東日本大震災から4年、「小さな共同体」を大切にするということ。

東日本大震災から4年、「小さな共同体」を大切にするということ。

2015年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖地震の発生から4年が経ちました。日付や時刻というのは、あくまでも、時間というものを人が勝手に区切るために用意した記号にすぎません。とは言え、あの地震が発生したのと同じ日、同じ時間になると、私たちはあの日の出来事を思い出さずにはいられないのです。

「長期戦」としての震災復興

 東北地方太平洋沖地震の発生から4年が経ったとはいえ、東日本大震災の復興はまだまだ終わっていません。仮設住宅で生活を続ける人たちをめぐる問題、福島第一原発の廃炉作業をめぐる問題、住宅や地域コミュニティーの再建・移住をめぐる問題、行方不明者の捜索に関する問題…。復興に関する問題は、枚挙に暇がありません。そして、その中には支援が出来ない問題と支援が可能な問題とがあります。もちろん、どちらも大切な問題です。そして、支援が可能な問題の中には、支援のためにお金が必要な問題と、お金では解決できない問題とがあります。1995年に起こった阪神淡路大震災からの復興において、震災復興の支援に取り組んだ人たちは、長い時間をかけてこのお金では解説できない問題と向き合ったのでした。それは、東日本大震災の復興においても、やはり同様であるようです。

「神戸」と「東北」とを結ぶ物語

 2015年は阪神淡路大震災の発生から20年目の節目の年です。そのためか、今年は、阪神淡路大震災をめぐる物語が、ここ数年でもっともたくさん物語られたように思います。その中には、阪神大震災の被災体験が生んだ歌をめぐる物語もありました。

 1月17日、NHK総合で「『満月の夕』~震災で紡がれた歌の20年~」という番組がオンエアされました。『満月の夕』は、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)と山口洋(HEATWAVE)によって作られた楽曲です。止むに止まれぬ事情から、この楽曲は2通りの歌詞を持つようになりました。作曲者の中川と山口が、震災の現場である神戸と、震災を見つめる東京という異なる場所で、曲に歌詞をつけたためです。このようにして、震災の発生は『満月の夕』という楽曲に、複数の立ち位置から歌われる歌という特別さを与えました。そのため、『満月の夕』は、多くのアーティストによってカバーされ、歌いつながれるようになります。東日本大震災で被災した方の中には、被災後に『満月の夕』を聴いて、そのメロディーや歌詞に励まされた、という方がいたようです。

 また、3月10日には同じくNHK総合で『Live! Love! Sing!』というドラマがオンエアされました。このドラマは臼井真さんの『しあわせ運べるように』という楽曲をめぐる物語です。『しあわせ運べるように』は、小学校の音楽教諭である臼井氏が阪神淡路大震災発生から約2週間後、身を寄せていた親戚宅で、生まれ育った街の変わり果てた姿をニュースで見て衝撃を受け、わずか10分で作詞・作曲したそうです。率直な表現の歌詞と素朴な味わいのあるメロディーが、聴く人の心をつかむ楽曲です。このドラマは、登場するキャラクターの人物設定も、演出も、ちょっと「攻めた」ものになっています。というのも、福島第一原発事故で長期間帰還不能になった地域を連想させる物語内容になっていて、今なお被災者が直面する虚無を描くのですから、それとつりあいを取るためには、多少過激な設定とロックな演出は必要です。

 『Live! Love! Sing!』というドラマは登場する4人の高校生(+1人の未熟な大人)が長期間帰還不能となった故郷をめぐる虚無を見つめ直し、それと懸命に戦うという物語でした。物語の最後、登場人物がそれでも元気に生きていこうとする健気な姿が描かれます。そこで歌われる『しあわせ運べるように』の楽曲は、それを聴く人の身体の内側をじわじわと温める歌でした。

生きる力を、これ以上、損なわないように。そして…

 どうにもならない不幸や理不尽な出来事は、私たちの生きる力を少しずつ、しかし確実にむしばみます。時間が経って、少しずつ辛かった出来事を思い出すことが減っているように見えても、あの日の出来事は確実に人々の心に食い入り、人々の生きる力を損なっているのです。

 3月5日には、やはりNHK総合で『子どもの心が折れていく ~震災4年 被災地で何が~』というプログラムが放送されました。震災直後、深刻な被害を受けた被災地の子供たちに急増したのは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの心の病でした。時間の経過とともにそうした症状は改善傾向にあったのですが、震災発生から4年が経つ現在、被災地の子供たちの心的な異変が多数報告されています。その背景にあるのが、子供たちの「頑張り疲れ」だと番組は伝えます。家族を心配させたくないと、自らの心の傷を封印し、頑張ってきた子どもたちの心が限界に達しはじめている、というのです。

