2015年10月27日
「流動する」小さな共同体の強さ

こんにちは。穎才学院教務です。
働くこととは、どういうことなのか。チーム(組織)とは、どういうものなのか。
健やかな労働と個人の権利について、世の中では経営者も労働者も大切なものを見失いつつあります。
1960年代なかばから1970年代はじめにかけて、『昭和残侠伝』という映画シリーズがヒットを飛ばしました。高倉健さんが主人公・花田秀次郎を演じた東映仁侠映画シリーズの傑作です。
極道の世界に全く縁の無い少年たちが、映画館にどっと押し寄せ、しばしば劇場は立ち見でいっぱいになるほどだったと聞いています。
いったい当時の少年たちの心をうったのは『昭和残侠伝』という物語の何だったのでしょうか。
それは、政治的な「大義」や「正しさ」より、国家の「利益」や「威厳」より、寝起きを共にし、飯を一緒に食い、酒を酌み交わし、祭りや葬儀を共にする身近な小集団を大切にする主人公の心意気です。
当時は、「戦後」が終わり、高度経済成長の絶頂にあった時代。日本人全員が「自分がよければそれでいい」という自己利益を最優先する生き方をチョイスするようになっていました。確かにそのような安全で豊かな社会においては、私たちは特に誰にも頼る必要が無い。
でも、私たちは少しずつ「自分さえよければそれでいい」という生き方にウンザリしてきました。強い者が弱い者のために頑張る。仲間のために身体を張る。そのような生き様に私たちは再び心ひかれはじめたのです。
そうして登場したのが『ONE PIECE』の主人公、モンキー・D・ルフィでした。ルフィは物語の中の巨大勢力である「世界政府」にも「海軍」にも属しません。
世界政府には世界政府の道理や秩序がある。海軍には海軍のそれがある。そして、それぞれの道理や秩序には、それぞれの筋がきちんと通っている。その点で、確かにその道理や秩序には一理あるのだが、でも一理しかない。だから、ルフィたち「麦わらの一味」は彼らの道理と秩序を大切にするのです。
いろいろなものが共生していて、対立があったり和解があったり、同盟があったり裏切りがあったりする社会。それぞれのメンバーが次の瞬間にどんな行動を選択するのか、誰も上手く予測することなどできず、ワクワクドキドキしながら生活できる社会。
ルフィが目指しているのはそのような世界です。それはひとことで言えば「海賊」の世界。
それぞれのメンバーにはそれぞれの夢や目標があっていいし、短所や問題点があって良い。みんなが、それぞれの持ち場で、それぞれ好きなことをやっている。でも、そのメンバーの誰一人として「自分さえよければそれでいい」とは思っていない。
「麦わらの一味」のメンバーたちは、一人ひとりが固有の物語を持っています。彼はここにたどりつく前にどこでどのようなことをしていて、そしてどこへ行こうとしているのか。彼女はここにやってくる前にどんな人として誰に知られていて、そしてこれから何をしようとしているのか。そういった物語が、「サンジ」にも「ナミ」にも「チョッパー」にもあるのです。
彼らはどこかからやってきて、いま海賊船(サウザンドサニー号)に乗り合わせている。そんな彼らはいつか、ここではないどこかへ旅立つでしょう。ルフィとの冒険の後も、彼らはそれぞれに素敵な物語を生き続ける。そんなことを予祝(予めお祝いする)のが、麦わらの一味の心意気なのです。
どんなに正しい主張に基づいていても、ただ1つの論理によって集団を束ね固定するのは邪悪です。それは、そのような束縛や固定が人間の生命力を損なうからです。
人間は常に変化するものであり、運動するものです。子供たちを型にはめてはいけません。大人を何かに縛りつけてはいけません。不安定であり、流動的であり、活動的な方が、ドキドキワクワクするのです。
正義や秩序は確かに私たちの世の中に必要です。でも、それだけでは生命は枯れて死んでしまいます。そのことを私たちは忘れてはいけないと思います。
2015年10月26日
誰かに「届く」言葉

