暗記と理解

「国語は全教科の基礎」

そんな話を聞きます。ほとんどの授業が日本語で行われ、教科書も試験も日本語で書かれる環境なら、それも当然ですね。

でも、多くの生徒は言います。

「国語って、どうやって勉強するんですか?」

試験に臨むにあたり、古典(古文・漢文)の勉強が必要なのはわかる。あれは外国語のようなものだ。試験に古典の出題があるなら、勉強しないと得点できない。そのように生徒たちは考えます。

でも「現代文」の勉強は?

日本語なら日常的に話している。その読み書きに大きな不安があるとも思えない。でも「現代文」の試験で得点できないことがある。一体どうすればよいのか。そのように生徒たちは途方にくれているわけです。

数学者で国立情報学研究所社会共有知研究センター長・教授の新井紀子先生がTEDでプレンテーションをなさっています。

そこで新井先生は東大入試合格に挑戦するAI「東ロボ」の開発プロジェクトを通して、人間の知性について考えたことを語ってくださる。

英語のスピーチだが、新井先生の英語は聴き取りやすいし、日本語字幕がついたバージョンもあるので是非きいてみてください。

プレゼンテーションの前半で新井先生は「東ロボ」がどのようにして試験の設問に解答するのか、その仕組みを概説しました。

設問パターンを把握し、その把握をさらに簡素化し、数語(2~3語)程度の単語を検索することで「解答」を導き出します。この手法で「一問一答式」の問題や「正誤判定」の問題などは、統計的に高い確率で解答できるというわけです。

検索と最適化の技術を応用するのです。

それだけではない。東ロボくんは数学の問題にも解答します。

新井先生たちは数学の問題を読み取るために必要な用語(日本語による数学用語)や数学的公理を東ロボに与えます。その語数は8000語、公理の数は2000種類に及んだそうです。その上で東ロボは数学の設問を「記号化」し、プログラミングとして理解して、それに解答します。出来上がった解答は初めはプログラミンそのもの。そのままでは数学の先生も理解できません。それを今度は日本語や数式を使った仕方で書き換えます。

そういうシステムにより、東ロボは東大2次試験レベルの数学に解答できるようになりました。新井先生によれば実際の試験で「上位1%の成績」をおさめたそうです。

すごいことですね。

でも、東ロボくんは東大に合格できませんでした。

新井先生はその理由を説明します。

「意味をまったく理解していないからです。」

東ロボは日本史や世界史の問題に解答することができても、日本史や世界史の教科書を読んでいるわけではありません。先に見たように、問題を簡素化・単語化し、その上で検索と最適化の技術を使って解答しているにすぎないのです。

だから、東ロボは100億語以上の英単語を暗記しても、大学入試センター試験レベルの英語問題で失点します。

それはこんな問題です。

―――
Nate: We’re almost at the book store. We just have to walk for another few minutes.

Sunil: Wait.【    】

Nate: Oh,thank you. That always happens.

Sunil: Didn’t you tie your shoe just five minutes ago?

Nate: Yes,I did. But I’ll tie more carefully this time.

問 【   】に入る英文として最も適当なものを一つ選べ。
① We walked for a long time.
② We’re almost there.
③ Your shoes look expensive.
④ Your shoelace is untied.
―――

いかがですか。

よかったら、みなさんもお考えください。

決して難しい問題ではありません。

正解は④ですね。

でも、東ロボくんは②だと解答してしまいました。

たくさんの情報を知っていても、それを組み合わせることはできても、今のAIの能力では「読解」ができないのです。

読んで理解する、ということができないのですね。

複数文が文章を構成するとき、その意味を理解するのには膨大な量のデータが必要です。新井先生の推定によれば500億文規模の複数文データが必要で、そういった規模のデータは世間に存在せず、統計的データが得られないそうです。

複数文によって構成される文章、要は普通の文章の自然な意味を推定することにおいて、東ロボは決定的に「苦手」を有します。これは他のAIにおいても同様だと思われます。

それでも、東ロボは大学入試センター試験(と思しき試験)で上位20%の成績に位置しています。新井先生によれば、日本の7割以上の大学に合格可能だそうです。(※動画では6割以上となっていますが、これは言い間違いであったと新井先生がご自身のツイッターで訂正していました。)

新井先生はその結果に懸念をおぼえました。

「どうしてこのあまり知性的じゃないAIが私たちの子供の成績を凌駕できてしまったのか」

新井先生は人間の世界で起こっていることを調査することにしました。

先生は中高の教科書から数百個の文を取り出し、簡単な選択式問題を作りました。それを数千人の中高生に解答してもらいます。

例えば、こんな問題です。

―――
「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。」

問 上の文を読んで「オセアニアに広がっているのは(   )である」という文の空欄を正しく埋めるとき、空欄を埋めるのに最も適当な語はどれか。1つ選べ。

① ヒンドゥー教
② キリスト教
③ イスラム教
④ 仏教
―――

みなさんも、考えてみますか?

