志望校の選び方

こんにちは。穎才学院教務です。今日は「志望校の選び方」について。

世間でよく言われる志望校の選び方というのは、こういう感じでしょうか。大学受験を例にとってみましょう。

1.自分にあった(自分の将来の目標にあった)大学・学部・学科を選びましょう。

2.新しい時代に合わせて、時代遅れにならない大学・学部・学科を選びましょう。

3.今の自分の学力だけで大学・学部・学科を選ぶのではなく、ワンランク上のレベルにチャレンジしましょう。その上で滑り止めの受験などを含めた、綿密な受験計画を立てましょう。

4.オープンキャンパスに行きましょう。大学の生の空気を吸って、入学したいという気持ちを高めることです。

…。

ご納得いただけますか?

納得したという方は、ぜひこの続きをお読みください。

受験生の方は今のご自身の状態を、かつて受験生だった方はご自身がそうだったときのことを、受験の経験が無い方もご自身のお若い頃を省みてください。

まずひとつめです。若い頃に自分のことや自分がしたい仕事なんか、なかなかわかるものじゃありません。今の20歳前後の若者の大半は自分のことや自分の将来について、ほのかな不安を感じながら、今まさに考えを深めておられる最中です。そしてそれは、30年前の若者も、50年前の若者も同じです。

30年前の若者は所謂「バブル経済」の狂乱期を生きていました。彼らがどういうことを考えていたか、それは当時公開された日本の映画を見ればわかります。『私をスキーに連れてって』(原田知世主演)とかいいんじゃないでしょうか。

50年前の若者は、戦前生まれの親世代との葛藤や対立をかかえながら、高度経済成長期の日本を生きていました。そういう世代の人たちが60年代末にどのような時代を生きたか、それは歴史が教えてくれるところです。

みんなそれなりに一生懸命でした。そういう時代を生きた方たちに思い出していただきたいのですが、若いころのみなさんは、自分のことや自分と世の中の関係について、よくおわかりでいらっしゃいましたか?

もちろん、ほとんどの方が「そんなことはわからん」とお答えになるでしょう。何なら今でもわからないかもしれませんよね。

おっしゃるとおりだと思います。若いときには自分のことなどよくわかりません。だって年を取っても時々「俺ってさあ…」「私ってね…」という自分語りに私たちは耽ることがあるのですから、自分についての理解を深めるという作業に、おそらく終わりはありません。

それは今の若者も同じです。自分のことなんて、まだまだよくわかりません。当然です。ですから、自分に合わせた職業とか自分の適性なんてものがわかるはずはないのです。わかったとしたら、それは勘違い(笑)。勘違いでも前に進めることがありますから、それで前進して、その方が健やかな成熟を果たして行かれるなら、それはオッケーです。でも、勘違いの結果、おかしな方向に進むこともあります。若いんだから、当然あります。そういうときに「君、ちょっとそーゆーのは違うと思うよ」とか「いいから、こっちに来て座りなさい。ほら、これ食べていいから」とかいった仕方で、若者に語りかけ寄り添う存在が大切なのではないでしょうか。

次に2つめ。「新しい時代が来る」と言われていて、実はそれと全然違う様子の時代になったという話は、過去にいくらでも例がありますよね。代表的なのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(Back to the Future PART2)の世界観です。主人公の「マーティー」たちが「デロリアン号」でタイムスリップした「未来」は「2015年」でした。そこでは映画公開当時に想像される「未来」が描かれたわけですが、それがどれくらい私たちの知る実際の2015年と重なるものであるかは、みなさんも何となくお分りですよね。

