子供の成熟を支える「マジックワード」
穎才学院の塾生である方/塾生でない方のご家族のみなさまへ
穎才学院では、ご家族のみなさまのお悩みのご相談をちょうだいします。この度、ご相談専用のページを作成しました。お子様の学習・生活などについて、ご心配なこと、お悩みなどがございましたら、ぜひ教務主任までご連絡ください。また、下部リンクからのメールでのご相談も心をこめてお応えいたします。
どうして、子供たちは『ONE PIECE』が好きなのか?
21世紀の子供たちが好んで読むマンガのひとつに、尾田栄一郎『ONE PIECE』(集英社)があります。『ONE PIECE』は、2014年6月4日に単行本74巻が発売され、単行本・原作に関連する映画作品・書籍・玩具など、『ONE PIECE』に関連する多くの作品・商品が、世に送り出されています。なぜ、これほどまでに『ONE PIECE』が子供たちに、いや大人たちにも、待望され、歓待されるのかというと、それは『ONE PIECE』の主要な登場人物たちが決然と口にする言葉が、マンガとしては例外的に「強い言葉」だからでしょう。
「強い型」は他人の身体に「感染」する
「強い言葉」と私たちの身体との関係について、哲学者の内田樹は、まず「強い言葉」を発する「強い型」は他人の身体に「感染」する、と言いました。内田先生は、ブルース・リーの『燃えよドラゴン』を例にとって、説明をすすめます。1973年に『燃えよドラゴン』が日本で公開された時、映画を観終わった少年の多くは、興奮と感動に身を震わせながら、所構わず「あちょ~」と叫んで飛び回っていたそうです。この『燃えよドラゴン』におけるブルース・リーの「動き」は、他人の身体に「感染」する「強い型」の典型です。
武道や芸術には、たいていその分野における「強い型」というものがあります。その型を習得した人の側にいると、こちらの身体にまでその「型」がじわじわと染み込み、やがて刻み込まれるのです。ですから、武道や芸術のお稽古においては、その分野の「強い型」をきちんと身につけた「師匠」のもとでの訓練が欠かせません。武道や芸術の世界で、師匠を持たずに、道を究めた/芸を究めたという人は、ほとんどいません。
江戸時代の武道家、宮本武蔵は13歳ではじめて決闘に勝利した、と言われています。宮本武蔵が、それ以前、どのように剣術を学んだのかは定かではありません。しかし、宮本武蔵は「我以外皆我師(私以外のものは皆、私の師である)」という言葉を残していますから、はじめての決闘以前に、宮本武蔵が何等かの師に就いて剣術を学んだ可能性は、かなり高いでしょう。
子供たちの学習においても、それは同じです。身体の型には、身体の運用が理にかなっている(=身体に良い)ために、それを身につけると身体の調子が整えられる、というものがあります。筋肉や骨格や関節の調子が良くなり、身体がスムーズに動くようになる。力が身体にみなぎって、心地よい気分になる。無用な緊張がなくなる。身体のセンサーが鋭くなって、わずかな感覚刺激でもきちんと受容できるようになる。「強い型」によって身体が整えられることによって、身体に起こるメリットは枚挙に暇がありません。本来、武道や芸術と同じで、子供たちの学習は身体の運用によって支えられるものです。ですから、良い学び手は、学習の際の正しい身体の運用法をきちんと身につけています。
ですから、子供たちの学習で大切なことは、学習の際の正しい身体の運用法をきちんと身につけた「良き学び手」としての師匠(先生)に就いて、学習の訓練を行うということです。私たち、穎才学院が板橋での完全個別指導(生徒1人×先生1人)にこだわるのは、そのためです。子供に良き学習を贈り届けるためには、子供の前に良き学び手としての講師が身を置く必要があるのです。
「強い型」から発せられる「強い言葉」
「強い型」を身に付けた人の身体から発せられる言葉は、他者の身体感覚を「同化する力」を持っています。みなさんは、これまで、「この人の言葉を聴いていると、何だか心が(身体が)落ちつく」という経験をしたことがありませんか。そのような体験は、みなさんにとって、他者の言葉によって、皆さん自身の身体がきちんと「整えられる」ような経験であったのかもしれません。
論理的に正しい言葉は、必ずしも「強い言葉」ではありません。言葉遣いの巧みな表現が、必ずしも「強い言葉」となるとは限りません。政治的に正しい言葉が、「強い言葉」であるかどうかはわかりません。
他者の口から出た言葉なのだけれど、聞いていると、自分の身体の深いところがふつふつと温かくなってくるように感じる言葉。他者の口から出た言葉なのだけれど、聞いてすぐに、それこそ自分がなかなか言葉に出来なかったものだと思われ、はっとせずにはいられない言葉。なぜだかわからないのだけれど、聞いてしまうと、身体がじーんと響いてしまって、涙がとまらなくなる言葉。
「強い言葉」というのは、そういう納得感を伴う言葉です。
勉強に悩んでいる子供が、聞いてしまうと、身体がじーんと響いてしまって、涙が出てしまいそうになる言葉。学習にひっかかりのあった子が、聞くと、「なるほど!そういうことだったのか」と思い、ひっかかりがスッキリ解消されたと納得せずにはいられない言葉。学校での人間関係に悩んでいた子供が、その言葉を聞いてみると、なんだか身体の深いところから温かい何かがにじみ出てくるような気がして、家に帰っても忘れられないような言葉。
そのような「強い言葉」が不意に子供たちに贈り届けられることが、私たちの願いです。
言葉は人の操るものではありません。私たちこそが、言葉に操られているのです。良い言葉は、良い身体に宿ります。私たちが操り得ない言葉が、私たちの身体を通って、きちんと子供たちへと贈り届けられるように、日々私たち穎才学院の講師は身体を鍛錬しています。