こんにちは。穎才学院教務です。
秋が深まり、受験生の作文指導をする機会が増えてきました。
大学受験の小論文でも、中学受験の作文試験でも、私は「書き方」をほとんど教えません。それは、子供たちの言葉を型にはめないためです。
型にはまった言葉を延々と聞かされると、人間はひどい疲労にさいなまれます。
大学入試で受験生の「志望理由書」や「小論文」を大量に読まなければならない大学教員は、この手の型にはまった文章を読むと、本当に「嫌になる」のです。
自宅やオフィスにかかってきた電話に出て、それが浄水器やコピー機の営業の電話だったりすると、ひとことめでわかりますよね。あれって、営業電話の言葉遣いには、営業トークという刻印がくっきりとおされているのです。営業している側のご本人はきっと気付いていないけど。
誰かに届く言葉というのは、「その話し手しか発することができない何か」です。他の人には言えない、書けない、その人(話し手)がいなくなったらこの世からそのような言葉の使い手は消滅してしまう。そんな言葉は聴き手にきちんと届きますし、人の心や身体をじわじわと温めます。
写真はシステムエンジニアでシナリオ作家の吉村麻之さんのHPから頂戴いたしました。冷蔵庫についた小さな黒板には、吉村さんと奥様(HPでは「御大」と呼ばれています)がお気に入りのカエルのぬいぐるみが可愛く取りついていて、1歳になられた娘さん(HPでは「娘氏」とか「松平」とか呼ばれています)をめぐるメッセージが記されています。
この写真は吉村さんのHP「むきりょくかん。」(http://mukiryokukan.sakura.ne.jp/index.html)の日記(10月13日)に載せられたものです。この日記より少し前、この小さな黒板がインターネット上でちょっとした話題になりました。たくさんのニュースサイトが「御大」さんの書かれた黒板を紹介したのです。
なぜ、この黒板がそんなに話題になったのか。それは、この黒板に書かれたメッセージが誰かに「届く」言葉だったからです。「御大」さんが吉村さんを宛て先として記したメッセージであり、「御大」さんにしかできない息遣いとしての言葉であるこの黒板のメッセージは、ネット上で多くの閲覧者の胸をうったのでした。
こういうことを言う人は、あまり多くありませんが、言葉において大切なのは、その意味内容ではなく、その響きや雰囲気です。
誰かが誰かに宛てて届ける言葉が、きちんと響く良い雰囲気をまとった言葉であれば、その言葉は必ず誰かに届きます。
そして、そのような言葉を受けとると私たちの心と身体は元気になるということも、また大切なことです。「御大」さんにしか出せない響きと色あいを持った言葉に抱かれながら、すくすくと育つ「松平」氏はきっと健やかな少女、やがて女性になられるでしょう。
最後になりましたが、日記のご紹介を許可していただいた吉村さん。ありがとうございます!これからもご家族で健やかにお過ごしください。
2015年10月23日
「浜ちゃん」や「寅さん」が楽しく生きていける世の中を。