 また「心が折れていく」のは、何も子供だけではありません。復興の現場では、作業を支える公務員や現場職員の心的疲弊が伝えられています。公務員だから頑張って当り前。むしろ、人々のやり場のない怒りを身に浴びて受け止めざるを得ないことをもある。現場で働く職員は、実際に被災者の生活の変わらぬ困難さをその目で見ている。でも、思うように彼らを救うことがかなわない…。福島第一原発で廃炉作業を進める現場職員は、日日困難な現実に直面しています。仕事をするのは、当り前。世間から批判されることはあっても、褒められることはほとんどない。でも、そのような仕事を投げ出さず続けている。そのような現場職員がいるのです。そういった過酷な状態が復興に関わる大人の心を刻々とむしんばんでいると言われています。

生きる力を立ち上げるために、「物語」を語ろう。

 作家の村上春樹は2011年9月に、私たちが生きていくためには「生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げていかなくてはなりません」と言いました。こういう事を言う人はあまり多くないのですが、私たちは生きていくために物語を必要とする生き物です。子供は「きいて!きいて!」と言って、自分の話を聞いてもらうのが大好きです。大人も物語が大好きです。どこの歓楽街にいっても、飲み屋を訪ねれば、一生懸命に自分の物語を人に聞かせる大人に会うことができます。実際、私たちは自分の話を人に聞いてもらえないと酷く傷つくものです。だから、Lineの「既読スルー」や「未読(既読つけない)スルー」に人は過敏に反応するのです。私たちは、多かれ少なかれ、生きていくために常に物語を必要としています。

 そんな私たちが語る物語には、2つの種類があります。1つは、聴き手の反応に応じて語りの内容を変えつつ語る「自分自身の物語」です。「武勇伝」や「自慢話」の類がこれにあたりますし、飲み屋のオジサンたちのする話、女子会で女性たちが取り扱う話の大半は、これにあたります。このタイプの物語は、やはり、私たちが生きていく上で大切です。私たちは、聴き手の歓心を買うように巧みに話の筋を調整しながら、自分自身のエピソードを物語ます。みんな、無意識にそういうことをしているのです。そして、それを誰かに聞いてもらうことで(あるいは、誰かが聞いてくれていると思うことで)、私たちは明日を生きる力を身体の内にチャージします。学校が終わったあと、仕事が終わったあと、無性に誰かと話したくなることはありませんか?それはあなたが生きる力を充電するために物語ることを欲望している、ということの証左なのです。

 そして、もう1つの物語は、自分自身を含めた多くの人によって共有される「みんなの物語」です。村上春樹の言う「生き生きとした新しい物語」は、こちらのタイプの物語にあたります。そして、先に挙げた『満月の夕』も『しあわせ運べるように』も、実はこのタイプの「物語」なのです。心理学者の河合隼雄によれば、私たちは、神話や伝説のような物語を自身の体験として内面化させることで、そこから生きる力を得ています。伝説というとアーサー王伝説や巨人伝説、河童の伝説などを連想する人が多いかもしれませんが、身近な事例を挙げれば、尼崎の飲み屋に集う阪神ファンたちが共有する「甲子園バックスクリーン3連発」の物語は伝説です。1985年に甲子園でバース、掛布、岡田のクリーンナップが、ジャイアンツの槇原投手から、ことごとくセンターバックスクリーンにホームランをぶちこんでみせた。その物語を多くの阪神ファンたちは共有しています。自分たちが実際に体験した瞬間として、そのエピソードを内面化している阪神ファンたちは、その「バックスクリーン3連発」の話をして、身体にエネルギーを充填させるのです。実際、日本プロ野球2013年シリーズの東北楽天イーグルスは、多くの人々が共有できる神話を作りだしました。田中将大選手の連勝記録は楽天イーグルスの優勝の物語にいろどりを添えていますし、「日本一」を勝ち取った日本シリーズ第7戦で星野監督が見せた「美馬→則本→田中」の投手リレーは、多くのファンの心をわしづかみにしました。まさに「伝説的な投手リレー」というにふさわしい采配だと言うファンも多いでしょう。もちろん、則本投手(中2日での登板)や田中投手(前日に160球の力投)の投球スケジュールを考えれば、無謀な投手起用と采配の是非を問う人が出るのも当然です。しかし、投手出身の星野仙一氏が投手にとっての連投のリスクを知らないはずはありませんから、星野監督は無謀であっても必要な采配として、「美馬→則本→田中」の投手リレーを支持したのだと思います。

