リーディングスキルフォーラム(2018年)

2018年11月25日、代々木ゼミナール「代ゼミタワー」(東京都渋谷区)で「リーディングスキル フォーラム」が催されました。その様子は全国5か所で同時放映されています。

穎才学院は昨年に続いての参加です。事前に申込の登録をすると、塾として参加させてもらえます。ありがたいかぎりです。

ここでは、その様子の一部をお知らせいたします。

さて、フォーラムを主催した「一般社団法人教育のための科学研究所」の代表理事・所長である新井紀子先生は、その冒頭でこのような主旨のことを述べられました。

2030年にはAIと人間とが一緒にはたらくようになります。そのとき、幸せに、ハッピーに、みんなが生きられるように、今日は1つでも多くのことをご家庭に、地域に持ち帰ってください。

フォーラムには、全国で1000人近くの参加がありました。子供たちの読解力の現状や、それを培う学びのあり方について、全国で多くの方が関心を寄せています。

新井先生はフォーラムのなかで「幸せに、ハッピーに、みんなが生きられるように」という言い方を、何度か、なさっていました。

教育は人間の幸せな生活に資するべきであり、みんなが幸せに暮らせるべきである。また、科学的研究がそういった未来の保障には必要である。

私はそのように新井先生のメッセージを理解しています。

昨年もそうだったのですが、このフォーラムは、聴いていて感情にうったえるものがあります。

昨年は発表中の新井先生が、思わず感極まるようになって、声を詰まらせたし、今年は新井先生のメッセージもそうでしたが、最語にお話をくださった福島県教育センターの目黒先生のお話の中にも、たいへんに感情にうったえるものがありました。

そういったエモーショナルな部分というのは、科学的研究とは必ずしも関係がないのだと思いますが、実に重要な部分だと思います。

今の時代の子供たちが、これからも、なるべく幸せに生きていけるように社会的支援が必要である、そのために科学的研究が生かされるのである、そういった信念が新井先生や目黒先生たちの活動の礎になっているように思えてなりません。

私もそういった信念に与するものです。数学者でも教育学者でもありません、教育行政の専門家でもありませんが、塾の先生として、そういったことについて、学び考えることを続けています。

また、社会は大きな変化の中にあります。フォーラムに参加した行政官の方は「Society 5.0」というキーワード的表現を用いていました。

「Society 5.0」というのは、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会のことで、日本国政府による「第5期科学技術基本計画」(平成28年1月)において、国が目指すべき未来社会の姿として提唱されました。

詳しくは内閣府のHPをごらんください。

ちょうど今、平成28年度から平成32年度の期間が先の「第5期科学技術基本計画」に基づいて、科学技術政策が推進される期間です。

内閣府のHPには、「Society 5.0」について、
―――
これまでの情報社会(Society 4.0)では知識や情報が共有されず、分野横断的な連携が不十分であるという問題がありました。人が行う能力に限界があるため、あふれる情報から必要な情報を見つけて分析する作業が負担であったり、年齢や障害などによる労働や行動範囲に制約がありました。また、少子高齢化や地方の過疎化などの課題に対して様々な制約があり、十分に対応することが困難でした。

Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出すことで、これらの課題や困難を克服します。また、人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服されます。社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重し合あえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となります。
―――
という説明があります。

まあ、そうなのかもしれません。

でも、本当にそうなのでしょうか。みなさんはどう思いますか。

少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服されるように感じられますか。

「これまでの閉塞感」って何でしょう、「世代を超えて互いに尊重し合える社会」、「一人一人が快適で活躍できる社会」というのは具体的にどのような社会なのでしょうか。

福島県教育センターの目黒先生は、センターの活動の報告の冒頭で、

GAFA

というロゴで出来た文字列をスクリーンに映しました。

GAFA(ガーファ)というのは、「Google(グーグル)」「Apple(アップル)」「Facebook(フェイスブック)」「Amazon.com(アマゾン・ドット・コム)」の4社の頭文字をつないだ造語です。

目黒先生は、この造語を導きに、福島県では「人間関係を持たなくても一日中遊べる」社会ができあがっているように思うという主旨の説明を始めました。

確かにGoogleは便利です。私は今、この文章をYouTubeで音楽を聴きがら執筆しています。

私はこのボーカルユニットのことFacebookを通じて知ったのですし、「コーヒーとシロップ」という楽曲についても、それを歌った「Official髭男dism」さんのその他の楽曲についても、すぐに手持ちのiPhoneでApple Musicを用いて検索し、聴取することができます。

誰かが、現代はこれまででもっともたくさんの音楽を聴取することができる時代だと言っていました。ある意味で、その通りだと思います。でも、そのためにはPCやスマートフォンなどを購入し、通信のための費用を支払って、場合によっては定額の音楽配信サービスを利用することができるだけの経済的余裕がなくてはなりません。

「Queen(クイーン)」というロックバンドをめぐる物語が映画になりました。例えば、中学生がこの映画の予告をYouTubeで目撃し、その音楽に新鮮さすら覚え、Apple Musicで映画の公開に合わせてリリースされたQueenのアルバムを聴き、ネット上でその映画作品に関するクリティカルな見解があることも理解して、それでもやはり映画館にそれを見に行く、ということがありえるかもしれない。

でも、そこまでたどりつくためには、

① YouTubeやネットで偏った内容のコンテンツだけを視聴・閲覧しない技術、

② 定額音楽配信サービスや映画のチケット代など、文化的活動に係る費用を支出できる経済的余裕、

③ 音楽や映画を視聴して、その芸術的内容を上手く理解することができるだけの素養を下支えする文化資本、

④ 映画館が身近にある恵まれた都市的環境など、

いくつかの条件が満たされなくてはなりません。結構、至難なことです。

目黒先生は、日本の都道府県中、2番目に面積の大きい福島県には59の市町村があると紹介した上で、

その県内には5つしか映画館がないことを紹介してくれました。

公立の図書館も、30しかありません。(公立図書館がない市町村があるということです。)