(番組HP http://www.tv-tokyo.co.jp/tsuribaka/ より)
今日の東京都心は、少し肌寒い天気ですね。みなさん、風邪などひかないでくださいね。
こんにちは。穎才学院教務です。
本日23日からテレビ東京系列で『釣りバカ日誌 新人社員浜崎伝助』がスタートします。
ぼくは「釣りバカ日誌」シリーズの「浜ちゃん(浜田伝助)」や「男はつらいよ」シリーズの「寅さん(車寅次郎)」のような人が健やかに生きていける世の中がいいなと思います。
マンガ『釣りバカ日誌』の浜ちゃんは、会社にいっても仕事もせずに釣りのことばかり考えています。映画「男はつらいよ」シリーズの寅さんは、いつまでたっても定職になんか就きやしません。
浜ちゃんは成果主義の会社ではあっというまにほされてしまうでしょう。寅さんは、ある意味では、ただの中高年フリーターです。
浜ちゃんが勤める「鈴木建設」は、大手ゼネコンという設定ですが、浜ちゃんのような社員を養うことができる魅力的な企業です。
寅さんが帰る柴又帝釈天の門前町が温かいのは、寅さんや寺男の「源公」(佐藤蛾次郎)がそこそこ健やかに生活することができる、厚みのある人のつながりがそこにあるからです。
世の中にはいろいろなひとがいます。何かが得意な人もいれば、何かが不得意な人もいます。そして、どの人もそこそこ幸せに生活を営む権利がある、というのが私たちの世界の条理です。
仕事ができる人もできない人も勤められる会社があったらいいなと思います。釣りが得意な人も苦手な人も乗り合わせる釣り船は、なんだか楽しそうだなと思います。
2015年10月22日
『カレーライス!!』のすすめ
東京都心は今日もお天気です。
みなさま、おかわりありませんか。
こんにちは。穎才学院教務です。
いま、とてもお腹が空いています。これからお昼ごはんなのですが、よりおいしくお昼をいただくために、ごはんの食べたくなる日本語を読もうと思います。
選んだのは、PARCO出版『アンソロジー カレーライス!!』の中から久住昌之の「カレーライス」という文章です。
カレーライスも危険な食べ物だ。
あの匂いには、食い意地を凶暴化させる何がある。
空腹時に吸引すると食欲が瞬間沸騰する。
家でカレーライスをやると、絶対に2皿以上食べる。腹が完全にいっぱいになるまで食べないと、納得しない。
最後の半杯は皿を片づけに行った台所に立って食う。どうかしてる。わかっている。行儀悪い。自覚してる。でもどうにもできない。
ガツガツ食う。少し冷めたのを、少し冷めたのを飯にかけたのもウマイ。完全に冷えたのを熱い飯にかけてもウマイ。熱くないからスピードがつく。早すぎて実は味もよくワカンナイ。でもいい。(『アンソロジー カレーライス!!157〜158頁』)
ああ!無性にカレーが食べたくなる文章です!
マンガ『孤独のグルメ』で有名な久住先生の文章は、カレーをガツガツ食べる感じとか、カレーを食べるスピード感とか、そういう大切なものが伝わって来ます。
お昼ごはんが楽しみです!
2015年10月21日
得意科目と進路選択
こんにちは、穎才学院教務です。今日も東京都心は過ごしやすい天気ですね。
昨日、授業後にある生徒から進路の相談を受けました。
ちょうどいまくらいの時期になると、高校1年生は文理選択、高校2年生は来年度の受験に向けた志望校の選定をせまられるようですね。
質問の内容は「私は数学が好きで英語が得意なのだけど理系と文系のどちらを選択するべきか」というものでした。
こういった質問を子供から受けた時、得意科目を活かす方法や受験・就職活動上有利な選択を提示しようとする人たちがいますが、それは練りの足りない応答の仕方だと言わざるを得ません。
私は「進路のドアにはドアノブがついていない」という話をその生徒に宛てて贈りました。
多くの人が勘違いしていますが、進路というのは選択できるものではありません。
向こう側から、開かれるものです。
そもそも、私たちは自分にどんな適性や潜在能力があるかを知りません。でも、「この仕事をやってください」と誰かから頼まれることがある。その仕事を引き受けて、やってみると上手くいったり上手くいかなかったりする。そうしているうちに、だんだんと自分自身が何に向いているのかということがわかってきたり、その人の能力が培われていったりするのです。
そして、仕事の能力についての評価は、働き手による自己評価より、働き手以外による外部評価の方がだいたい性格です。ということは、仕事を依頼されたなら、誰かがその仕事について「できる」という評価を下したということで、きっと大丈夫だろうから是非その仕事を引き受けた方が良いのです。
「進路のドアにはドアノブがついていない」といのは、そういうことです。
得意科目を活かして進路を選ぼうとする人がいますよね。それって、裏を返せば、苦手科目に関する進路は選択出来ないということです。気付いていない人が多いのかもしれませんが、これって、結構切ないことです。「お前は下手くそやから、それやったらあかん!」と言われてガッカリする人はいても、嬉しい気持ちになる人はいないでしょう?それよりも、思いもしないことについて、突然「あんた、それ向いてるで。どんどんやり!」と言われる方が、きっとドキドキすると思いませんか?

