心配

友達からLINEで連絡がありました。あることがらについて、私のことを強く心配してくれた様子です。その様子がLINEの短い文面から伝わります。

早速、返信として友達に電話をしました。その友達と話をするのはおよそ半年ぶりです。電話で話したことがらは込み入った事情のあることがらでした。しかし、私はその友達に何の忌憚もなく話をすることができました。

電話で話しながら、友達が私のことを心配している様子がよく伝わります。実にありがたいことだと思いました。また友達は私に対して丁寧な言葉を選び取って話をしてくれました。その様子から、友達自身の心配とは別に、友達が私自身の考えや生き方のようなものを尊重してくれているのがよくわかります。これもまたたいへんにありがたいことだと思いました。

他人のことを心配するというのは、他人に自身の意見を押し付けることではありません。他人の困難を想像し、そういった状況に惻隠することが心配の実際だと私は思います。

今日の友達は電話の向こう側で私の困難を想像しようと努め、それに同情を寄せてくれていました。私の苦悩を、まるで自分のことのように、親身になって共に感じてくれていたのです。

そのことを私は心から多とします。

詰まらないしがらみや利己的打算によるのではなく、自然な仕方で私の立場を想像して私をめぐる困難について思いを寄せてくれたことを私は喜びます。

私はその友達について、世界中がその友達に敵対しても、ずっと友達の味方でいようと思っています。何があっても友達です。

友達は今日、私にそれと同じ意味の言葉を示してくれました。それは実に素朴な言い方でしたが、とても直截的な言い方でもありました。その言葉に私が勇気づけられたのは言うまでもありません。

確かに友達の惻隠によって私の困難が減殺するのではありません。

しかし、その思いやりによって、私が励まされ、私の身体にじわじわと力がみなぎるのも間違いないことなのです。

友達の思いやりのおかげで、私は今日の仕事を丁寧に終えることができました。

友達からの連絡がなくても今日の私はそこそこ普通に仕事して一日を終えることができたと思うのですが、友達からの連絡があったおかげで私の一日はとても優しいものになりました。

それが心配の効能だと思います。

そういった心配が世界に満ちるように願って私は生きていきたいと思います。

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