「田植え」はもう要らない

誰が言い出したのか、今となっては知るよしもない。先生たちは「田植え」とひそひそ話で言い合ったそうだ。少し前かがみで席を回り、生徒の答案を指で押さえる姿が、そう見えたからだという。

「わたしらの先生はテストの時にぐるぐる回ってきて、間違っていたら、黙って指で押さえて教えてくれた」

およそ半世紀前の一九六一~六四年、文部省(当時)主導で行われた「全国学力テスト」。全国一位を競った香川県と愛媛県で起きた問題を、大学教授らが調べた報告書「『学テ教育体制』の実態と問題」には、当時の出来事が克明に記録されている。

愛媛県の事例では-。

答えを書いた紙片を見えるようにヒラヒラさせて教室を歩き回る先生。「今度は(平均点を)八十六点ぐらいにしましょうか」と聞く教師に「それでは高すぎて困る。七十八点ぐらいにしておいてくれ」と応じる校長。東京の週刊誌記者に「不正ではないか」と“田植え”について問われ、「善意の行為は不正とは考えない」と答える教育長に、「先生も子どもも懸命なのだから“善意の勇み足”でしょう」と言い添える自民党の県連幹事長-。
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中日新聞の記事が、およそ半世紀前に実施されていた「全国学力テスト」に係る事案を紹介している。

予備校の講師をしていた時代、毎学期、アンケート調査があった。いわゆる「顧客満足度」を調査し、予備校が講師を査定するという体である。

ただ、私はそのアンケート調査票を見て、調査の合理性が理解できなかった。あるいは、他の予備校講師がアンケート調査の日にしていることを知って、ますますその合理性を疑った。

例えば、アンケートには「講師は受験情報を伝えていますか」という質問項目があった。

「受験情報」って何だ?

私はその予備校で講師としてはたらくまで、そんな用語を知らなかった。

受験情報だから、受験に関わる情報だろう。そんなの、予備校の授業は受験勉強の対策が主なのだから、授業で私が伝えているほとんどのことは受験に関わる情報だ。

それに、「受験情報を伝えるよ」と言わないと、この質問項目の評価はあまり高くならない。そういうことにも気がついた。

実にバカバカしい。

アンケート調査がある日は予め分かっているから、それ以前から計画的にその「受験情報」という言葉を授業中の発話や配布する教材の活字に混ぜていくのである。講師たちは、そういう仕事をしていた。

そんな仕事が生徒たちの受験的学力の保障の何に役立つ?

本当にバカバカしく感じたのを覚えている。

また、ある講師は、アンケート調査中に机間巡視をして、回答内容を確かめていたらしい。複数の生徒やスタッフ、あろうことか講師本人の証言もあるくらいだから、本当にそうしたことがまかり通っていたのだろう。そうして、低い評価をつける生徒が現れるのを防ぐのだ。

そんなアンケート調査、フェアでも何でもない。

全く、バカバカしい。

予備校講師のなかには、生徒の受験的学力を向上させることよりも、そういったアンケート調査の評価を高めることに腐心するものが少なくなかった。

結果、高校3年生の授業の最後のアンケート調査が済んだら、そういった講師は指導の手を抜くのである。

かわいそうに、そこまでその講師を信じていた生徒たちは、そこで裏切られる。

当然、受験的指導は入試の直前まで続く。直前になるほど、そうした指導で忙しくなることは多い。

なのに、そうした講師はその時期に手を抜く。生徒の質問にも、答えない。授業の質も目に見えて下がる。

そうした実際に気付き、失望した生徒たちは、例年、冬休み前になると、私のクラスにやってきた。私は最後まで手を抜かなかったからだろう。

予備校の仕事は授業時間以外に時給がつかない。だから、授業前後に生徒の質問に答える仕事はボランティアである。でも、私はそこまで含めて、授業時間の時給に反映されている、そういった労働契約だと思っていた。

私のアンケート評価はいつも、中の上くらいの成績だったと思う。それで良いと思っていた。私のことが嫌いな生徒は当然いるだろうし、私の授業だけがその予備校の授業なのではない。他の先生の下で学んで、成長する生徒だって、いるに違いないと思っていた。

それに、アンケートの評価を高めるためだけの仕事はしたくなかった。それはとても奇妙で意味のない作業だと直感していたからである。

その予備校の中には、そういった考え方を共有できる講師やスタッフが何人かいた。そういった方たちと連携・協力ができたことは、生徒の指導上、たいへんに有効で重要なことだった。

私が担当していたのは国語(現代文・古文・漢文)、国語だけで合格できる大学入試は無い。だから、他教科・他科目を担当する講師との連携が重要だったし、経験の浅い私にとって、同じ国語科のベテラン講師のアドバイスや指導が得られたのはたいへんに心強いことであった。

予備校の人事・給与査定で、アンケート調査は適切でも有効でもなかった。私はそういうことを思い出した。

教育社会学の本田由紀先生が紹介したのは、国際的な教育研究を得意とする畠山勝太先生が執筆した記事だ。畠山先生の記事は本ブログでも何度か紹介している。

大阪市の吉村市長は、学力テストで具体的な数値目標を設定し、その目標達成の程度に応じて、市の教員のボーナス支給額や市立学校に配分する予算額を増減させる方針を示した。

今回、大阪市長が採用しようと企てているような給与支給の仕方をメリットペイと言うそうだ。

畠山先生はメリットペイの給与制度を採用する場合の問題点として、①教員の協働性の阻害、②不正行為の横行、③不公正性(困難校に勤務する教員が報われない)を指摘してる。

そもそも、日本の教育は国際的に高い質を保っていた。

そういった教育が可能だったのは、日本社会でエスニシカルな均質性が高かったこと、それに伴って大半の児童・生徒が日本語で学べたこと、塾や通信教育などの私的教育への投資が盛んなこと、現場の教員がものすごくがんばっていること、公費による公教育への投資がおおむね均質であったことなどが理由であると畠山先生は説明している。

そういった状況が変わりつつある。

畠山先生は大阪市の教育に係る今回の事案を「教育を専門としない人物が専門知を無視して教育政策に乗り出してくるという日本の現状を象徴する問題だ」と説いている。

その通りだと思う。

こういった場合、非専門家は、専門家の知見に学んだ方が良いし、専門家の適切な活動を妨げない方が良い。

私もそういった非専門家の一人である。

そのような場合、非専門家たちにできるたいへんに重要なことは、適切な教育政策を支持することである。私たちは主権者なのだから、そうした責任があると思う。

科学的に適切な教育政策を支持したい。

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