無駄ではなかった2浪体験 鏑木毅(日本経済新聞)

無駄ではなかった2浪体験 鏑木毅(日本経済新聞)

2月20日の日本経済新聞夕刊にプロトレイルランナーである鏑木毅さんの文章が載っていました。

読んでいてひきつけられる、素晴らしい文章でした。

上掲のリンク先は有料記事なので、そのままでは読めないという方も多いと思います。良かったら、図書館などで新聞を閲覧するなどして、記事を実際にお読みください。手間をかけて読む価値のある記事だと思います。

かえりみるという日本語があります。

省の字で書いたり、顧の字で書いたりします。

諸説ありますが、省の字は「じっくり見る」という意味、顧の字は「ふりかえって見る」という意味です。

私たちは自分自身がしてきたことについて省みることがあります。このように「自分のことをよく考えてみる」という意味では「省みる」と書くのが一般的です。(小学館『現代国語例解辞典』)

「顧みる」と書くと「実際に頭を後ろへ回す意」を持ちます。

いずれにしても、生きていて、少し立ち止まり、来し方をかえりみるということは私たちにときどきあることだと思います。

若い人も自分自身のことをかえりみることがありますし、年を重ねてからもそういうことはあります。

そういったときに、主体的に考えることが大切になる場合があるでしょう。

お休みの日にお出かけして、出先で雨に出くわしたとしましょう。あなたは傘を備えていません。

困ってしまうかもしれませんね。天気予報ではそんなことを言っていなかったと託つ人がいるかもしれません。

せっかく白い新品のスニーカーをおろしたばかりなのに、雨水でよごれてしまうと憂鬱な気分になることがあるかもしれません。

両手がたくさんの買い物でふさがっていて、傘なんて買っても持てやしないよと途方に暮れるかもしれませんね。

しかし、そういったときにどうするのか、私たちはやはり考えることができるのです。

それはMr.Childrenが「エソラ」で歌ったような、雨が降りそうだけれども綺麗な星空を期待して出かけようとか、雨が降ったらそのお陰で街が美しく輝くこともあるじゃないかという話かもしれません。

でも、それだけではないとも思います。

村上春樹の『1Q84 Book2』に雨のシーンがあります。主人公の「青豆」が重要な暗殺の仕事をなしてから、セイフティーな場所に身を隠さなくてはならないときに、不慮の大雨に遭ってしまうという場面です。雨が降ることによって、人や車の流れが澱み、予定されていた全ての退避行動に遅滞が生じてしまいます。それは青豆にとって命に関わる事態でした。

そういったときに自身の心身を出来る限りで制御し、自身で出来ることをひとづずつ積み増していくというのは、困難でタフな作業ですがとても大切なことだと思います。

先に述べた「考える」というのは、そういう作業に関わることだと私は思っています。

もちろん、そういったことが困難なときも生きているとあるのですが、それでも長い間でどこか自分自身で主体的に考えることが要る場合もあるはずなのです。

それは信仰的なことかもしれません。もっと実際的なことかもしれません。

私は出来ないことを理由に誰かを責めるのも誰かが責められるのも嫌いです。そういったことは生きる上で必ずしも要らないし、生きることを妨げるかもしれないと考えられるからです。一方で、出来ないことと出来ることを混ぜこぜにするのも、出来ていないことを出来ていることの区別がつかないのも、生きる上で危険な場合があるとも思っています。

他者による客観的な評価はみなさん自身がよりよく生きるために用いるべきです。

「人生には人それぞれの道があり、そこに近道も回り道もない。」

鏑木さんはそのように言います。

それは鏑木さんの身に染みたものがにじみ出た言葉で、鏑木さんがご自身の心身でさまざまなことを体験して得られた理解だと思います。

ですから、私はその理解について想像する他に有効な術を持ちませんが、鏑木さんの文章が私の身に染みて私の心身の何かが反応をしたことは確かなように思われました。そこで私が考えたのが上に記したようなことです。

みなさんにも鏑木さんの文章が染みるかもしれません。おすすめをいたします。

無料体験授業お申し込みはこちら
穎才学院本郷校のご案内はこちら

Comments are closed