「女子生徒6人暑さで体調不良、甲子園開会式リハ」

女子生徒6人暑さで体調不良、甲子園開会式リハ(読売新聞)

【高校野球】開会式で先導役の女子生徒倒れる 熱中症のような症状で病院へ(東スポ)

第99回全国高校野球選手権大会の開会式(2017年8月8日、甲子園球場)でアクシデントがありました。プラカードを携えていた高校生が開会式中に倒れたのです。上掲の動画はその様子をよく伝えています。(37分50秒あたり。)

この出来事がショッキングに見えるのは、生徒が倒れたときに、周りの多くの生徒や役員たちが、その生徒を助けたり介抱したりせず、そういった仕方を選び取るより予定された式次第に則ることを選び取っているように見えるからです。

倒れた人が切り捨てられた、そのように見えるのです。

違うでしょうか。

高校野球は学校教育の一環あるいは延長として理解できます。ただの競技会ではありません。

そいった学校教育ですが、学校はそこで児童や生徒たちを緩慢な仕方で殺していく、そういった主旨のことを説明した武道家がいます。

光岡英稔先生です。

学校では児童・生徒、あるいは教員たちまでもが殺されている。これはメタファーですが、重要な指摘です。

学校では児童・生徒が死に至る、あるいは死に瀕する事故が起きています。過熱する部活動に係る業務が長時間労働として教員を苦しめています。そういった仕方で学校では実際に人が死んでいますし、人の生きる力が損なわれている。そういった指摘は少なくありません。

教育社会学者の内田良先生は、そのような学校の危険に警鐘をならし続けています。

「学校でのスポーツにはケガはつきものとの思い込みや、ケガをしながら試合に出るのを『感動』と結びつけるような風潮には危うさを感じます。」(朝日新聞「be on Saturday」2018.8.4)

昨年の高校野球の開会式で生徒が倒れたとき、実は何人もの球児たちがその様子を気にしていました。でも、彼らはその倒れた生徒を助けるために実際に身体を動かすことができなかった。それは彼らの所為であると言うより、そういった振る舞いを彼ら生徒に強いている私たち大人に責任があることです。

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今の時代、高校野球はただの根性論だけで支配されているわけではありません。指導者で選手の体調に配慮を欠かさない人の数は漸増しているでしょう。とは言え、学事日程などの事情から、高校野球の全国大会は夏休みに行うという仕方がずっと選び取られています。しかも、甲子園野球場で開催するという伝統が墨守されています。ですが、そういった理由で、屋外での運動を避けるべき天候下、屋外球場で、生徒たちの身体を危機に晒しながらでも高校野球の全国大会が行われるべきなのか、私たちは充分に検討しなければなりません。

私は高校野球のドーム球場での分散開催のような仕方があっても良いだろうと思います。

また、式典や試合中に側にいる人が倒れたら、その進行に関わらず、その人を助けるべきだとしましょうよ。

オリンピックや世界選手権のような競技会ならともかく、教育に係るスポーツ大会はそのようにあるべきだと思います。

日本のスポーツのいくらかは、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)などのスポーツ大会での競技結果が、実質的に各スポーツのユース年代の育成目標となっています。その結果、生徒の健やかな成長より、競技結果の追求が優先されることがある。それでは本末転倒です。

インターハイを主催する全国高等学校体育連盟が掲げる法人としての目的は「高等学校等生徒の健全な発達を促すために、体育・スポーツ活動の普及と発展を図ること」であり、高校野球を主催する日本高等学校野球連盟が掲げる憲章には学生野球の基本原理として「(野球)部員の健康を維持・増進させる施策を奨励・支援し、スポーツ障害予防への取り組みを推進」することが含まれています。

一方で、例えば高野連の掲げる日本学生野球憲章には「いかなる艱難をも凌ぎうる強靭な身体を鍛練する」という、ロマンチックにすぎる修辞が目標として含まれているので、厄介です。

そういった矛盾は仕方がないのかもしれませんが、やはり生徒の健やかな成長を期待するのであれば、生徒の健康と生きる力の賦活には充分な配慮がなされるべきでしょう。

気合だけで艱難の凌駕は叶わぬものです。

合理的に考えましょう。はい。

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