どうでしょう。

答えは②ですよね。文に書いてある通りです。

でも、この問題に37%の中学生、27%の高校生が誤答しました。

約3割です。

他の問題でも同様の傾向が見られました。

中高生の3割は教科書の日本語文が読めていない可能性がある。

新井先生の研究はそういう可能性を示唆しています。

また、これは日本に限った問題ではないかもしれないと新井先生は指摘します。

OECD加盟諸国が参加している「学習到達度テスト」で日本は上位に位置しているからです。

先にあげた動画の最後で、新井先生はこのように言っています。

「子供の能力を伸ばせるような優れた教材がweb上で無料公開されている。それにインターネットで誰もが自由にアクセスできる。そうなれば誰もが学べる。私たちはそう思っていました。でも、そのような学習機会があっても、それを活かせるのはちゃんと文章を読める子供だけで、しかもそういった子供の割合は私たちが思っているよりずっと少ないのかもしれません。」

私は新井先生の意見に肯きます。

私はインターナショナルスクールで日本語の授業を担当していますが、そこで生徒たちに「暗記ばかりしないで、理解しよう」とうったえます。

考えてほしいのです。読んで理解してほしいのです。

定期テストの試験範囲を確認したとき、ある生徒が私に質問しました。

「これもおぼえるんですか?」

生徒はそういうことを私に聴きます。

例えば、中学2年生でとりあつかう「平家物語」について、「祇園精舎」について「おぼえる」としましょう。「諸行無常」について「おぼえる」としましょう。

ある教科書を見ると、祇園精舎については「釈迦が仏教の教えを説いたインドの寺」という説明があり、ある辞書で調べると諸行無常という見出し語は「仏教で、世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということ」という語釈があります。

こういった説明や語釈をおぼえる(暗記)することは、それほど難しいことではありません。少なくとも試験に対応するだけなら、短期記憶的にそういった表現を丸暗記してしまえばいいのです。

もし、そういった暗記によって得点できる問題が出されるならば、テストでの成績も多少は良くなるでしょう。

でも、それって何か意味があるんでしょうか。

祇園精舎というのは、インドの古代国家、コーサラ国の首都にあった寺院で、釈迦はそこで説法を行ったと言われています。諸行無常は仏教の根本原理のひとつだそうです。「無常」というのですから、「常なるものは無い」といった理解がまちがっているとは言えないでしょう。でも、そういった情報で私たちが何か心理的な成熟を遂げるわけでも、言語的に何かしらについての理解を深めるわけでもありません。宗教的にもほとんど意味はないでしょう。

だから、私はそういった言葉の意味それ自体を試験で生徒に問おうとは思いません。

そういう知識は、知識ではあるけれど、情報に過ぎない。そのままでは意味をあまりなさない情報です。そういった情報を手に入れること自体は難しくない。それこそ、ネットでも調べられるし、電子辞書で調べてもいいだろうし、教科書にも説明が載っていたりします。そういう知識を覚えている、暗記しているということは決して無駄ではないだろうけれど、肝心なことは「ぎおんしょーじゃ(祇園精舎)」とか「しょぎょーむじょー(諸行無常)」といった音韻を含んだ、あの一連の音のつながり方に身を馴染ませることであろうし、もし宗教的なことに関心があるのなら、充分な時間をかけてそういったものに肉迫すればよい。

だから、そういった情報を暗記する必要はないよ。そのように私は考えます。

一方で『平家物語』の冒頭、「祇園精舎」ではじまるあの一節は暗唱がすすめられます。私も授業では暗唱をすすめます。それは音の響きや言葉のつながりとして上出来な箇所だと思うからで、暗唱しないまでも「遠く異朝をとぶらへば」の箇所も、その後の「近く本朝をうかがふに」の箇所も、教科書を見ながらで構いませんから、音読して音韻の響きや語のつながりの調子を味わっていただきたいと思います。

でも、このように言うと「全てを暗記しなくてはいけないのか」とか「どこまで暗記してどこからは暗記しなくていいのか、明確に示してほしい」とか、そういった問いや注文が付くことがあります。

いや、暗記できるなら暗記してもいいんですよ?

