こんにちは。きよしです。もう3月も半分が過ぎました。東京などでは花粉が飛散しています。ぼくは平気なのですが、ぼくのお友達のハクビシンくんはかなり花粉で困っているようです。COVID19の新規感染者数も東京などで減りません。感染症対策やその影響に関して辛い時期が続きます。本当に困りますね。どうしたものでしょうか。
ところで、皆さん、このブログでずいぶんと長い間ご無沙汰をしておりました。森本先生はお仕事に没頭し、ぼくはSNSやネットの利用を止めて、ずっと本を読んでいました。小説も詩も戯曲も、学術書もエッセイも読みました。そのほとんどは日本語の本でしたが、英語で書かれたものも少しありました。
森本先生がお仕事に没頭していた理由はわかりません。ぼくがずっと本を読んでいたのは、少しネットやSNS上であふれる言葉から距離を取りたいと思ったからです。
ネットやSNSの言葉が悪いわけではないのです。ただ、ぼくにとってはちょっと当たりが強く感じられることがあるのです。
ちょうどぼくのお友達が音楽の専門学校でのお稽古やお勉強を終えて、この春その学校で卒業式を迎えました。ぼくも少しだけお邪魔しました。とても素敵な卒業式でした。
その学校で生徒さんたちは音楽に関する一通りのお勉強をします。作曲理論も音楽の歴史も楽器ごとの仕組みも学びます。ピアノも管弦楽器も電子楽器も、一通りのお稽古をしたそうです。ぼくは全く音楽ができないので、そういったお稽古をするのは本当にすごいことだと感じられます。卒業した生徒さんたちはこれから音楽家として、それぞれの未来へ向かい歩き始めるのだと思います。何だか応援したくなりますね。
でも、その音楽学校を卒業した生徒さんの名前を知っている人たちは、まだそれほど多くはありません。例えば、アイドルやユーチューバーの何人かと比べると、それは明らかだと思います。では、その卒業生の皆さんは、有名なアイドルとユーチューバーと比べて、何が違うのでしょうか。
SNSではフォロワーの数や投稿に対する反応の数が重要だと言われることがあります。その上で良い評価をたくさん受けることそこではが大切なのだと思います。でも、それはある一つの価値観に基づいた評価です。
何が良いのか悪いのか、そもそも基準が変わればそういった判断の内容は変わってしまうものです。
例えば、音楽家について、どんな音楽家が良い音楽家だと私たちは言うのでしょう。そういった評価は時とか、人とか、場合とかによって、変わりそうです。
ぼくのお友達が卒業した音楽学校の生徒さんたちは、そこを卒業してからもずっと、どういった音楽家が各々にとって望ましいものなのか、ずっと考え続けるのだと思います。器楽演奏を通して、あるいは楽器のリペアリングを通して、またあるいは作曲を通して、生徒さんたちはずっと「音楽家とは何か」という決まった答えの無い問いに向き合い続けるのだと思います
14歳で「ジャイアン」になった木村昴。抜擢当初に抱いた葛藤とは(日刊SPA!)
「ドラえもん」で「ジャイアン」を演じる木村昴さんは、その役で前任だった声優のたてかべ和也さんについて「たてかべさんは生涯をかけて、ジャイアンをやりきった」と述懐しています。木村さんのおっしゃることを聴き取ると、「ドラえもん」における「ジャイアン」というのはまさに生きた人物なのであり、「ジャイアン」を演じるというのは技術の問題ではなく生き方の問題なのだと思われました。
いや、そういったことに技術はもちろん要るのです。ただ技術だけではダメなのだと思います。
生きるということは、常に何かをするということなのですが、誰とするのか、何をするのか、どこでするのか、どのようにするのか、そういったことに関して生きるということには常に変化があると思います。それが「決まった答え」が無いということなのではないかと、ぼくは思ったのです。
どうでしょうか。こういったことを考えるのに、たくさんの本を読むことはぼくにとって何らかの役に立っている気がします。皆さんもそう思いませんか。
数学でも理科でも、哲学でも科学でも、何でも答えがわかっていることだけを扱うのではありません。客観的か主観的かという大きな違いはありますが、生きる上で常に考え続けるということと、科学的研究というのとは、終わりが見えないという点ではよく似ていると思います。
ぼくはそういった仕事が好きです。そのために本を読んで、いろいろなタイプの言葉や考えに触れて、頭の中を整えるのです。これからもそういったことは続けたいと思います。
皆さんも長く健やかに生きてください。どうぞ、よろしくお願いいたします。
そして、音楽の学校の生徒さんたち、ご卒業あらためておめでとうございます!
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