夢きよし

夢を見ました。その夢で私はまだ小学生か中学生くらいの子供でした。

子供なので、自由に生活することができません。家庭で保護者の顔色をうかがったり、学校で教師の機嫌に注意したりしながら私は生活をしていました。

私は上野公園によく通っていました。公園の山側には芸術大学や博物館がありますが、その近くには私の友人が住んでいて、私はその友人宅に遊びにいくのです。また池之端の方にも私の友人が住んでいました。やはり私はその友人宅にもお邪魔して遊ぶのですが、何かの拍子にそれらの友人たちと私との縁は切れてしまうのでした。

その拍子の具体的理由は私には明らかにされません。何か家庭の事情があって、仕方がないことなのだろうと私は考えました。

とはいえ、私は寂しさに囚われてしまいます。それは感傷とか、切なさとかいった類のものではなく、自分の生存を脅かすに違いない恐怖です。

というのも、私には家庭や学校に居場所がないからです。ですから、友人の家は私にとって大切な居場所だったのですが、そこは他人の家なのですから、私がいつまでもそこにいられる保証はありません。当然のように、私がそこにいられなくなるときが来ます。ただし、私にとってそこは大切な居場所なので、その当然は私をひどくうちのめすのでした。

――

こんにちは、なめこです。

きよしがこんな日記を書いていました。ぼくがお家をお掃除していたとき、リビングにきよしがうっかり置いていったノートが開いたままになっていて、その内容をぼくは勝手に読んでしまったのです。ごめんね、きよし。

きよしはときどき夜中にうなされています。夜型の生活をするきよしですが、日が昇る前には寝ています。寝付いてすぐ、悪夢にうなされることがあるようです。きよしの寝室から「うー」という濁ったうなり声のようなものが聞こえてくることがあります。

あまりにそれがひどいとぼくはきよしの寝室にいって、きよしに声をかけたり、きよしの手をにぎったりしています。水を飲ませたこともあります。

そういうことがあった次の日には、きよしはいつもの通りお仕事にでかけるものの、どこか体調が良くなさそうです。疲れているのだと思います。

きよしは家族のことをほとんど話しません。きよしが父親や母親のところに帰るのをぼくは見たことがありません。

また、きよしはちょっとこだわりがつよいパンダのパペットです。きよしは他のぬいぐるみや動物たちといっしょに仕事をするときにそのまとめ役をしていたり、ものごとを人に教えるのが上手かったりします。そのために気づかれにくいのですが、きよしは他のぬいぐるみやパペットと交流するのが実は得意ではありません。実は、きよしには仲の良い友達がとても少ないのです。

きよしもそのことは理解しているようです。他のぬいぐるみや動物たちにすすんで嫌われようとはしません。むしろ、他のぬいぐるみや動物たちに嫌われないように、きよしはかなりの個人的注意をしているようです。でも、きよしはちょっと変わっていて、他の人とは違うことを考えたり、違うことが気になったりするので、仕事が上手いということで認められていても、きよしとお友達になろうというぬいぐるみや動物たちはほとんど出てこないのです。あいつ、ちょっと違うよね、ということになってしまうのですね。

そのためです、ぼくはきよしが記した夢の物語的内容を読んで、とても悲しくなりました。その内容はきよしの日常生活での悩みや苦しみを喩えたものだとぼくには思えます。そして、きよし自身はそのことにまだ気がついていないのだと思います。

何か、きよしにとって辛いことがあったのだと思います。それが何なのか、ぼくにはわかりません。

恐ろしい寂しさなんて、ぼくはごめんです。でも、きよしはそういうものに苛まれたようですね。

とりあえず、日記はもとの場所にもどしておきました。また、その内容についてぼくはきよしに特には何も言わないつもりです。

きよしが生活しやすいように、反対に生活しにくいことが少なくなるように、ぼくにできることがあればしたい。そのように思っています。

ぬいるぐみや動物だけでなく、人間についても言えることですが、どこからどうみても普通に見える人が実は問題を抱えているということってあるんですよね。はい。そういう話です。

無料体験授業お申し込みはこちら
穎才学院本郷校のご案内はこちら

Comments are closed