どこまで暗記するかはみなさんが決めればいいことです。そもそも「祇園精舎」ではじまる部分も暗記したくなければしなくていいんです。

私はそのように思うし、そのように説明するのですが、生徒たちの中には納得のいかないご様子の方もおられます。

わかりますよ。テスト勉強で「なるべく勉強量を減らして、なるべく高い得点が取れる」ようにしたいんですよね。そのためには出題の有無や出題の仕方に関する情報をなるべく具体的に手に入れたいのですよね。

わかります。そういった考え方もあって良いと思います。

でもね。

そういう考え方を採用していると、だんだん「暗記する」と「理解する」の区別がつかなくなってきませんか?

何でもかんでも「暗記する」仕方を採用していると、文章内容や数式で説明される論理について理解することが億劫になったり、困難になったりするでしょう。

そうすると国語も数学も、

だんだん試験問題に解答することが難しくなってくるのではありませんか?

新井先生はスピーチの後にこんなことを言っていました。

「私たち人間は意味を理解することができます。これはAIにとてもとても欠けている部分です。ですが、多くの生徒たちはただ知識を集めて詰め込んでいるだけです。その意味を理解をしていません。それでは知識になりません。それはただ暗記しているだけです。AIにも同じことができます。だから私たち大人は新しいタイプの教育の仕方を考える必要があります。」

新井先生はpackという語を使って説明しました。カバンなどに物を詰め込むときに使う言葉です。

カバンに物を詰め込むような仕方で情報としての知識を蓄えることはAIにもできます。AIの方が上手です。AIは手に入れた天文学的な量の情報を高速で検索し、統計的情報にもとづいて最適な解答を示すことができます。天文学的な量の統計的情報を高速かつ正確に処理することは、AIにはできても、人間にはできません。同じ仕方では勝ち目がないでしょう。

AIと勝ち負けを争わないとしても、意味が理解できないということは重大な問題です。社会的活動、特に経済的活動に支障をきたす可能性があります。それは社会的に、あるいは経済的に不利な立場に陥ることを意味します。

私たちの身体は私たちがサルから人間になった何万年も前から、ほとんど変わっていません。脳もそうです。

でも、私たちの働き方は変わりました。それに伴って、私たちの生活の仕方や私たちの生き方も大きく変化しています。

私たち人間は動物と比べて高度な知性を持っていると考えられています。言語運用能力はその1つです。そもそも、非常にたくさんの具体的実際の中から共通して得られるイメージ的性質をぬきだし、それに記号としての名前を与えるという言語運用自体が他の動物の知性には見られないものだとされています。

私たちは意味を理解できなくても、情報としての言葉(単語)を使用するだけで、他の動物に対して大きなアドバンテージを得ました。

では、AIに対してはどうでしょう。

あるいは多くの人たちが単純に情報を手に入れるだけではなくて、運用する立場になった現代社会での生活においてはどうでしょう。

そこではやはり「意味を理解する」ということが重要になります。

単語レベルでの検索を行ったり、短いセンテンスに含まれる特徴的な言葉づかいに注目するだけではなくて、

センテンスとセンテンスとのつながりについて考えたり、複数の発話者の発言情報を統合したりして、その場において立ち上がる意味を理解することがとても重要になります。

「国語は全教科の基礎」

もう、おわかりですね。

日本語に限らず、言語運用能力を鍛え、様々な言語表現を聴き取ったり、読み取ったりしてその意味を理解することは重要なのです。特に母語運用能力(あるいは母語に類する基礎言語の運用能力)を鍛えることが大切です。

日本語について考えましょう。

日本語なら日常的に話している。その読み書きに大きな不安があるとも思えない。

あなたがそのように思っておられるとして、それはどの程度まで「本当」ですか?

私たちは「意味を理解している」のでしょうか。

毎日、たくさんの言語表現に出会いますよね。

私たちの生活は言語であふれています。小学校や中学校・高等学校で学ぶ子供たちも、それは同じです。

その膨大な言語的情報、言語表現について「私たちはその意味を理解しているのか」、慎重に考えるべきかもしれません。

私はそのように思います。

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