夏休みの宿題について

夏休みの宿題、無理ゲーすぎる 終わらない悩みどう解消(朝日新聞)

「夏休みの宿題」が多すぎるという主題の記事です。

そもそも、何かの分量について「多い/少ない」という評価を客観的にするには、分量を定量化した上で、やはり定量的な評価基準を設けなくてはなりません。

冒頭の記事内では、宿題が夏休みの最後までになかなか終わらないということが問題視されているようです。また「読書感想文、計算・漢字ドリル、自由研究、家庭科プリント」といった各宿題をする「意味」も問われているようですね。

確かに夏休みの最後になって宿題をするのに追われるのは辛いでしょう。ただし、夏休みの最後になって宿題をするのに追われるのは、それまでに宿題を充分にこなしていなかったことが主原因かも知れません。

また夏休みの宿題に限らず学校などで学習する内容に意味はあるのか無いのか、児童や生徒たちはしばしばそういった疑問にとらわれてしまうものです。しかしながら、学習の意味について考えるには、学習についての専門的な理解が要ります。そういった理解は児童や生徒にとって容易なことではなさそうです。大人にとっても容易なことではないですね。

ここでは少し違う考え方をしてみましょう。

Long summer school breaks make inequality worse

夏休みのような長期休暇は学力の格差を拡大するおそれがあるという英語の記事です。

どういうことでしょう。

学校で授業がない間、児童や生徒の学習は家庭に依存します。夏休みの間、たくさんの本を読んだり、博物館や美術館をたずねたり、科学的学習をするキャンプに参加したり、教育的費用を費やして充実した学習的活動をさせることができる家庭の児童・生徒と、そういった費用的余裕がない家庭の児童・生徒との間で、夏休みの間の学習的経験は大きく異なるのです。

確かにその通りだと思えますね。

冒頭で引用した朝日新聞の記事には、夏休みの宿題が無いインターナショナル・スクールに通う子女の話が載っていました。

「一方、インターナショナルスクールの夏休みは約2カ月半あるが、宿題はゼロ。この夏、竹村さんの子どもたちは作曲やテニスなど、それぞれが興味のある分野に取り組んでいるという。」

なるほど。

もし作曲やテニスに、その年齢なりに本格的な仕方で取り組むなら、それには必要とされる教養や技術があるはずですし、取り組みを通してそういった教養や技術についての理解は深まりそうです。

しかしながら、同じように夏休みの宿題がほとんどないインターナショナル・スクールに通っていても、夏休みのほとんどの時間を無為に過ごしていては、そういった理解の深まりは期待できないと思います。

先ほど英語の記事を引用した際に、本を読んだり、博物館や美術館に行ったり、サイエンスキャンプに参加したりする経験について説明をしました。そういった経験は確かに有効な場合が多いのですが、本を買うだけ、博物館や美術館に行くだけ、キャンプに参加するだけでは、充分な学習的経験は得られません。例えば、中学生や高校生が夏休みに海外留学的経験をするとしましょう。その「留学」で生徒はどんな具体的に経験をするのでしょうか。アメリカに短期留学して、その期間にハリウッドのユニバーサルスタジオジャパンに行くのも良いでしょう。留学先のシドニーで美しい浜辺の景色を観光するのも良いでしょう。しかしながら、そういった経験を通して、各生徒がどのような学習的経験をしたのか、学習においては当然そういったことが重要です。

お金を費やすことで、学習するチャンスを得ることができます。

しかしながら、実際にどんな学習をしているのか、子供の育ちを見守る大人は注意しなくてはならないでしょう。

宿題の量が多いか少ないか、確かにそういったことは気になるかも知れません。しかし、そういった宿題の分量についての評価にばかり気をとられるのではなく、宿題に取り組むことを通して、お子様がどういったことを学んでいるのか、どんなことを考えているのか、注意してあげると良いのではないかと私は思います。

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