「中学受験は親の腕次第」←それ、幻想です(朝日新聞)

「中学受験は親の腕次第」←それ、幻想です やるべきは(朝日新聞)

おおたとしまささんの連載、8月3日分は「教育虐待」をとりあげました。

父に懲役13年判決 「受験指導」小6長男刺殺 名古屋地裁(朝日新聞)

おおたさんが連載記事内で言及している事件はこれです。

お父さん、僕もう無理だよ 中学受験に潜む“教育虐待”の実態(NHK)

上記事件とは別の事案を報道した、NHKのWeb特集記事です。このブログで7月にお知らせしました。

教育と虐待とは一見すると全く異なるもののように思えます。

しかしながら、教育において子供がむごい取り扱われ方をされることは、残念ながら珍しいことではありません。教育の歴史や記録を調べると、そういうことがわかります。

おおたさんは先の記事内で教育虐待を「子どもの受容限度を超えて勉強させたり、過度なしつけを行ったりすること」だと説明しています。

その説明の適切さの評価は社会に委ねられるとして、私は子供の「受容限度」を超えていないと考えられたとしても、「過度」であると判断されないとしても、暴力を伴う教育や子供の人権を損なう教育は虐待的であると思っています。

(いちからわかる!)子どもの虐待を防ぐ法律が変わったの?(朝日新聞)

今年(2019年)児童福祉法や児童虐待防止法などが改正されました。来年4月から施行されます。東京都目黒区で5歳の女の子、千葉県野田市で10歳の女の子が死亡した事件がありました。そういった事件で当該保護者は虐待をした理由に「しつけ」を挙げました。今回の法改正では「体罰を禁止する」とはっきり法律に書いたことがポイントの一つだと言われています。

一方で民法には、親が子どもを「監護及び教育に必要な範囲内で懲戒できる」とあります。「懲戒権」と呼ばれるものです。しかしながら、この懲戒権についてはどんな行為なら法的に容認されると言えるのかがはっきりせず、「体罰につながる」という意見もあります。そのため今年の法改正では、施行後2年をめどに懲戒権のあり方を検討するとし、その議論が法制審議会で始まります。

懲戒権の見直しについては、「廃止ありきの議論ではなく、その内容を精査、検討すべきである」という意見もあります。

【主張】体罰禁止法案 「懲戒権」の廃止は慎重に(産経新聞)

産経新聞に載った「主張」の一部を引用します。

「連動する懲戒権の廃止は、しつけの禁止と誤解されかねない。しつけを隠れみのとする虐待は許されない。当然である。一方で、しつけを放棄すれば、子供はまっとうな成長を望めない。

例えば、わが子が理不尽ないじめに加担していたことが分かったとき、親は体を張ってでもこれを止めるべきである。懲戒権がないからと手をこまねく事態は最悪であろう。懲戒権については、廃止ありきの議論ではなく、その内容を精査、検討すべきである。」

ある辞書で調べると、しつけるの語釈は「礼儀作法や生活習慣などを教えて身につけさせる。習わせる」で、「体を張る」の語釈は「自分の身命をささげるつもりで全力でことにとりくむ」となっていました。

「懲戒」というのは、不正あるいは不当な行為に対して制裁をくわえること、こらしめることです。

あくまでも国語辞書的理解ではありますが、辞書で調べるだけでも、しつけと懲戒の違いは明らかになります。

例えば「わが子が理不尽ないじめに加担していたことが分かったとき、親は体を張ってでもこれを止めるべきである」という表現について、それを読んだり聞いたりする人たちはその「体を張る」という仕方をどのような仕方だとイメージするのでしょう。

「わが子」をやむを得ずぶんなぐっていじめへの加担を防ぐという仕方を想像するのなら、それは先に調べた「体を張る」の語釈内容に必ずしも合いません。

私はそのように思います。

もちろん引用した「主張」のような内容の主張は自由です。

子供のしつけについての考え方も自由でしょう。

しかしながら、暴力を伴うしつけや子供の人権を損なうしつけはいけない。それは暴行が法的に罪であり、人権は法的にも倫理的にも保障されるべきだからです。

おおたとしまささんは中学受験において子どもに過度に勉強させてしまう親が多いのは、親の間違った強迫観念や幻想のせいだと説明していました。

そうなのかも知れませんし、そうではないかも知れません。

そういったことについてはよくわかりませんが、そもそも子供の人権を損なってはいけない、子供に暴力をふるってはいけない。

そういったことについて、私たちは思いいたすべきなのではないでしょうか。

当たり前のことだと思うんですけどね。

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