未来がどうなるか、というのは原理的によくわからないものです。前にもこのブログで書きましたが、未来というのは私たちにとって普通「見えない」もので、「先を見る目」を持つごく少数の練られた人だけが、「そういうことばかりしていると、あんまりよくないことになるからやめておいた方がいいよ」とか「ああいうことを言う人はね、一見恭順なように見えるけど、実はあとで君の寝首を掻こうと狙っているのだから、気を付けなければいけない」とか、まだ起きていないことを的確な観察力に基づいて、予見することができるのです。でも、それは「株式市場でどういった銘柄の株価が高騰するか」とか「今日の巨人対阪神戦はどのような結果になるか」とかいったことを予知する能力ではありません。株価の上下のような「結果を左右するファクターが多すぎる」現象を予知することは、現代社会においては不可能です(私はそう思っています)。

だから、「新時代が来るぞー。それに置いていかれたら大変だぞー」という言い方はあまり信用しない方がいいと思います。だって、そういうことを言う人は「それとは異なる結果」が出ても、何も責任を取ろうとしませんからね。みなさんはこれまでにそういう人たちをたくさん見ていらしたのではないでしょうか。

それよりは誰も予想しなかった事態が起こったとき、つまり「どうすればよいのか、決まった答えを誰も知らないとき」にどうすればよいか、その都度かんがえることができる知性を身に付けた方がいいとおもいます。

そして3番目。「ワンランク上のレベルにチャレンジした方が良いなんて、わかりきっていることだ」と思う方は多いかもしれません。でも、どうしてワンランク上のレベルにチャレンジした方が良いのですか?ちょっとお考えいただいても良いかと思われます。みなさんが「ワンランク上のレベルにチャレンジしよう」と思うことって、どういうときですか?

これには2つのケースがあると思います。「何かにチャレンジしていて、チャレンジすることそれ自体が楽しいとき」と「チャレンジすることでお金が得られて、ワンランク上のレベルにチャレンジするとより高いお金が得られるかもしれないとき」です。前者は縄跳びやけん玉の技を磨くのに夢中になっている子供などがそれにあたりますね。「あやとび」が出来たら、「後ろあやとび」は出来ないだろうか。「二重とび」ができたら、「はやぶさ(=二重あやとび)」は出来ないかな…。そうやって、どこまでも縄跳びを練習するという経験はみなさんおありなのではないですか?一方で後者の方は「射幸心を煽る」という要素が強いですね。フジテレビ系のクイズ番組に「クイズ$ミリオネア」というのがありました。みのもんたさんが出演していらっしゃいましたね。あれなんか、その典型だと思います。ある程度の正解が積み上げられたら、そこで獲得した賞金を確保してゲームから「降りる」方が良いはずなのに、クイズの難易度が高くなるなどして不正解の確率が高まることが分かっているにも関わらず、ついつい次のステージにチャレンジしてしまう。人間の心理として「幸運を得たい」と願う感情のことを「射幸心」といいますが、「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい」という心理状態が強くなると、往々にして人間は判断を誤ります。

勉強することや身体をトレーニングすること、芸術的創作に打ち込むこと自体が楽しいと言うなら、ぜひどんどん上のレベルにチャレンジされると良いですし、誰に何を言われなくてもそういう方は自然とそうなりますよね。子供のときに時間を忘れて何かに打ち込んだように、一生懸命なにかそれ自体に打ち込む経験を大切にしてください。心身の能力を開発することは、いくつになっても楽しいものです。

そして最後。「オープンキャンパスに行って生の空気を吸う」と言いますが、オープンキャンパスって「生の空気」なんですかね。よそからお客様を迎えるための「おもてなし」モードが行きすぎるあまり、実際の大学のそれとは遠く離れた雰囲気になってしまっているオープンキャンパスも見受けられます。

もちろん、実際に校舎に足を運んで、校舎建築や庭園の雰囲気が醸し出す、その場所どくとくの趣きを肌で感じる、というのはとても良い経験になると思います。私も昨年、慶應義塾大学の三田祭で「三田キャンパス」を訪ねた際、とても良い感じの校舎だなと思いました。そういう体験をすると、その大学に行って学んでみたいと思う、何か大切なきっかけになるんじゃないでしょうか。

オープンキャンパスで大学の教職員による「客集めのためのプレゼンテーション」を聞かされるくらいだったら、そういう会には足を運ばず、大学の中をウロウロと歩き回った方が、何か素敵なめぐりあわせとであえるかもしれません。

いかがですか?