NHKの朝ドラ『あさが来た』、今週のクライマックスは、主人公「あさ」(波瑠)が奈良の豪商「玉利友信」(笑福亭鶴瓶)に「あんた、もうじき日本一の女あきんどになるで」と予言されるシーンです。両替商「加野屋」に嫁いだあさは、幕末・維新の混乱に巻き込まれ経営が傾きかけた加野屋の危機を救おうと奮闘します。
では、あさはどうして両替商である加野屋の仕事をするようになったのか。算盤が得意だったからではありませんよ。あさにとって算盤は「ぱちぱちはん」。ぱちぱちと良い音がするのが魅力的で仕方がなかったのです。あさは加野屋に嫁いでから、店の事や商売の事を一生懸命勉強しますが、それはあさが勉強好きだったからだけではありません。あさは実家を出るとき、嫁いでその家の人間になったら、一生懸命その家を守るようにと実父に諭されていたのです。
好きなものを触っているうちに、誰かの言いつけを守ろうとするうちに、何かを成し遂げる力が養われていく。そうしているうちに、いつか誰から「これ、やってみなはれ」と仕事を頼まれる時が来るのです。
あさちゃんは、何でもかんでも、自分の頭で考える人です。良くも悪くも、世間の型にはまらない人です。うちの塾にも、みなさんのお家にも、あさちゃんのような子供たちがいるのです。私たち大人に出来ることは、そんな子供たちの成長をあたたかく見守り、機を見て支援することです。
みなさんが、みなさんのお子様が、どんな職業に就いてもそこそこ幸せになれるように私たちは支援したいと思っています。それが数学を勉強することから始まるのなら、いっしょに勉強をはじめましょう。それが本を読むことを必要とするなら、本を贈り届けましょう。
そして世の中は、私たちがある条件を満たしさえすれば、誰もがそこそこ幸せに生きていけるように出来ているのです。それを20世紀の賢い人たちは「構造」と呼びました。だから、安心して健やかな成熟に向かっていきましょう。
2015年10月20日
2015年10月21日

風邪をひく人が増えてきました。みなさん、お元気ですか。夜、寝るときに喉を傷めないように、適度にお部屋を加湿する季節になってきたようです。
秋になって、過ごしやすい気候が続きますが、風邪をひいてしまってはそれも台無しです。ぜひ、御自愛くださいませ。
さて、明日は2015年10月21日。
映画『BACK TO THE FUTURE 2』でタイムマシンにのった主人公たちが1985年からタイムスリップしてくる年です。
主人公たちが、やってくるのは2015年10月21日16時29分。
一般的に私たちがイメージする「タイムマシン」が物理学的に実現不可能だと言われるのはさておき、映画の世界で描かれた「未来」と実際が同じ時間になることに、少なからず胸を踊らせる人たちもおられるでしょう。
しかし、物語中に描かれる未来は、幸せで彩られるものばかりではありません。
1949年に出版されたジョージ・オーウェルの小説『1984』で描かれた未来は、ディストピアとしての未来、つまり不幸の色濃い未来の姿です。
それは、1968年に公開された映画『2001年の宇宙の旅』でも同様です。この作品では、宇宙空間を航行中の宇宙船内で、その船長と宇宙船に搭載された人工知能が結託して他の乗組員を殺害してしまします。
映画『BACK TO THE FUTURE 2』でも、状況は似たり寄ったりです。主人公のマーティン・マクフライがタイムマシン「デロリアン」に乗って未来に向かい、そこでしたことは未来の息子マーティン・マクフライJrが窃盗事件に巻き込まれるということの予防です。息子が窃盗事件で逮捕されることがきっかけでマクフライ家が家庭崩壊してしまう、というありがちな碌でもない未来を阻止するために、主人公は未来で奮戦するはめになるのです。
実際でも、虚構の中の未来世界でも、私たちはうっかりすると邪悪な何かに呑み込まれてしまう。それは私たちにとって避けられないかもしれない悲劇です。
小説や映画では、そのような悲劇の中で物語の幕が閉じられることもありますし、主人公たちが何とか悲劇的状況を回復するということもあります。
どちらのタイプの物語の物語にも、それぞれ味わいがあるのですが、実世界で私たちが悲劇的状況に陥った場合、やはり望まれるのはそこからの回復や脱出です。
デロリアンのようなタイムマシンに乗ることはできないまでも、主人公マーティンがパートナーであるドクとそうしたように、私たちは仲間と協力して困難な状況下で奮戦することになるでしょう。
あるいは、他の誰かがそのような困難な状況に陥っていたら、私たちはそれを助けるという方法を選びとることが出来ます。一時的ではあれ、私でない別の誰かをめぐる物語に参加して、その誰かを支援するということも、私たちの人生に不意に訪れる大切な一幕に違いありません。
もし、明日10月21日、タイムマシンにのって困難な状況に陥ったマーティンとドクが現われたなら、私たちはきっと彼らを支援するというチョイスをすることが出来るかも知れません。そんなことを考えながら、毎日を過ごすことも悪いことでは無い気がしています。
2015年10月19日
おいしい日本語

