村上さんのスピーチ(@アンデルセン文学賞授賞式)をめぐって

You have to absorb that shadow, and without losing your identity as a person, take it inside you as something that is a part of you.

私たちは自分自身の影をきちんと受け入れるべきです。もちろんその際、私たちはひとりの人間として自分の何たるかを見失ってはいけません。影は私たちの一部として私たちの内側に取り込まれるべきなのです。
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アンデルセン文学賞(ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞)授賞式で、村上春樹さんがスピーチした内容の一部です。和訳はブログ筆者によります。

村上さんは小説家の役割として、「影をきちんと受け容れること」の大切さを説きました。

村上さんは、デンマークの翻訳者からアンデルセンの『影』(“The Shadow”)という物語をすすめられた、という話からこのスピーチを立ち上げます。

影(the shadow)というのは、きわめてメタフォリカルな表現ですが、それは要は私たち自身が身に帯びている「弱さ」や「邪悪さ」といったもののことを指しているのでしょう。私たちと共にある「闇」のことを指している、と言っても良いと思います。

私は今朝、授賞式での村上さんのスピーチをめぐる新聞報道を読んで、さっそくその英語原文を探しました。幸い、すぐに朝日新聞デジタルさんのコンテンツ内にそれにあたるものが発見できました。

それを読んでみて、すぐに私はアーシュラ・K.ル=グウィンの『影との闘い ゲド戦記1』(岩波児童文庫)の最後の場面を思い出しました。

カーリルで開く

この物語で、少年「ゲド」は、自分自身の弱さが呼び出した「影」との「闘い」をくりひろげます。そのクライマックスはこうです。

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一瞬ののち、太古の静寂を破って、ゲドが大声ではっきりと影の名を語った。時を同じくして、影もまた、唇も舌もないというのに、まったく同じ名を語った。
「ゲド!」
ふたつの声はひとつだった。
ゲドは杖をとりおとして、両手をさしのべ、自分に向かってのびてきた己の影を、その黒い分身をしかと抱きしめた。光と闇とは出会い、溶け合って、ひとつになった。
『影との闘い ゲド戦記1』(岩波児童文庫)304ページ
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私がいまよりもずっと未熟で、自分の「影」と溶け合うことができずにいたとき、私の師はこの物語を私にすすめてくれました。

具体的にこの箇所に言及して「ふたつの声はひとつだった」という明確な手掛かりまで与えてくれたのもおぼえています。

自分の弱さや邪悪さをきちんと見つめて、受け容れることができないうちは、どれだけがんばっても、そういう自分自身の弱さや邪悪さに起因する失敗を、私たちは何度でもくりかえします。

私は実際にそういう失敗を何度もくりかえしたので、よくわかります。

師はこうも言いました。「森本さんが変わらないと、違った場所で違うかたちの同じ失敗を何度でもくりかえすよ。」(「森本さん」とは、私のこと。)

村上さんは授賞式のスピーチでこのように言っています。

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Sometimes in a dark tunnel you have to confront your own dark side. If you don’t, before long your shadow will grow ever stronger and will return, some night, to knock at the door of your house. “I’m back,” it’ll whisper to you.
ときには、暗いトンネルのなかで私たちは、自分自身の闇の部分と対峙しなければならない。そうしないと、遠からずあなたの影は前よりもずっと大きくなって、あなたのところに戻ってくるだろう。いつの夜にか、あなたの家の扉をたたいて闇はこう言うのだ。「ただいま、ぼくは帰って来たよ」と。
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上出来な物語(outstanding stories)の機能として、このスピーチで、村上さんはそういうことの大切さを私たちに伝えています。

そういった物語が私たちに「影」や「闇」と関係を取りむすぶことの重要性について教えるように、物語が持つ大切な効能について語るのは、何も村上さんだけではありません。

高等学校の教科書を読むだけでも、坂口安吾(「文学のふるさと」)や三島由紀夫(「小説とは何か」)など、物語の持つ重要な効能について論じている小説家の文章は、見つけられます。

三島由紀夫は「小説とは何か」で、『遠野物語』の中の「炭取り」がくるくると回る話の「現実を震撼させる」ような力について説明した後、上田秋成の『雨月物語』におさめられた話の魅力を語っています。

坂口安吾は「文学のふるさと」という文章をシャルル・ペローの「赤頭巾」について語るところから始めた後で、芥川龍之介の遺稿に見つけられるある農民作家の語った話、『伊勢物語』第九段の鬼に女が喰われる話をそれぞれ引いて、私たちに纏わり付くなにかしら「絶対の孤独―生存それ自体がはらんでいる絶対の孤独」のようなものが物語をなす心棒のようになっていることを語ります。

私は、何も三島や安吾を援用して、村上さんのスピーチの正当性を強めようというのではありません。

そういった小説家たちが、愛した物語というのがやはりあって、例えば村上さんの場合は、カフカの『城』やチャンドラーの『ロング・グッドバイ』、やはり上田秋成の『雨月物語』であったりするそうです。(もちろん、他にもそういう小説はたくさんあるようです。)

そういった物語が私たちにも、それぞれあるのだと思います。

今夜はハロウィーン。このファンタスティックな夜の時間を上出来な物語、私たち自身や私たちの世界に内在する「影」についての物語を読んで過ごすのも良いかもしれません。

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