痛感

7月が終わろうとしています。そろそろ関東甲信越地方でも梅雨が明けそうです。

4月から7月まで、私なりにさまざまな活動に励んできました。その過程でさまざまな方たちにお世話になりました。ありがとうございます。

さて、そういった活動の中で痛感したことがあります。

それは自由の大切さです。権利の保障の大切さだと言っても良いでしょう。

この場合、自由というのは私たちが法律の範囲内でできる随意の行為だ、と思っていただけると良いでしょう。権利というのはある物事を私たちが自分の意志で自由に行ったり、他人に要求したりすることを可能にする資格のようなものです。

家族的であることは時として危険だと私は考えています。それは家庭の中に法律が及ばない領域を設けられると考える人たちが多いからです。私はどういった領域にも法律的理解が及ぶべきだと考えています。

法律は私たちの自由や権利を保障しています。しかし、そういった自由や権利が社会でいつでも充分に保障されてきたわけではありません。確かに自由であることには困難が伴います。自由から逃走した方が楽だと考えられる場合があるのも、残念ながら、事実です。しかし、自由が大切だということはやはりあります。そういった場合、自由はやはり守られなくてはなりません。

法律は行政が私たちを処罰したり、私たちの行為を制限したりする根拠になることがあります。しかし、そういった行政的活動には法理的に適切であることが常に求められ、実際にそうであったかどうか、それについて司法的確認をすることが可能です。もちろん、司法は法律に基づくものです。

このように法律は私たちの自由や権利を保障するたいへんに重要なものなのですが、その充分な理解は誰にでも容易なことではありません。

そのためでしょう、法律的理解が充分でないために誰かの自由や権利が損なわれていても、それが法的に問題であると理解されない場合があります。そうすると、自由や権利は保障されないことがあるのです。

残念ながら、実際に、私たちの身近で、そういった自由や権利が損なわれることがあります。例えば、家庭内で、学校内で、社内で、ご近所づき合いの中で、そういった自由や権利が損なわれることがあるのです。

法律に基づいているはずの行政的処置が私たちの自由や権利を不当に損なう可能性も否めません。

大切なものを守り、不当なことには抗議する。

そういった力が私たちには要るようです。

しかしながら、私たちは誰もがいつでもそういった力を備えているわけではありません。

だから、協力が必要です。

そういったことをこの4か月間で私は痛感したように思います。

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