本年はどうもありがとうございました。

みなさん、こんばんは。なめこです。

今日は穎才学院に遊びに来ています。穎才学院は今日12月30日で2019年の営業を終えます。今日は朝8時半から受験生である塾生たちが穎才学院に集まって、テストや授業に取り組んでいました。

穎才学院は変わった塾です。塾なのにご飯を食べることを大切にしています。今日もお昼ごはんと晩ごはんをみんなでいっしょにいただきました。中学受験生も高校受験生も大学受験生も同じ場所に集って、みなでいただきますをしてご飯を食べ始め、ゆっくりとご飯を食べる人の食事が済むのを待って、みなでごちそうさまをするのです。

そういうことをしている塾はなかなか無いと思います。合宿をする塾は多いかも知れません。ただし、そこでの食事の様子は穎才学院でのそれと趣を異にするのではないでしょうか。ぼくはそんな風に想像してしまいます。

穎才学院での食事は、みんなで食堂に集まってただ食べ物を食べるだけが目的なのではありません。

みんなでいっしょに食べ物を食べることが目的です。

そんなの同じだろうと思いますか。

いいえ、違います。

みんなでいっしょに食べ物を食べるときにすることってあるでしょう。

確かに、ぼくときよしはその日の食べ物に困るということがありません。それはぼくたちが暮らしている場所にお金で買える食べ物があふれていて、ぼくたちが食べたいものを買うのに充分な収入を得ているからです。ただし、そういった条件は資本主義的経済活動をするための条件です。みんなでいっしょに食べ物をたべるためには他にも必要なことがあります。

まずみんなで同じ場所に同じタイミングで集まる必要があります。実際にしてみるとわかりますが、これには結構な手間が要ります。ぼくたちはご飯を食べるだけの生き物ではないので、ご飯を食べる前後にご飯を食べる以外のことをしています。みんなでいっしょにご飯を食べるには、それらの作業や仕事の進み具合をみんなで食べるご飯の予定に合わせて調整する必要があるのです。今日は約40人の人たちとぼくたちパペットがいっしょに同じ場所でご飯を食べました。そのために、ぼくたちはみんなでご飯の前後の仕事の予定を調整し、ご飯を食べるために必要な場所をととのえました。みんなの作業や仕事のペースは違います。それらをご飯の予定に合わせるのにはみんなの協力が欠かせません。ほらね、結構な手間が要るでしょう。

また、みんなのご飯の食べ方は異なります。たくさん食べる人も少しだけ食べるひともいます。速く食べたい人もゆっくり食べたい人もいます。ですから、同じタイミングでご飯を食べ始めて、同じタイミングでご飯を食べ終えるのには、やはり結構な配慮が要るのです。穎才学院の食事では、たくさん食べる人が少しだけ食べる人から食べ物を譲り受けます。ご飯を食べるスピードが速い人は、ゆっくりとご飯を食べる人が食べ終わるのを待ちます。そうしてだいたいみんながご飯を食べ終わったときに、みんなでいっしょにごちそうさまと言うのです。

ご飯を食べる場合も、それ以外の場合も、誰かがみんなのペースにあわせることが大切なのではありません。それぞれが周りの他の人たちのことを気づかうのです。

できないことを責めるのでも、できることを誇るのでもありません。

それぞれの仕方の異なりを計算に入れて、全体で始めと終わりの帳尻が上手く合うように物事の始末をつけるのです。

いただきますやごちそうさまをすること自体が大事なのではありません。生き物の命やご飯をつくってくれた人たちに感謝するのも結構ですが、それだけが大事なのではありません。

大切なのはいっしょに生活する人たちそれぞれの自由や生命を尊重することです。

ご飯を食べることは私たちの生命維持に関わることです。おおげさに聞こえるかも知れませんが、他の人の食事に配慮することは他の人の命に配慮することだと思います。

私たちは同じようにかけがえのない存在ですが、私たちの生き方や生活の仕方はそれぞれ異なります。強い人も弱い人もいます。賢い人もそうではない人もいます。未熟な人もそうではない人もいます。色んな人がいますよね。ぼくたちパペットもその世界の仲間にいれていただいているのですが、人間の世界の様子を観察していると、人間の生活の仕方が実に多様であることがわかります。ときどき、社会では決まった仕方に合わせて生きることが求められます。それが教育的に良いことだと考えられる場合もあります。そういった仕方に全く妥当性や合理性が無いわけではないとぼくも思いますが、ぼくは多少はイロジカルでも効率が悪くても、それぞれの多様な仕方を尊重する方が人間の社会全体として合理的だと直観しています。

穎才学院で小学生から大人まで約40人がいっしょにご飯を食べているとき、そこにはさまざまな食べ方がありました。そして、それらのどの食べ方も全て尊重されていたと思います。

それが穎才学院で大切にされていることです。私たちの社会でも大切にされることだと思います。穎才学院はそういうことを大切にする塾なのです。穎才学院は社会的なのですね。

あれあれ?

穎才学院は変わった塾なはずなのですけど、それはどういうことなのでしょう?

不思議ですね。

みなさまが新年を穏やかにお迎えになるのをきよしもぼくも願っています。

困難な状況で生活しているぼくたちの仲間たちにも、みなさんの御配慮をいただけると幸いです。

新年もどうぞよろしくお願いいたします。

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