 では、星野仙一監督が則本選手や田中選手の投手生命の多少を犠牲するリスクを負ってまで大切にしたものは何か。それは、東北の人たちが共有できる「みんなの物語」を作り上げることです。それは、東北の人たちがみんなでひとつの物語を作り上げることだと言ってもいいでしょう。実際に、日本プロ野球2013年の最終幕、日本シリーズ第7戦の9回表のマウンドに田中将大選手が向かうとき、その姿は「伝説」になろうとしている、と称されました。星野仙一監督・脚本、田中将大主演の物語を東北の人たち(あるいは、日本中の人たち)が見届けるという壮大な仕掛けを通して、あの瞬間は伝説になりました。そして、その瞬間の体験を通してその伝説を共有することによって、実際に多くの人たちが生きる力を得たのです。

「大義名分」より「身内の生活」を大切にしよう。

 野球の話ばかりしてしまいました。しかし、とてもわかりやすいエピソードだと思うのです。スポーツ選手の身体のマネージメント理論とか、球団経営上の理屈とか、そのような大義名分が不要だとは言いません。しかしそのような理論や理屈は、「東北の人たち」という身内のために身体を張るという彼らの立ち居振る舞いの前に、すっかり霞んで、価値を失くしてしまうのです。

 哲学者の内田樹は、「『大義』を口にする人間を信じるな、『国益』とか『国威』とかいう言葉で自分のふるまいを正当化する人間を信じるな」と果断に言い切ります。「それよりは、起居を共にし、一緒にご飯を食べ、酒を酌み交わし、祭礼や葬儀を共に行う、ぬくもりのある小集団をたいせつにしろ、『友のために死ぬ』という人間を信じろ」と内田先生は言うのです。

 「友のために死ぬ」とは、『昭和残侠伝』の物語内容に基づくレトリックです。大義よりも義理を大切にする「花田秀次郎」(高倉健)の生き様です。それは楽天時代の田中将大選手にとっては、「無理でも投げる。チームメートとファンのために投げる。そして絶対に勝つ」という覚悟です。

 そういう役割を担う人が、私たちが生きる共同体には必要です。おじさんでもおばさんでも、いいんです。大人でも子供でもいいんです。高倉健さんが演じた『昭和残侠伝』の花田秀次郎や楽天時代のエース田中将大選手のように、その立ち居振る舞いで人々に勇気を与えることのできる人間が私たちには必要です。地元に1人、そういう人がいれば、その共同体は死にません。震災から復興しようとする市町村、コミュニティーで今、1番求められている人間とは、そのような人ではないでしょうか。

 そして、そのような役割を担うのは、何も年齢を重ねた人だとは限りません。『ONE PIECE』の主人公「ルフィ」のように、子供がその役割を果たすことだってあるでしょう。『ONE PIECE』の物語において、ルフィの強さは腕力に由来するのでも、知力に由来するのでもありません。ルフィの強さの源は「柔軟さ」です。尾田栄一郎という作家の天才性は、いわゆるバトル物としての少年漫画の主人公の身体的なアドバンテージを柔軟性という1点に帰着させてしまったところにあらわれています。筋力が超人的に強いとか、炎を自在に操れるとか、ひとなみはずれた知能を持っているとかいった特性を持った、ヒーロータイプの主人公とその類型はたくさん少年漫画で発見できますが、ゴムのように柔らかいから強い、というロジックを押し出した漫画は『ONE PIECE』の他にないでしょう。そして、身体だけでなく頭も心も柔らかいルフィは、敵と対立するだけでなく、時には敵と仲間になるというソリューションを用いて、航海と冒険を続けています。自分らしいやり方にこだわらず、ありとあらゆる手段を用いて、大切なものを守っていく。そのような性質を帯びるのに、学歴はおろか、老若男女の区別も関係はありません。

 お金で買えないのは、そのような身内や仲間を大切にする人の存在ではないでしょうか。愚直でもいいと思います。地域を守るために、コミュニティーを守るために、仲間と共に生きるために、ありとあらゆる手段を講じる人、その意味で身体を張って仲間を守ることに誠実な人。そのような人の存在と、その人自身とその人をめぐる人々が体験する物語(=伝説)とが、復興する地域社会に欠かせないのだと思います。

 それは板橋に住む私たちにとっても同じです。小さな共同体を大切にすること。私たちも、毎日、板橋の片隅で小さなことを積み上げて暮らしています。子供たちを大切に。困っているお家の方の助けになるように。共に働く仲間が健やかでいられるように。そして、そのような営みがきっと東北の子供たちに届くようになると信じて。そんなのきれいごとだって?そんなことはありません。だって、物語を贈り届けることはどこからだって出来るのですから。教育・保育の分野から、東北を物語的に、教育的に支援するYoutuberが1人くらいいたっで良いでしょう。私たちは、本気でそのようなことを考えています。そして、それが実現する日は少しずつ近づいています。それまで、みなさんが健やかであることを願って、筆をおくことにいたします。

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