それぞれにとって心地のよい文章

およそ、1/4。

村上春樹の『ノルウェーの森』。そのはじまりの箇所では、総文字数のおよそ1/4が漢字なのだ。

ちょうどここまでで、全体にしめる漢字の割合が約1/4。

私にとって、読んでいて心地よい日本語表現というのは、活字にしてよい割り合いでひらがなやカタカナ(場合によってはアルファベット)が並んでいて、全体に対して漢字が25%ぐらいの割り合いを占めている、そういう文章なのです。

やっぱりここまで、漢字は全体の約25%。

私が書く日本語文には、多くのひらがなと少しのカタカナと約1/4の漢字が含まれることになるのだが、村上春樹のそれには、私のよりずっと沢山のカタカナ語と英文(場合によっては独文なども)含まれる。

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 僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。
 飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの『ノルウェイの森』だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。
(村上春樹『ノルウェイの森 上』講談社文庫)
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人にはみんな、文章や言葉遣いについて、好き嫌いのようなものがある。

どんなものが好きでも良いのだけれど、自分の身体(心と身体)にとって心地よい文章や言葉遣いというのが、どんなものなのかについて、各自がきちんと知っておくと、良いように思います。

前にもここで書いたのだけれど、文章(あるいは物語)にとって「意味内容」というのは、結構どうでもよかったりするものです。

私たちにとって良い文章というのは、内容が良いだけではなく、その字面や響きが良いのです。

人によって、好きな紅茶のいれ方やコーヒー豆の焙煎の具合があるように、文章にもちょうど良い文字のブレンドや聴きごこちの良い響きみたいなのがあるんです。人によって。

私にとって、そういった日本語文の一つが村上春樹の文章です。

だから、私は村上春樹の小説なりエッセイなりをいつもリュックにしのばせています。

それは私にとって、ささやかな、でも非常に重要な、ある種のお守りのようなものなのです。

ほら、やはりここまで漢字の割合がだいたい25%(笑)

よく読んでいる文章の感じって、なんとなく身体にしみているものですね。そういうのは私には大切です。

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