東大生やその母親が語る「合格体験記」の信頼性が高くない理由

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「東大合格体験記」の信頼性が高いと言えない理由は、義務教育の理科の知識があれば理解できる。

中学理科で習う「光合成対照実験」を覚えているだろうか。

葉の斑(ふ)のある部分とない部分を比べることで、光合成には葉緑体が必要であることが分かり、アルミで覆われた部分と覆われていない部分を比べることで光合成には光が必要であることが分かる。

この光合成実験で「AをするとBが起こる」という因果関係を立証するためには、諸条件を統制したうえで、「…をする実験群」と「…をしない統制群」に分けて、二群の違いを見る必要があることを学んだはずだ。

この枠組みで考えると、「東大合格体験記」は、自分の子育て・自分の教師経験という体験(実験群)だけに基づくものにすぎず、反実仮想となる統制群が存在しないために、その教育論が本当に効いたのかどうか、それとも別の要因によるものなのか、立証できないことが理解できるはずだ。

このような体験的教育論に信頼性が欠けるのは、ホランドの因果推論の根源的な問題と呼ばれる有名なものだ。これは、同一人物が同時にある処置をされた場合とされない場合を経験できないために、因果関係が主張できないというものである。

この問題を乗り越えない限り、たとえ自分の子供ないしは生徒を何人、いや何百人東大に入学させようとも、主張された教育方法によって子供・生徒が東大に合格したのかは不明なままで、信頼性の高い教育論とは言えない。
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畠山さんがおっしゃる通りで、学校教育や大学進学において成功体験をおさめた人は、その体験に基づく教育論をさも一般的効果があるような仕方で物語りがちです。

この記事の内容は、塾・予備校の事業や高校における大学進学指導に関わる多くの人が戒めとすべきものでしょうね。

穎才学院もそうです。

穎才学院に特別な学習メソッドのようなものがあって、それに基づいた指導で塾生の学力向上が保障されているというわけではありません。

では、どうすれば良いのか。

ここでも畠山さんの記事が手がかりになります。

畠山さんは「個別ではなく全体で見ると、『東大合格体験記』のような信頼性の高くないものではなく、信頼性の高いエビデンスに基づく教育が行われる必要性がある。」と説明していました。

また畠山さんは「私に子供ができたら、『東大合格体験記』を信奉するのではなく、効果があるというエビデンスもそのメカニズムも分かっている教育論の中から、試行錯誤で自分の子供のやりたいことや特徴に合うものを探していくことだろう。もちろん配偶者と相談しながら。」とも述べています。

塾や予備校がすべきことも、そういった仕事なのではないでしょうか。

論文や研究などに学ぶこと、塾生の希望や特徴にあわせて適切な学習の仕方を模索すること、そういった仕事を塾生本人および保護者と充分に話し合いながら続けていくこと、それが塾や予備校ができることでしょう。

穎才学院も含めて、塾や予備校に最も欠けているのは、その内で論文や研究などに学ぶことではないでしょうか。

塾や予備校の先生は、大学入試の研究や問題集の執筆などはしていても、教育学の論文や専門書を読むことがあまりないのかもしれませんね。

日本の教育は、最近の教育政策に学術的問題があっても、過去の優れた教育政策のレガシーや公教育の現場の(何だったら半数以上の教員が過労死レベルになりかねないほどの)奮闘、盛んな私教育支出によって、世界的に見て高い水準が保たれています。

塾・予備校はその私教育の大半に関わる事業です。

その事業主体が教育について科学的に、あるいは学術的に理解することは、そういった日本の教育水準に係るバランスについて考えても重要だと言えそうです。

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