穎才学院教務です。
今日は、いつもより少しだけ朝早く目が覚めたので、ちょっと豪華な朝食を食べてみました。
朝食のお供は、村上春樹の『海辺のカフカ』上巻です。
彼の勧めるサンドイッチは見るからにおいしそうだった。僕は礼を言って、それを受けとり食べる。柔らかい白いパンにスモーク・サーモンとクレソンとレタスがはさんである。パンの皮はぱりっとしている。ホースラディッシュとバター。(新潮文庫『海辺のカフカ』上巻 219ページより)
村上春樹の小説にはごはんの場面がたくさん登場します。読むだけで、口の中につばがたまってきて、ごはんが食べたくなる。そんな日本語です。
こういうことを言う人はあまり多くありませんが、人に届く言葉というのは、その意味ではなく響きに特徴があるのです。
おいしい食べ物って、口の中にいれたとき、そのおいしさがじわっと広がるでしょう?
その点では、言葉と食べ物とは、よく似ていると思います。
私にとって、村上春樹の手作りサンドイッチをめぐる日本語は読んでいておいしさがじわじわ身体に広がる日本語です。
食欲の秋、読書の秋と言いますが、みなさんもみなさんにとっての「おいしい日本語」を探されては、いかがでしょう。
2015年10月17日
SKE48 ZERO POSITION

こんばんは。穎才学院教務です。
再び、メディア紹介のご案内です。今晩10月17日(土)午後11時から、TBSチャンネル1のテレビ番組「SKE48 ZERO POSITION 〜チームスパルタ!能力別アンダーバトル〜 」が放送されます。
穎才学院は番組の作成・収録のお手伝いをさせていただきました。
今回のゼロポジでは、リアルに、SKE48の知力ランキングを決定するッ!
事前に抜き打ちで行った学力テストでは珍解答が連発。今回は国語・算数・理科の解答と成績を発表する。
あのメンバーが驚愕の誤答を繰り広げる…。
真のインテリゼロポジは果たして…!?
SKE48選抜メンバーの初々しい活躍の姿が観られるはず!請う、ご期待!
春はあけぽの 夏はきゃりーぱみゅぱみゅ

こんにちは、穎才学院教務です。
今日、小学生5年生の国語の授業で内田樹の『先生はえらい』をとりあつかいました。毎週、コツコツと読みあわせをしています。今日は128ページからの「誤読する自由」という章を読みました。
古典といわれるほどの書物は、小説であれ哲学書であれ、読者に「すみからすみまで理解できた」と決して言わせないような謎めいたパッセージを含んでいます。
ふむふむ。私たちが知っている古典的な名作は、実際、どれも謎めいた表現を含んでいるものです。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」にしても、「つれづれなるままに日暮らし硯に向かひて、」にしても、何か変です。
小学生や中学生が清少納言の『枕草子』の冒頭を暗唱することがありますが、あれだって変ですよね。
「春はあけぼの」とか言われても、実際、「ハア??」という感じになりませんか。
この変なパッセージについて、本当はよくわかっていないのに、わかっていないことに気付かないふりをしているという日本人は、多いのだと思います。
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。
この文章を読んで、私たちはそこここに何だか変な感じを見つけます。
どうして春は桜ではないのか。夏は夕方ではいけなかったのか。秋は月でないのはどうしてか。冬の夜だってなかなか趣深いものではないか。
そういったことを考えることも、ありえないことではありません。
その意味では『枕草子』の冒頭部分は無数の謎をたくわえている文章であるといえるでしょう。
私たちの脳は謎にであったときに、グルグルとまわりだします。
「わかる(=理解できる)」ことが必要なことも勿論ありますが、私たちには「よくわからない(=謎)」が必要です。
内田先生はこのように言っています。
もちろん「何を言っているのか、よくわからないだけの文章」を書いても誰も読んではくれません。逆に「何を言っているのか、すらすらわかる文章」を書いても、誰も二度と読み返そうとは思いません。
わからないけれど、何か心に響く。「たしかに、そうだ」と腑に落ちるのだけれど、どこがどう腑に落ちたのかをはっきりとは言うことができない。だから、繰り返し読む。
そういう文章が読者の中に強く深く浸透する文章なのです。
では、そのような腑に落ちるよくわからなさを含みこんだ文章とはどういう文章なのでしょう。それについても、内田先生は説明をしてくださっていました。
どうして、そういう文章が読者に強く、深く触れるのかというと、そこに読者に対する信頼があるからです。
聴き手の知性を侮らず、聴き手に対しておくりだされた言葉は、そうでない言葉と決定的に違います。
2015年10月16日
「トナリのウチュウ」(番組のご紹介)

