不得意を得意の引き立てに活きる持ち味にできたら、個性と呼べるものが見つかるでしょう。上手くいかないときや上手に出来ないときに、開き直っても上手にはなりません。マンガや絵の魅力というのは、決してその完璧さのことではありません。
マンガ家の椎名高志先生がそういうことをおっしゃっていました。
私はマンガを書くことも絵を描くこともしないので、そういったことについてはほとんど想像しかできません。
でも、椎名先生のおっしゃることは納得できます。
「不得意」、あるいは弱さというものを上手く利用することができるようになるのが強さです。
苦手や未熟さと共存できるのが強さだとも言えるでしょう。
子供を育てたり、年老いた人と共に生活したり、
そういった経験を通して私たちが理解するのは、
できなくても正しくなくても無条件にパートナーの存在を認める、というタフネスの大切さです。
そういう強さは、私たちの社会であまり「強さ」だと認められないようでもあります。
そういった強さは数値で計量されません。ですから、対価として金銭が支払われることも、他者と比較されることもありません。
私たちの社会には、計量して金額化できること、数値化して他者と比較できることにばかり関心を向ける人たちがいます。
弱きものと共存するために、あるいは弱い立場の人が生きやすくなるように、数学的な仕方で工夫を続ける人たちがいます。
後のような仕方を選び取る人たちは、先のような金銭や比較による自己顕示に終始する人がおかしがちなミステイクにも対応してくださっているので、実に大変です。
でも、そういった人たちの工夫のおかげで社会のリスクは逓減していくし、そういった工夫と同じくらい前述した「タフネス」は重要です。そういう学術的だとも科学的だとも思われないことが多い仕事(場合によっては「仕事」だとも見なされていない仕事)によって私たちの世界の大半が成り立っているからです。
そういう仕事をする人たちには「個性」的な人が多いです。完璧でなくて、魅力的な人が多いと思います。
椎名先生のお話から、そんなことを考えました。
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