実際に〇〇していますか?

学習において大切なことは

自分で考えることです。

当たり前だと思われるかもしれませんが、私たちは放っておいても、あれこれと考えるようになるものでしょうか。

好きなことや興味関心があることについては、放っておいても、いくらでも時間を費やして考えたり、調べたりするかもしれませんね。

スマホを利用する人たちは、放っておいても、ずっとスマホであれやこれやと調べたり視聴したりしていそうです。でも、それは考えることをどれくらい必要としていることなのか、私にはよくわかりません。

私たちは他者の欲望に敏感です。他者の欲望の宛て先になりたいと強く望むのです。

羨望の的になりたい、憧れの対象になりたい、そのように私たちは他者の欲望を欲望します。

ところで、ここで言う「他者」って具体的には誰のことでしょう。

他者なのだから、他人だろう。

そのように考えるだけで終わってよいのでしょうか。

そうだとしても、その「他人」とは具体的に誰のことですか。

ドナルド・トランプ大統領ですか?

安倍晋三総理大臣ですか?

トランプ大統領や安倍総理の欲望の対象となりたいと願う人が実際にいても、おかしくはありませんが、私はそのようには思いません。全く。

同じように、トランプ大統領や安倍総理の欲望を全く欲望しない人たちは多いでしょう。「そんなん知らんわ」って話ですよね。(´・ω・`)

では、あなたがその欲望を欲望する他者って、具体的には誰ですか?

誰かのことを強く恋う人にとって、それはまさにその想い人でしょう。好きな人の好意を一身に集めたい。そのように願うことは不自然なことではないと思います。あまり、良いことだとも思いませんが。

では、こういうのは、どうでしょうか。

好きな人に愛されたくて、自分で何かをはじめてしまった。そして、そうすることに夢中になってしまった。

この動画、全体の1分40秒から再生されるように仕掛けをしてあります。そこから20秒くらい、視聴してみてください。

みなさんには、この少女がトンカチで何かをたたいたり、虫眼鏡で何かを観たりして、いったい何をしているように見えましたか?

何かを作っているように見えた?

何かを修理しているように見えた?

何かを研究しているように見えた?

そういった見方は、どれも正解だと思います。

楽曲のメロディーや動画にあらわれるダンスの仕草がスイートなので、少女は何かに恋をしているのだろうとすぐにわかりそうですが、そうだとして少女が恋いこがれているのは、果たして美青年や好青年にだけなのでしょうか。

そうではないように思えます。

実はこの少女、タイムマシンを作っているんです。

動画の全体を観ると、おわかりいただけるでしょう。

今度は初めから最後までどうぞ。

タイムマシンを作るんですよ。

並大抵のことではありません。

もはや、少女はただの恋する乙女ではありません。立派な科学者です。(でも、少女は若いので、決定的な失敗をしてしまうのですが。まあ、その失敗が青年によってフォローされるところまで、運命の初期設定が済んでしまっているところが、この動画の物語に仕込まれたハッピーエンドというお約束の仕組みなのですけどね。)

たいていの人は、タイムマシンがあったら良いなと思っても、実際にそれを作りだしたりはしませんね。

では、次にこういうのはどうでしょうか。好きな人のようになりたくて、自分で何かをはじめてしまった。そして、実際にそうすることに夢中になってしまった。

“Bend It Like Beckham”(2002)というイギリスの映画があります。日本では『ベッカムに恋して』というタイトルで、2003年に公開されました。

でも、原題からわかるように、主人公の少女はただベッカムとの妄想的恋愛に耽っているのではないのです。

彼女は、家庭のルーツであるインド系の伝統にとらわれず、自由にフットボールに打ち込みたい。デイビット・ベッカムというサッカー選手は、右足で美しい軌道を描くフリーキックやロングパスを蹴り出しました。彼女もベッカムのようにボールを曲げたい(Bend It Like Beckham)のです。

美しくボールをベンドするベッカム選手のプレーを見て、それに見とれているだけでは飽き足らず、実際に自分もそんな軌道を描くボールを蹴ってみたいと思い、何度もボールを蹴飛ばしてみる。

もちろん、最初は上手くいかないし、そんなことをしていても、周囲の人たちはほとんど褒めてくれないのだけれど、やはりベッカムのようなボールを蹴りたいという強い思いは止まない。何度でも、実際にボールを蹴ってしまう。

そうしているうちに、その人はフットボーラー(サッカー選手)になる場合があるのだと思います。

それが自主性と呼ばれているものの実態です。

私は初めに言いました。学習において大切なことは自分で考えることだと。

理由は何でも良いんです。

実際に自分で試行錯誤をして、何度もトライしてみることが大切です。

それが学びにおける、ひとつの重要なかたちだと思います。

そして、そのようなことを飽きることもなく続けられるのには、何かと同じようになりたい、それと同じように何かできるようになりたい、という持続する強い想いが必要です。

そういった強い想いにかられるのは、物語の主題になる恋愛と同じで、私たちにとって奇跡的な経験。めったにあることではないのです。

そういったチャンスを見逃さないこと、そういったチャンスが少しでも多く転がっていそうな環境について常にサーチしておくこと、そういったことが実際に奇跡的な出会いをものにするためには欠かせません。

ぼやーっとしていても、ミラクルは起きないんですよ。めったにね。

観察力と注意力を鋭くして、世界をよーく見たり聴いたりしておく必要があるんです。

それが成長のためには重要だと思います。

自分で考えられる人って、そういう感覚に長けた人が多いです。

そのように思いました。

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