(番組HP http://www4.nhk.or.jp/P3713/ よりスクリーンショット)
東京都心は雨の降りがちな天気です。こんにちは、穎才学院教務です。
今日はNHKBSプレミアムで放送予定の番組「トナリのウチュウ」をご紹介します。
子どもだったあの頃、世界は不思議とワクワクに満ちていた。裏山や原っぱで発見した虫や植物との出会いは小さな冒険の連続だった。この番組は、大人になったボクがもう一度そんなドキドキを取り戻す物語。少年と父は、ひょんなことから謎のネコ「ソラ」に誘われ、トナリの空き地で生態観察を始めるのだが…。父子とソラのドラマを軸に、実在の空き地の生き物をドキュメントで描く90分。(HPの紹介文より)
この番組でネコ役を演じるのが、先の朝ドラ「まれ」で塩田を営む職人、桶作元治(おけさくがんじ)を演じた田中泯さんです。予告編を見た限りではありますが、
この泯さんの演技が今回の番組でもすごくいいんです!
ネコなのか、人なのか、よくわからない人描渾然一体の怪演がみられそうです。
番組も、サイエンスプログラムとして見どころの多い内容になっているのがうかがえます。
おすすめです!
2015年10月14日
「おせっかいな人」が学びの場を作る

東京都心は今日も天気が良いです。みなさん、ごきげんいかがですか。
教える上で「おせっかい」は、まず不可欠の資質です。
「教わりたい」というニーズがまずあって、「教わりたい人」が集まって学校を建てて、先生を呼んできて、謝金を払って……というのはきわめて例外的なことです。
ふつうは「教えたい」という「おせっかいな人」がまずいて、その人が「教わりたい」という人を集めて、学びの場というのは立ち上がります。
少なくとも近代的な「学びの場」は、「おせっかいな人」によって創建されたものです。(内田樹『困難な成熟』304ページ)
今日は出勤中に、こんな文章を読みました。
なるほど…。
いい学校やいい塾というのは、近代以来ずっとそうかもしれません。
でも、まてよ…。
ぼくは近代以前にこういう学校を知っているぞ…。
あ!!
綜芸種智院だ!
となったのです。綜芸種智院は828年ごろに、建てられた僧俗共学の教育機関です。久本幸男先生や小山田和夫先生の研究に拠れば、そこでは仏教だけでなく当時のアジアで研究されていたさまざまな学問が学習の対象として取り扱われたそうです。また、律令制度下の「大学」と異なり、特権階級の子弟だけでなく、庶民の子弟が学びにくることができた、というところも特徴だと言われます。研究に拠れば、学生・教員全員に食事が支給されていたとも言われています。ちょうど、本年の大河ドラマ『花燃ゆ』では、井上真央さん演じる「文(ふみ)」という女性が、吉田松陰の主催する松下村塾で塾生たちに握り飯などを振舞うという演出がありましたが、それと同じように、綜芸種智院では食事が提供されていたとも言われているのです。
以前、身銭を切って作られる学びの場所について、記事を書いたことがありました。
今、そういう塾・学舎が全国で草の根的に現われはじめています。世の中には、勉強と仲良しな人もそうでない人もいます。そして、どちらの人もそれなりに健やかに暮らしていけることが望ましいのです。勉強することが得意な人しか生きていけない世の中というのは、どうかんがえても変です。そして、反知性的性質だけでは世の中が健全に回転しないのも事実です。9世紀の京都で空海がどのようなことを考えて、綜芸種智院という学舎を作ったのか、直接本人に聞く術がないのが残念です。とはいえ、貴族の子弟だけでなく庶民も学べる場所を作った空海が、平安京の人々すべてを知的にしようと企てていたとは考えられません。もしかすると、空海も知性と反知性が共存するゴチャゴチャした学舎を作って、ニヤニヤしていたのではないでしょうか。もしそうだとしたら、綜芸種智院の江戸時精神は結果として、江戸時代の寺子屋や志塾に受け継がれていて、現代にもその末裔のような塾・学舎が息づいていると言えるでしょう。
2015年10月13日
【メディア紹介】SKE48 ZERO POSITION

