2019年の終わりに(塾生たちへ)

1時間だけ勉強した人とn時間かけて勉強した人とがいるとしよう。n時間かけて勉強した人は1時間だけ勉強した人のn倍の成果を手にするのだろうか。ある問題集を1ページだけ勉強した人とそれと同じ問題集をnページ勉強した人とがいるとしよう。後者は前者のn倍の成果を手にするのだろうか。

たくさんの時間をかけて勉強した方が成果が出ると信じたくなる気持ちはわかる。勉強するために手にした問題集をその途中で投げ出すより、最後まで取り組んだ方が成果が出そうだと考える人がいてもおかしくない。
ところで、成果というのは君にとってどのようものだろう。

入試に限って言えば、ほとんどの場合は合格することが成果だろう。そうだとしよう。

では入試に合格するための条件は何だろう。たくさんの時間を勉強に費やすことだろうか。同じ問題集を何周もすることだろうか。違うよね。それは、その入試の合格最低点以上の点数を取ることである。

合格最低点は学校や大学が決める合格者数や君および君といっしょに入試に臨んだ受験生たちの点数などに関係して決まるだろう。

入試での君の得点は、試験当日の君の体調やその試験の問題と君との相性などにもよるけれども、おおむねは君の学力と試験の問題との関係によって決まる。

よって君が入試での合格を成果だと考えるなら、成果を手にするためには①君自身の学力を上げる他に、②当日の入学試験問題の内容についての予測、③同じ入試に臨む他の受験生の得点と君の得点との関係についての想像、④学校や大学が決める諸条件についての理解が必要になる。そういったことを君はしなくてはならない。

君の勉強時間だとか、君が解答した問題集のページ数だとか、そういったことの大切さはそれらに比べると大したことではない。

①について、君たちは母語である日本語や数式などを上手く用いて、科学的理解や文章内容の理解を深めることになるだろう。外国語について理解したり、外国語で書かれた文章を読解したりする場合も、君たちは母語である日本語を利用してそれをすることになる。その際、暗記しておく必要があることや暗記しておいた方が便利なこともあるとは思うが、それだけでは不充分で、理解すべき内容について、その意味を理解する必要がある。

意味という言葉の意味について『現代国語例解辞典』で調べると、「①言葉や記号がさし示す内容。②言語、行為などによって示される意図。」という語釈がついている。そうだとすると、文章や数式の意味というのは、その文章や数式がさし示す内容のことだ。つまり、さし示されている事柄などについて充分に考えずに文章を読んだり、数式を書き連ねたり、あるいはそれらを暗記したりする仕方では意味の理解ができないことになる。

私が先に書いたように、意味について理解しないと学力が上がらないとしたら、暗記しているだけではだめだというのはおわかりいただけるだろうか。
②や③について、実際の入試の内容や入試当日の各受験生の得点について、予め知ることはできない。そのため、君たちは入試の過去問題の内容を知ったり、各種模擬試験などの結果を利用したりして、それらの内容を予測するべきだ。

④については学校や大学が発表している公式の情報で確認することができそうだ。
各入試まで君に残された時間は限られている。しかも、その時間の全てを入試のための学習に費やすことはできない。生命を維持するために寝たりご飯を食べたりお風呂に入ったりする時間が必要だ。学校に行くのに費やされる時間もある。児童・生徒は学校で学習するが、学校の学習の目的は入試の合格だけではない。(それはとても大事なことだ。)そのため、君に残された時間は「各入試までの残り日数×24時間」よりもずっと少ない。

その時間を有効に使う必要がある。無駄があってはいけないと言っているのではない。無駄は実際には重要だと思う。遊んだり、ボーっとしたり、親しい人と話したり、好きな本を読んだり、好きな音楽を聴いたりする時間はむしろ重要だろう。その上で時間を有効に使いたい。

先に示した①②③④の必要を充たすために要るのは君自身の活動と思考である。君が充分に活動できなくても、上手く思考できなくても、君は決して責められるべきではない。ただし、入試の合格には、どういった入試に臨むかにもよるが、多かれ少なかれそれらが要るのだ。残された時間をそういったことに費やしてほしい。
これまでも君たちは活動してきたし思考してきた。その上で改めて、あるいはできることなら、それらの内容について見なおしてみてほしい。その上で残された時間で存分に活動したり思考したりしてほしい。
こうすれば合格できるとか、これだけすれば合格できるとか、他の人たちが言っていることをうのみにしているだけではいけない。ネットで流れたり飛んだりしているそういった話と関係なく、君自身が活動し思考することが重要なのである。

君たちは塾に通っているので、残された時間でどのあたりについて学ぶべきか、どういった手段で学ぶと良いのか、相談しながら考えることができるだろう。教えてほしいことがあれば、お願いして教えてもらうことができる。様々なことについて、必要なら、塾の先生たちと相談すると良いだろう。そうしたことも大切な活動や思考のひとつだと思う。

したくないことはしたくないだろうし、できないことはできない。しかし、してもいいことの中にまだできていないけれどもできるようになるかも知れないことがあり得る。

羽海野チカさんの「3月のライオン」というマンガには

子供の頃 ばっちゃんが言ってた

「できない」には「本当にできない」と「しんどそうでやりたくない」の2種類があるって…

—— そして 大抵の夢は「しんどそうでやりたくない」の先に光ってるって

という言葉がでてくる。

その通り、「しんどそうでやりたくない」ことの先で光がさすことがある。引用したマンガは強い人たちの戦いの物語だ。私たちは必ずしも(あるいはほとんどの場合において)強くないので、しんどそうでやりたくないことに取り組めという命令は私たち一般には向かない。ただし、たとえ一時的にでも私たちが強くなって、しんどそうでやりたくないことではあるけれどもしないではいられないという仕方を選び取ることがあるなら、その先では何かそれまでとは違うものが手に入るかも知れない。そういったことは私たちについても言えそうだと私は思うのである。

各試験まで残された時間を君たちが上手く生かせるように、誰かを頼ってほしい。そういったことが成果を上げるためには重要だと私は思う。

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