そういった環境で子供たちは、それぞれスマホやタブレットを持って、あるいはTVを視聴して、自分と同じような「思考」「嗜好」「志向」のものにばかりふれている、なじんでいるという指摘を目黒先生はしてくださったのでした。

言葉を通して、自分の思考とは異なる考えについて理解しようと挑戦したり、自分の嗜好とは異なる文化的所産にふれてたり、多様な志向の中から自身の進路を選び取ったり、多様な思想・信条、特徴をもつ仲間と共に暮らしたりすることが、子供たちには充分にできていないのではないか。

そういった懸念を、その発表の内容からは、感じ取ることができるのでした。

もちろん、そういった状況のいくつかは東京などの都市部でも同じです。

さて、福島県では県内の小学校・中学校・高等学校で「リーディングスキルテスト」の受検をすすめています。

東京都に隣接する埼玉県戸田市では、平成29年度から各小学校・中学校で小学校6年生の児童と中学校1年生・2年生・3年生の全てがリーディングスキルテストを受検しています。

リーディングスキルテストでは、読解のプロセスを11段階に分け、プロセスごとに正しく実践されているかどうかをチェックすることで、つまずきの原因を見つけ出します。テストではそのために「係り受け解析」「照応解決」「同義文判定」「推論」「イメージ同定」「具体例同定」の6項目が各受験者について検定され、その各成績が数学的に処理された数値で示されます。

単純に言えば、それぞれの項目で学校の成績のような5段階評価がつけられる、ということです。

ちなみに最後の「具体例同定」は、辞書の定義を用いて新しい語彙とその用法をかくとくできる能力と、理数的な定義を理解し、その用法を獲得できる能力とに区別され、両方の能力の間には成績的相関があまりないので、それぞれの能力は別の能力を測定していると考えられています。

例えば、一流企業の研修や採用などでリーディングスキルテストの検定が利用されるのですが、採用面接の際に元気がよくて、営業職に使えそうだといった目算で採用した社員が、リーディングスキルテストで中学生の平均程度の成績しか示さないということがあるそうです。そういった方が会社にいても良いのですが、そういった方には書面を通じたコンプライアンスの理解や契約書の法的事項の理解が上手くできなかったり、他から適切に伝えられた情報や指示について、それが上手く理解できないために、元のそれとは異なる仕方で、悪意なく予期できないことを実践したりするリスクがあります。企業さんは、そういったリスクを低減したいんですね。そういったリスクの発見のために、リーディングスキルテストの受検が利用されているわけです。

うーん。なかなか、合理的です。

例えば、病院でも、医師や看護師、医療事務、介護福祉士など、さまざまな役割の方たちが働いていますが、そのチームの中で言語的理解能力に違いがあると、そういったことに注意したマネージメントを実施しない限り、予想外のトラブルや事故が起こりかねません。

小学生・中学生の場合は、教科書に書かれた定義文を適切に理解することができないと、未知の概念や理論を理解・習得することができません。

また、教科書に書かれたことを実世界に正しく埋め込み、その意味を理解することができないと、教科書で学んだことをその後で上手く利用することができません。まさに応用がきかない子になってしまうのです。

算数や数学の勉強をしていて、何でもかんでも、覚えてしまおうというお子さんがいます。

国語のテストで、記述問題については決まって無解答というお子さんがいます。

歴史や地理に興味が持てない、そういった事項の暗記は嫌いというお子さんがいます。

もちろん、好き嫌いはあってよいのですが、そういったお子さんの中には、特定のリーディングスキルが不足していて、そこについてのトレーニングが無い限り、それ以外の指導を行ったり、学習にたくさんの時間と手間をかけたりしても、未知の概念・理論や文章の意味合いが理解できなかったり、文章や図で表現されたことと実世界との関係が上手く見えていなかったりするので、あまり効果的でない、という場合があります。

また、そういった学習の失調について、リーディングスキルテストの受検を利用するなどして、科学的に読解的原因をつきとめることができるのなら良いのですが、そうでないと学習の失調は「やる気がない」とか「頭が悪い」とかいった一般的説明で説明されたことになってしまいます。そうすると、「やる気を出す方法」とか「頭の良い人のすすめる学習法」とかいったものが求められたりするわけです。とは言え、やる気なるものが脳科学的に実態のないものだったり、頭が良いと言われる人の概念理解や具体的同定の能力が学習者のそれを同様でなかったりすると、そうした方法は学習者にとって有効に機能しないであろうと予測できます。

学習に費やせる時間は有限です。学習にいかすことができる費用も限られているのです。

そういった時間や費用が無駄にならないように、学習者の言語的理解の状態がどのような段階にあるのか、科学的に計測する手段を利用するのは有効なことだと思います。

また、児童・生徒の学習指導にあたる複数の人間が、それぞれの児童・生徒の言語的理解の状態について、客観的にその状態を把握できると、指導の効率が高くなるかもしれません。

「一般社団法人教育のための科学研究所」によるリーディングスキルテストは、統計的手法に基づいた科学的計測と分析が可能な試験です。

リーディングスキルテストは、さまざまなテストの中の1つですが、その科学的性質を適切に理解して運用することができれば、受検者の今後の学習に資するデータが得られるテストだと思います。

私はある大学で、リーディングスキルテストの受検をすすめています。

私も個人で受検してみようと思います。

人間と言語の関係について、科学的に知ること、それは言語的学習において重要である場合があると思います。

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