(番組HP http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/v2385/ よりスクリーンショット)
こんにちは、穎才学院教務です。
穎才学院は、TBSチャンネルのテレビ番組「SKE48 ZERO POSITION 〜チームスパルタ!能力別アンダーバトル〜」の収録に関わらせていただきました。
“ZERO POSITION”(ゼロポジ)とは、舞台中央のこと。まさに、SKE48メンバーであれば誰もが目指す場所、そう、センターを示す言葉。
この番組はSKE48メンバーそれぞれが特技で真剣勝負に挑み、「ゼロポジ」という頂点を決する、汗と涙のドキュメント・バラエティなのだ。
毎回メンバーそれぞれの特技にフィーチャーし、「これなら1位になれる!」という自薦選抜メンバーがお題ごとに対決。勝敗を分ける審査はその道のプロが行い、冷静かつ正確なジャッジが下されるという、まさにガチバトル。
本気(ガチ)でトップを目指すからこそ、そこに垣間見られる彼女たちのリアルな素顔は、見ている私たちの目頭を熱くする。SKE48の真剣勝負番組・「ゼロポジ」。(HPの番組紹介より)
番組は10月17日(土)午後11:00〜午後11:30から複数回にわたって放送予定です。
プロデューサー、ディレクター、アシスタント等スタッフのみなさんには、本当にお世話になりました。ありがとうございます。
出演されるSKE48のメンバーのみなさん、これからみなさんはきっとアイドルとしても大人としても成熟に向かっていかれるでしょう。この番組での頑張りが、みなさんの素晴らしい今後に活きることを予祝します!
でも、実は番組放映のスケジュールがいつまでになるのか、よくわかっていません(笑)
番組の放映が一段落したら、出演されたメンバーに宛てて文章を贈りたいと思います。
「SKE48 ZERO POSITION 〜チームスパルタ!能力別アンダーバトル〜」、10月17日(土)午後11:00〜午後11:30からです。お楽しみに!
2015年10月12日
頭の良くなるラジオ番組

↑番組HP(http://www.mbs1179.com/henkyo/)のスクリーンショット
こんにちは、穎才学院教務です。
連休の最終日、みなさんいかがおすごしですか。
穎才学院は本日も開校しております。16時から授業が行われます。
さて、本日はラジオ番組「内田樹&名越康文の辺境ラジオ」のご紹介です。
3カ月に1度くらいのペースで日曜日深夜(月曜日未明)の放送休止枠を使って流される不定期ラジオ番組です。
辺境ラジオ!こんばんは。MBSアナウンサーの西靖です。辺境ラジオは神戸住吉から森羅万象を照射し続ける家から出ない知の伝道師、内田樹凱風館館長と、日本全国神出鬼没あらゆる方の心をケアして回る旅する精神科医、名越康文先生、そして私、西靖が、アメリカ・中国ではなく日本の、東京ではなく関西の、テレビではなくラジオの、ゴールデンではなく深夜の放送休止枠、つまり中心ではなく辺境からこそ見える物事の本質を健全なるおやじ目線で語るという不定期ラジオ番組です。
これが、番組の冒頭に読まれるタイトルコールです。ちょっと変わった感じがするでしょう?(笑)この「ちょっと変わった感じ」というのが、頭を良くするのにちょうど良いんです。
10月11日深夜(12日未明)放送分は、もうすぐポッドキャストとしてリリースされるでしょう。
ぜひ、ご試聴ください。
2015年10月10日
「魔女の宅急便」シリーズを読む

