも来るはずだ。また、文章2の与謝野晶子さんの和歌で言うように、文学の「殿堂」に、私も「黄金の釘」を一つでいいから打ち付けてみたい。
そうすれば、『ゲド戦記』のル=グウィン先生や『魔女の宅急便』の角野栄子先生のように素敵な物語を読者に贈り届けることができるかもしれない。素敵な物語たちが私に大切な力を与えてくれたように、私の物語が読者に力を届けられるなら、私も少しは文学の殿堂に足跡を残したころになるはずだ。
平成25年度「適性検査1」のテーマは、「形を成す前のもやもやした状態」でした。
歌手の松任谷由実さんの名曲に『やさしさに包まれたなら』があります。宮崎アニメの『魔女の宅急便』の主題歌としても有名ですね。今のお子様も一度は聴いたことがある曲でしょう。この曲は、さきにメロディーが完成していたそうです。松任谷由実(荒井由実)さんは歌詞をずっと考えていて、あるとき「目にうつる 全てのものはメッセージ」という、あの歌詞がおりてきたそうです(NHK『松任谷由実 デビュー40周年 はてない夢の旅』2012年による)。
平成25年度小石川中等教育学校「適性検査1」の文章1で出題された柳澤桂子さんの「本を書く」は、これと同じような感覚を述べた文章だと思います。文章を書くときにその全体像がつかめるまでの「もやもやとしている」状態について、わかりやすい言葉で説明されています。
私たちは言葉を用いて生活すると言われていますが、その言葉で言いたいことが上手く言えなかったり、思いもかけず上手く言えたりすることがありますよね。どうして、そんなことが起きるのでしょう。
「肩がこる」のは、日本人だけ!?
「肩がこる」という表現がありますね。実際に私たち日本語話者は、デスクワークや家事で身体に疲労がたまると自分の手を肩にあてて揉みほぐすようにしたり、肩甲骨のあたりから肩をぐるぐるまわして血のめぐりをよくしようとしたりします。しかし、このように「肩がこる」のは私たち日本語話者だけである、というおもしろい研究がありあます。『病いの視座―メディカル・ヒューマニティーズに向けて』という本にのっている小林昌広さんの論文では、肩がこるという現象は日本語を使う人の身体にしか生じないということが論じられています。例えば、英語には日本語の「肩」にあたる英語も「こる」にあたる英語もあるのですが、日本人が「肩がこる」と表現するのとほぼ同じ痛みを「背中が痛む」(I have a pain on the back.)と表現します。このように、私たち日本語話者は、「肩がこる」という言葉を発するので、肩のあたりの筋肉などがこりかたまっているように感じるのです。身体の特定の部位に痛みがあって、言葉を発するのではありません。言葉を発した結果、身体の特定の部位に痛みがあるように感じるのですね。
「言いたいこと」は「言葉」のあとからついてくるもの。
20世紀の初頭にソシュールという言語学者が、このような言葉と現象の関係を「言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ」と説明しました(『一般言語学講義』)。100年ほど前のスイスのある大学でのおはなしです。ソシュールは言語で表現される以前の状態を「星雲」のうような輪郭のない状態に例えています。私たちは夜空を見上げます。そこには星が瞬いていて星座を形作っているはずなのですが、「これがオリオン座だ」と名前をつけるまでは何がそこにあるのか全くわかりません。
私たちは、言葉で気持ちや考えを表現していると考えがちです。気持ちや考えが先にあって、それにいかに上手い言葉をあてるか、ということが問題とされることがありますね。しかし、ソシュールらによれば、それは順番が逆なのです。言葉になってはじめて、意味をなすのです。日常生活で、言葉にしてみたら思いもしないことを自分が言ってしまったという経験をすることがありますね。これは「言葉にすることで意味が生じる」、「私たちは気持ちや考えを言葉で表現しているのではない」ということの一例でしょう。ここでは、「どうして私の思っていることは上手く言葉で伝えられないのだろう」と悩むよりも、「私の言っていることは他の人にどう聞こえたのだろう」と考える方が適当であるということになります。
