友達の条件・定義

こんにちは。穎才学院教務です。

土曜日のことです。ある生徒が「友達の条件って、なんなんでしょうね」と聴いてきました。

どうしたのかな、何か人間関係上の問題があったのかな、と心の中でその方のことを気づかいつつ、

だいたいそういう問いに対する答えは人の数だけあるのだよ、と申し上げた上で、「それはね、多分2つあって…」とお答えしました。

1つは「友を選ばば書を読んで、六分の侠気、四分の熱」というもの。

2つめは「(友人とは)夜中の12時に、自動車のトランクに死体をいれて乗り付けて、どうしようかと言ったとき、黙って話に乗ってくれる人」というもの。

1つめは与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」より、冒頭の「妻をめどらば才たけて顔うるはしくなさけある」に続く部分。

「妻をめとらば~」の部分は、配偶者選択の条件について述べていて、それは「才能」「美貌」「優しさ」であるというのです。もちろん、「妻」は何も女性だと限って読む必要は無いでしょうね。女性が男性を配偶者として選ぶ条件も、「才能」「美貌」「優しさ」です。ただし、それらはある個人の主観的嗜好であるというわけです。配偶者選択の条件は個人の主観によるというのは、しばしば忘れられがちですが、とても大切な人類学的真理であります。

さて、肝心の「友を選ばば書を読んで~」の部分は、鉄幹が友人の条件について述べた箇所で、友人にするなら、知性があって弱い者を大切にする気概を備え、適度な情熱のある人が良いですよ、と言っているわけです。

私は、子供たちがこれからもそのような友人に恵まれることを望みますし、幸い私の友人はそういった優れた人ばかりです。

でも、2つめの条件が難しい。

2つめは『女友だちの賞味期限』という本を翻訳・出版した糸井恵さんの書いた文章にあった言葉です。

「夜中の12時に、自動車のトランクに死体をいれて乗り付けて、どうしようかと言ったとき、黙って話に乗ってくれる人」、こういった人はその性質上、誰にとってもそうそういるものではありません。

でも、こういった友達がいると、本当に自分がつらいときに助けてもらえるので、とても有り難いのです。

私にもそういう友達がいます。

その人は、中学1年生のころからの友達で、大学生になってからも、大学院生時代も、例えば私が東京で論文の執筆に悩み苦しんでいる時、わざわざ大阪から会いに来てくれたり、その宿泊中に私がワインをかっくらって就寝中に嘔吐してしまっても、文句ひとつ言わずに私の身体を気遣ってくれる人であります。

たぶん私にとっては、その人が「夜中の12時に、自動車のトランクに死体をいれて乗り付けて、どうしようかと言ったとき、黙って話に乗ってくれる人」であり、私も彼にとってそういう人であれたらと思っています。

私は彼のように優れた人間性と深みのある考えをもった人ではないので、充分に彼の友達でいることができているのか、自信はあまりありませんが、これからも彼に何かあったら、助けに行きたいと思います。

世界の私以外の人が彼に敵するようになっても、私だけは彼の味方でいようと思います。それは、彼が私にとってそうしてくれるからでもあります。正義とか常識とか、そういった理屈ぬきに味方してくれる人が存在することの心強さは、そういった友達を持っている人なら誰しも知っておられることでしょう。

そういう数少ないけれどもかけがえのない友達が子供たちにもいるといいなと思います。もちろん、今は見当たらなくても、きっといつかそういう友達に出会えるでしょう。

私は、そんな気がしてなりません。

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