「頭ではわかっているんだけど、上手く言えない」

「頭ではわかっているんだけど、上手く言えない」

あるタレントがそんな旨の発言をある番組でしていた。

果たして、そうなのだろうか。そうかもしれないが、やはり、そうではないかもしれない。

「言葉にできない」ことというのはありそうだ。

山下達郎さんが「言葉にできない」と歌っているくらいだから、やはりそういうことはありそうである。

あの曲で山下さんは「言葉にできない」と言い切っている。(その後で「ラララ」とメロディーを朗らかに歌い上げてもいるよね。)

山下さんは、言葉にできないことを言葉にはできていないのだが、(それは当たり前だろうね、)何かが言葉にできないということはきちんと言葉にできている。

私たちは「言葉にできない」ということを言葉で確かめることができる。そういった経験は多くの人が知っているだろう。

どうしても言葉にならなくて、「くぅ」と唸るしかないとか、身体が震えて落涙するばかりで、口を開いてもそこからなかなか音がでてこないという類の経験だ。

でも、そういうことがあるというのを知ることができるのは、そういうことがあるということを言葉にして説明することができる人たちだけである。

「頭ではわかっているんだけど、上手く言えない」という旨のことを言っていたタレントは、たぶん、頭の中でもわかっていなかったと私は思う。

そのTV番組では、エアコンで冷房の25℃と暖房の25℃というのは同じなのか、違うのか、違うとしたら、どのように違うのか、ということが話題になっていた。(まあ、くだらないねw)

実際、エアコンで冷房の25℃と暖房の25℃というのは違う。冷房というのは室内の気温を下げる機能であり、暖房というのは室内の気温を上げる機能である。(だから、室温が30度のとき、暖房を25℃設定で運転しても、エアコンの電源は入るが、エアコンは動かない。)全然、違うよね。

そのタレントは、室外の気温から25℃下げるのが冷房の25℃であり、室外の気温から25℃上げるのが暖房の25℃であると言っていた。それは実際とは異なる説明だが、番組で既にそのタレントはそういった説明を済ませていて、それなのにその他の出演者たちがその物言いを理解してくれなかったのである。(そんなに難しい話ではないのだけれど、まあ、仕方がないよね。)そのタレントは、周りの他のタレントたちが理解をしてくれていないということは理解できている。そうだとしたら、何とか理解してもらうには、別の説明の仕方を要するだろう、でも、どのように説明すれば良いのか、わからない。そうした状況をして、そのタレントに「頭ではわかっているんだけど、上手く言えない」と言わしめたのだと思われる。

では、そのタレントは、その「上手く言えない」ことについて、頭でわかっていたのだろうか。

そのタレントが言えていないのは、既に行った説明そのものではなく、それと同じことを違った言い方で伝える説明(=わかりやすい説明?)である。

そのタレントはそういう説明を発想することができなかった。(だから、「わかりやすく」説明できなかった。)発想することができないのだから、それは頭の中に無いことであろうね。

たぶん。

どうだろう。

私たちは「言葉にできない」という言い方で、実際は言葉にする能力が無いことをごまかしてはいないか。

私が高校で学んでいたとき、恩師はよく言ったものだ。

「頭の中でわかっているのと、言葉にできるのとは、ずいぶんと違うことだから、言葉にしなさい」

耳に胼胝ができるほど、言っていただいた。

その意味は充分に理解できなくとも、そうなのだろうなという直感はできたから、頭の中だけでわかったつもりにならず、書いた。言葉にした。自分なりの仕方でしか書けなくても。

そのお陰だと思う。

私は言葉にして考えることができるようになった。少なくとも、ここに書いてあるような仕方で書き、書いて考えることはできるようになったのである。

本当にそれは恩師のお陰だと思っている。今はもう、会ってお礼を言うこともできないが、私の中で恩師への感謝が絶えることはない。

ありがとうございます。

書くことをバカにしてはいけないのである。自分なりの仕方でしか書けないとしても、である。

はい。

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