日本の学校教育などでは、「思っていることを上手く言葉にする」訓練を行おうとしますね。ですから、気持ちや考えが先にあって言葉が後にあると、私たちは思いがちなのです。だとしたら、良い子の作文は良い作文で、悪い子の作文は悪い作文であるということになるでしょう。でも、そうではないことは私たちのよく知っているところですね。心が清らかでも腕の悪いピアニストもいれば、嫌な奴だけどおいしいラーメンを作る人もいるのです。作家の石田衣良は「東口ラーメンライン」(文藝春秋社『池袋ウエストゲートパーク(4)』所収)という話でこのことを上手く説明しています。
小石川中等の受験には、言語以前の「星雲」のような状態を説明した文章がよくでる。
ソシュールの言う「星雲」のような状態を、柳澤桂子さんは「ふわふわとした霧のようなもの」と名付け、「宝」とも呼びました。平成25年度適性試験1の〔問題1〕は、「私の宝もそのようにして固まる」という箇所に傍線をほどこして、「このように、ものごとが実を結ぶためには、何が欠かせないでしょうか」と問うものでした。これは、平成24年度適性試験1の〔問題1〕と同じように、言葉以前の状態を説明させる問題です。東京都から公表されている解答例は「暗闇の中を、手探りではいまわっているようなものであった」というものです。このような表現をお子様が理解するためには、ソシュール的な言語理解に基づいた言語経験が必要です。もっとわかりやすく申し上げますと、自分の身体に響く文章を読み、書き写し、暗唱するような言語経験が必要であるということです。
豊かな言語経験を身に付けるには、どうすればいいのだろう。
20世紀の偉大な賢人、レヴィ=ストロースによれば人間のコミュニケーション(交換)には3つのレベルがあります。それはすなわち、「人間の交換」(親族形成)、「記号の交換」(言語活動)、「財貨・サービスの交換」(経済活動)です。ユダヤの賢人、レヴィナス老師によればこれにさらにもう1つのコミュニケーション・レベルを加えることができます。それは、「死者との交換」(葬礼)です。
葬礼というのは、「正しい礼を尽くせば死者は鎮魂されるが、誤った礼を行うと死者は鎮魂されず災いを為す」という信憑のことです。いわゆる「タタリ」の理論ですね。レヴィナス老師によれば、この信憑を持たない民族・社会は存在しません。このように、私たち人間は、「死者」すなわち「存在しないもの」とコミュニケーションする能力を大切にしてきました。葬儀において、死者の親族は弔問客の言葉を聴いて、「故人もきっと喜んでおります」と言ったり「おじいちゃんもよろこんでいるわ」と言ったりすることがありますね。これは、「故人も」、「親族も」喜んでいるわけですから、死者とこの世に生きる親族との感覚の共有です。もちろん、私たちは生きているものとも感覚を共有することができます。チーム・スポーツでは、チームメートとプレーの感覚を共有することが大切であるとされますし、器楽演奏ではパートナーとなる演奏者との感覚の共有が大切です。この様な感覚を内田樹先生は、「共‐身体」感覚と名付けました。そして、古伝のすべての「人間的教養」はすべて「共‐身体形成能力」を育むことを目的としてきたと説明されます。
「六芸」‐礼・楽・射・御・書・数 の重要性
古来、儒学では「六芸」とよんで礼・楽・射・御・書・数を教養として大切にしてきました。「礼」とは儒教においては「葬礼」のことで、「存在しない」他者とのコミュニケーションのシステムです。「楽」は音楽のことで、「もう聞こえなくなった音が聞こえ」たり「まだ聞こえない音が聞こえ」たりする能力を育みます。現代でいう「絶対音感」などが、これに近い能力ですね。「射」は弓道で「御」は馬術のことです。いわゆる「弓馬の道」すなわち「武術」のことですね。武術においては、弓や馬を異物とするのではなく、それと身体を一体化させて共に動作することが大切です。「柔道」の「柔能く剛を制す」の極意や、「合気道」の極意もこれと通ずるものだと言われます。「書」・「数」は先述した3つのコミュニケーションの中の「記号の交換」のための訓練です。いわゆる「読み書きそろばん」にあたります。
