耳の蓋が開く瞬間

教室というのは実によくできた仕組みになっていて、教える人がどんな人間であるか、場合によったらそこで交わされる言語が何語であるか、そういったことはあまり関係なく、そこでは「大事なことが伝わる」ことがある。

これは道場とか、トレーニングジムとか、そういった場所でも、だいたい同じように言えることである。

学びにおいて大切なのは、学び手が、誰か(何か)を「先生」とみなすという、ほとんどそれだけのことである。

「先生」というのは、学び手にとって、他ならぬ学び手自身に「成熟せよ」というメッセージを発信している何かのことで、学び手がそのメッセージを受信したと思えば誰だって(何だって)良いのである。

私はインターナショナルスクールで日本語を教える経験があるので、そのことがよくわかる。

私は、ほとんど、日本語しか話せない人間であるが、その人間の言っていることが日本語をほとんど理解しない人に「伝わる」ことがある。

そのときに私がしているのは、片言の外国語でも良いし、身振り手振りでも良いし、通訳をはさんでも良いし、紙に何かを書くという仕方でも良いから、とにかく「私は貴方に伝えたいことがある。私はあなたの成熟を願っている」というメッセージを強くその人に贈ることである。

私が日本語が苦手な人に日本語を教えるのなら、それは「私は貴方の日本語の不出来を責めたりしない。そんなことはどうでもいい。でも私は貴方に日本語が上手になって欲しい」という具体的な内容で発信される。

このメッセージを受信した人は、必ず(必ずである)目の色を変える。それまで「日本語がわからないから」という理由で閉じていたその耳の蓋が開く。

そういうタイミングがチャンスなのである。

教える人間は、学び手の「耳が開く瞬間」を見逃してはならない。

私にも、学び手としてそのような経験がたくさんある。

今日、思い出したのは大学生のときの経験である。

大学に入学して、遅くやって来た反抗期とでも言うのか、斜に構えて穿った物の考え方をしていた私は、ほとんどの授業に碌に出席もせず、結果として成績は低迷を極めていた。特に語学の出来はひどいものだった。

当然、それでは進学に必要な単位を取得することはかなわず、留年を繰り返すことになる。そんなとき、第二外国語の授業を担当していた教官が私やその他数人の学業遅滞者を研究室に呼び出した。

昼休みのことだ。20歳前後にもなって、大学で教官に成績不振を理由に出頭を命じられるという失態を犯したことに漸くの恥かしさを覚え、戸惑いながら、私は教官の研究室の扉をノックした。

そこで教官が私に何を言ってくださったのか。私は一言も覚えていない。でも、彼が私に対して「君は何をしているのだ。君はここで学ばなければならない。大人になれ」という内容のメッセージを強く発信してくださったことだけはハッキリと自覚している。

私は、そのメッセージを受信したことで救われた。

それから、私は語学の勉強をするようになり、なんとか進学に必要な単位を修めて、本郷の教育学部へ進学することになる。

教育学部に行って、そこで汐見先生や仲間たちに出会っていなかったら、今の私はいない。

ということは、駒場で私の学業不振を見咎めてくださった、あの教官がいなければ、今の私はいないということだ。

あのとき、あの教官が私のことを厳しく叱ってくださらなかったら、私は東大を中退して、果たしてどんな暮らしをしていたことだろう。

それなりに、食っているかもしれないが、その後に出会えた人生の師匠たちとは会うよしも無かったはずなのだ。

私は、あの日あの時、駒場のT先生が私に対して強く強く発信してくださった「成熟せよ」というメッセージに、これまで何度となく感謝してきた。

メッセージがどのような言葉遣いで、どのような人間から発信されるかは、ほとんど問題ではない。

子供にとって大切なのは、「あなたは成熟しなければならない」というメッセージを受信する(あるいは受信したと勘違いする)こと。

あとは、どんな子供であっても、無条件に学校や家庭で健やかに生活することを認められて良いのである。

子供がそういうメッセージを受信する瞬間を目撃するたびに、私はそういうことを考えます。

昨日、そういう瞬間がおとずれたのを見ることができたので、それをここに記します。

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