1.自分にあった(自分の将来の目標にあった)大学・学部・学科を選びましょう。
自分のことがそう簡単にわかるものでもありません。だから「自分に合った」という選び方は難しい。

2.新しい時代に合わせて、時代遅れにならない大学・学部・学科を選びましょう。
これからのことなど誰にもわかりません。だから「新しい時代の情報」はあまり役に立たないでしょう。

3.今の自分の学力だけで大学・学部・学科を選ぶのではなく、ワンランク上のレベルにチャレンジしましょう。その上で滑り止めの受験などを含めた、綿密な受験計画を立てましょう。
「他の人よりもよい大学に行きたい、他の人よりもよい会社に入ってよい暮らしがしたい」というなら、おやめなさい。そういう仕方を選び取ると、失敗しても成功はしません。

4.オープンキャンパスに行きましょう。大学の生の空気を吸って、入学したいという気持ちを高めることです。
「よそ行き」のオープンキャンパスには気を付けて。

受験する大学を選ぶことよりも、学習することの楽しさに気づいたり、心惹かれる大学の趣きを肌で感じたり、そういうことが大事です。

せっかく大学に足を運ぶなら、ツテを頼って研究室やゼミ室に入れていただいて、学生・院生・教員の研究ぶりを拝見すると良いかもしれません。大学附属の美術館や資料室を訪れてみるのも良いですね。

パンフレットなど、資料を取り寄せて、大学の成り立ちや歴史について理解を深めるのもいいでしょう。大学創設の事情を知ると、多くの大学がまだ「専門学校」のような立ち位置の学校であったとき、創設者たちがどのような考えをもって、困難な状況の中、その学校を作ったのか、ということがうかがいしれます。

昭和女子大学さんの「開講の詞」を引用します。

夜が明けようとしてゐる。五年と云ふながい間、世界の空は陰惨な雲に掩はれて、人々は暗い檻の中に押し込められて、身動きも出来なかった。けれど、今や、一道の光明が空の彼方から仄めき出して、新らしい文化の夜が明けようとしてゐる。人々は檻の中から這ひ出し、閉ぢ込められた心を押し開いて、文化の素晴らしい光を迎へようとしてゐる。

夜が明けようとしてゐる。海の彼方の空にも、わが邦の上にも、新らしい思想の光が、ながい間漂うてゐたくろ雲を押し破って、眩しいばかり輝き出そうとしてゐる。それを迎へて叫ぶ人々の声をきけ。霊の底まで鳴りひびく声を、力強いその叫びをきけ。既に目ざめた人々は、文化の朝を迎へる可く、身にも心にも、仕度が十分調ってゐる。

夜が明けようとしてゐる。われ等の友よ。その愛らしき眼をとじたまま、逸楽の夢をむさぼる時はもう既に去った。われ等は、まさに来る文化の朝を迎へるために、身仕度をとり急がねばならぬ。正しき道に歩み出すために、糧を十分にとらねばならぬ。そして、目ざめたる婦人として、正しき婦人として、思慮ある力強き婦人として、文化の道を歩み出すべく、互ひに研き合はなければならない時が来たのである。

大正九年九月十日 日本女子高等学院

第一次世界大戦後、政治的にも経済的にも激動のころ、理想を抱いて女性の教育にその人生をささげた建学者、人見圓吉先生の熱い魂が読み取れます。

こういった建学者の情熱や理想を大事に受け継いでいる大学は決して少なくありません。せっかくですから、大学の門をたたく前に、そういったことについて学んでおくと良いのではないでしょうか。

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