儒学の祖である孔子が、人間的教養として重視したのはこれらの「自分ではないもの(他者)と共‐身体感覚を形成する能力」でした。「六芸」のうち、現在の学校教育のなかで教えられているのは、楽と書と数だけです。それも書や数においては、論理的思考力や100マス計算法といった思考形式・訓練様式を教えるものが、はばをきかせています。その前に、共‐身体形成能力を大切に育むことを、ご家族・教職員のみなさまにはお願いいたします。
小石川中等教育学校「適性検査」受検に役立つ本
カーリルで開く
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板橋から「きちんと学べる子供たち」を育てます。
1期生(2010年卒)の第一志望中学校合格から、穎才学院の中学受験プロジェクトが始まりました。 大学受験・高校受験に関して定評のある本校の学習・指導メソッドを中学受験生にも伝えます。2013年度生で4期生を迎えた本プロジェクトは、有名中学受験塾で中学受験を経験した教務主任を中心に、気鋭の東大生講師が担当しています。
教務主任略歴
大阪市生まれ。4年生から「浜学園」に通塾。入塾時は下から4番目のクラス、最初のクラス分けテストで最上位クラスに編入され、5年生からは西宮本部教室の最上位クラス(現在のV0・V1クラス)に所属。5年生の夏季から「公開学力テスト」では、上位者掲示の常連となる。6年生進級時に「希学園」からDMで入塾の勧誘を受けるが、家族や先生・仲間と相談した上で浜学園に残留。当時、新進気鋭の講師たちと一緒に、最難関中学受験コースを完走。洛南高等学校附属中学校に入学。中学・高校の担任の指導方針を守り、中高6年間、塾・予備校には入塾せず、学校で個性豊かな仲間たちと勉学・部活動に励む青春時代を過ごす。高校2年生からの「古典」担当教諭に影響されて、古文・漢文の予習復習の面白さに気付く。その後は、古典が模擬試験での得点源となり、入学試験でも大学入試センター試験(99年度)の古文・漢文は満点(合計100点)を修めることに成功する。担任でもあった「現代文」担当教諭からは、在学中は気が付かなかったものの、人生において大きな影響を受ける。授業中に教諭の述べることを一言一句書き落とさずノートを取るということを続けたため、国語力は上昇・安定した。大学入試センター試験(99年度)の現代文パートは92点(1問ミス)で、東京大学の入学試験では国語は120点満点中100点を越える成績をおさめることができた。1999年3月、東京大学文科三類に現役合格。東京大学進学に併せて上京後は、大手中学受験塾にアルバイト講師として勤務。1年目途中から難関中学受験コースの国語を担当。同僚と中学受験生向けの自習支援プログラムを開発。初年度クラスからは麻布中学・女子学院中学・武蔵中学・雙葉中学に生徒が合格。本郷キャンパス進学に併せて、塾講師アルバイトを辞め、公立中学校・公立小学校でボランティアの学習支援活動を行う。2008年、東京大学教育学研究科で「教育学修士号」(Bachelor of Education)を取得。当時の研究テーマは「教育に功利的成果主義の導入が不可能であることの理論的証明」と「子供のために活動する教師をサポートする制度の開発のための基礎研究」。現在の課題は、板橋で地域の子供が安心て学び育つ塾を仲間のサポートを得ながら作り上げること。目標は「限られた持ち物を使い、今いる仲間と協力して、最大のパフォーマンスを発揮する」ことです。
大手学習塾と穎才学院はなぜ成績の伸びがこんなに違うのか?
「成績UPのために大手学習塾と個人経営の学習塾では、どちらがいいでしょう?」
そんな質問を私たちもよくいただきます。
もちろんご家庭のみなさま、生徒個人の価値観やレベルなどを考えると「人による」ということになります。
ただ、基本的に大手学習塾、特に上場していたり、多店舗展開している塾の場合「利益を出すこと」が最大の目的であるということは理解しておく必要があると思います。
金儲け主義はだめだというのではありません。
利益を追求している会社ということであれば、子供たちの何十年も夢を与えつづけている東京ディズニーランドもそれと同じです。
利益を追求するということは効率を最大にすることです。
つまり、いかに安い人件費で、多くの生徒を抱え、高い合格率を出すか?これにつきます。
そうなると、画一的な動画教材で、一般的な大学生アルバイト講師を採用し、多くの生徒に一人の講師をあてがい、その中で有名校に合格できそうな生徒さんに集中的にケアしていくというスタイルの運営になります。
これが悪いことだとは思いません。
ただ、生徒一人ひとりの手助けをしたいと思っている私たちとは考え方が違うということなのです。
選択されるのは生徒さん、ご家庭のみなさまご自身です。
その材料として穎才学院と大手個別学習塾の違いをまとめさせていただきました。
指導方法完全にマンツーマンでの授業です。お子様の学習に丁寧に寄り添います。
また、毎週決まったコマ数のレギュラー授業の他に、自習室を利用しつつ、不明な点についてはいつでも質問することができます。巡回式の個別授業や映像授業が中心です。
先生が「いない」時間が発生します。
穎才学院 | 大手塾 | |
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講師のレベル | プロ講師・東大生・東大院生
都立中高一貫校の入学試験問題で満点をとれる能力を入学後・卒業後も維持している講師陣です。 プロ講師は、内田樹氏・汐見稔幸氏などを師として学んだ学習指導のプロフェッショナルです。 |
アルバイトの学生・大卒者 |
講師の特徴 | 指導に対する思いが強い。普段から丁寧な言葉遣いを心掛けています。大学院生の場合は日常的に論文を執筆しています。作文指導・記述式の答案作成指導において、プロの目線から正しく指導します。 東大生なら得られる時給より少なくても穎才学院での勤務を希望しているような講師たちです。 |
一般的な大学生のアルバイトとして従事している先生の割合が多いのではないかと思います。募集広告を見れば、それは伺えます。 |
講師採用の基準 | ・東大生または東大卒でであること。
・教えるということへの志しを重視して面談しています。 |
基本的には、学生アルバイトは社会的に不適合でない限りは採用されます。 一般的なアルバイトと同様、学力よりも、社会性が一定程度あるかどうか、というのが採用の基準です。 |
教材 | 生徒それぞれ個別に選定
学習の得意な方から、苦手な方まで、どんな方にもぴったりな教材を作ります。必要な場合には、図書をいっしょに購入してお子様とともに読み切ります。 学校教材・市販教材など、さまざまな教材の中から本人に適当な教材を選択します。 |
画一的な講座キット |
生徒と先生の割合 | 授業時は完全に1対1です。全生徒数に対して、講師数はその3分の1程度です。 | 全生徒数に対して、講師は30~50分の1程度だと思います。 |
対象とする生徒 | 受験対策はもちろん、学校のテスト対策・内部進学対策・推薦受験を目的とした生徒さんにも指導しています。 | 塾で使われる教材に沿った指導です。 |
中学生になっても、高校生になっても通いたい!子供が勉強好きになる塾。


穎才学院で学んだ生徒は、中学生になっても高校生になっても通いたい、ということがとても多いです。卒業生は、何年経っても遊びに来てくれますし、ほどんどの生徒が長く穎才学院の塾生として通塾し、大きくなっていきます。小学生に優しいお兄さん・お姉さんのような中学生・高校生がいる塾があるといいと思いませんか?先輩たちに見守られながら、子供たちはしっかりと成長していきます。