みなさん、こんばんは。穎才学院教務です。
本日は、小学校5年生の方との授業で角野栄子先生の『魔女の宅急便』を取り扱いました。
授業では、毎回漢字の練習・確認と合わせて、実際に本を手に取り、それを読みあわせていくという作業をしています。
読書経験が豊かな方は、どんどん本を読み進めていきましょう。そうでない方は、まずは字に慣れることからはじめましょう。
さて、今日読んだのは『魔女の宅急便 キキと新しい魔法』の中におさめられている「キキ、赤い靴を運ぶ」というおはなしです。
「コリコの町」で「おとどけ屋さん」(=宅急便屋)をしている「キキ」が「おばあさん」から「赤い靴」のおとどけを頼まれるという話。
このお話では、今と昔の区別やこっちとあっちの区別が上手くつかなくなってしまった「おばあさん」の様子にとまどいながら、キキが持ち前の優しさと誠実さを上手く活かして、最後にはそのおとどけの依頼にきちんと応える、というエピソードが語られます。
この物語の最後に出てきたのが、こんな表現でした。
「あのおばあちゃんはね、心の中で、むかしと今を行ったり来たりしてるみたい。だから、あたしたちもいっしょに行ったり来たりして、たぶん、コダマさんの中の、ちいちゃなコダマさんに靴をおとどけしたのよ」(『魔女の宅急便2 キキと新しい魔法』角川文庫版 240ページ)
「おばあちゃん」で
ある「コダマさん」は、自身の幼いときの「靴」をめぐる体験のために深く傷ついていて、その体験にすっかり囚われてしまっているために、上手くそれと離れることができないでいる人です。いくつになっても、小さいときの「あの経験」に自分がつながれてしまっているのだが、そのこと自体が上手く自分で理解できていない、というのが私たちにとっての「トラウマ」です。
「キキ、赤い靴を運ぶ」という物語は、トラウマに囚われたおばあさんのよくわからない振る舞いに、少女キキが寄りそってみせるという物語でした。この物語を通して、キキは少し成長します。ちょうど、その次の物語では、そんなキキに宛ててこんなお手紙が届けられます。
「キキ、お手紙、ありがとう。ひさしぶりでとてもうれしかったわ。あなた、じょうずにやっているようね。いちだんと成長しているようすが目にみえるようです。ただちょっと考えこんじゃったみたいね。それはキキが物を運ぶだけでなく、たのまれた人の心の中まで、考えるようになったのからじゃないかしら。それはキキが自分のことをしっかり考えるようになったてことだと思うわ。…」(『魔女の宅急便2 キキと新しい魔法』角川文庫版 241ページ)
人の心の様子をあれこれと考えて、困ってしまったり悩んでしまったりする、というのは私たちにも心当たりのあることです。それは私たちが自分のことを考えるということ表裏一体の関係にあることなのかもしれません。

実際、自分の事について考えるのと人の心についてあれこれ考えるのとは、いっしょくたにされやすい似たような作業です。
というのは、自分の事をよく見定めているのは、実は自分自身ではなく、周りの他の人だからです。人間の評価については、自己評価より他者評価の方が、ほとんどの場合、的を射ているのはそのためです。
他の人のことをいろいろ気づかうことができるようになる、というのは私たちの成長において欠かせないワンステップだと思います。
はじめは自分のために他人を気遣っている人も、時間をかけて少しずつ、自分のことは棚上げにして人を気遣えるように成熟するかもしれません。
確かに、成熟というのは時間のかかる困難な作業です。でも、私たちは子供たちの成熟を願います。まずは手近なところから、子供たちが時間をかけて少しずつ成長していく、というのが私たちの喜びです。
さて、自分のことについて、他の人と自分の関係について、キキのように悩んでしまったときには、物語を手に取ってみてください。そこにはあなたに宛てた素敵なメッセージが隠れているかもしれませんよ。
2015年10月 9日
「学びの秋」

秋らしい気候になるにつれて、体調を崩す方が増えてきたようです。みなさま、ご自愛ください。
さて、明日から世間は3連休です。
穎才学院は10日土曜日、12日月曜日とも、平常通り開校いたします。10日は土曜時間帯、12日の体育の日は平日時間帯での授業です。
さて、中学校・高等学校では定期考査の時期です。既に定期考査の終了した学校もありますし、これから定期考査という学校もあります。予定は様々ですね。穎才学院では定期考査に向けて熱心に勉強する塾生の姿が見られます。
とはいえ、「試験の結果のためだけに学習する」という状態に陥らないように気を付けなければなりません。学習するということは、試験等で成果を得ることだけが目的ではありません。むしろ、どこまで勉強しても終わりがないということを楽しめる人の方が、お勉強と仲良くなれるに違いありません。
世の中にはお勉強が得意な人も得意じゃない人もいるものですし、いて構わないものです。
しかし、みなさんが学問を志すなら、学ぶということは試験の結果の追求にとどまるものではありません。学びの果ての無さの前でに思わず身も心も震えてしまうような人は、きっとどこまでも学ぶことのできる人でしょう。
今、世の中ではそういう人が集まって学びの場所を作り始めています。世の中にそういったタイプの塾が増えてき出したということに、みんなが気付き始めています。
みなさんが健やかに学ばれることを私たちは願っています。
2015年10月 8日
「村上春樹の小説のテーマって何でしょう?」

みなさま、お元気ですか。
今日は本の紹介をいたします。
内田樹『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)
本著に拠れば村上春樹の物語に通底するテーマは、
世の中には「邪悪なものが存在する」ということです。
村上春樹は、人々が「邪悪なもの」によって無意味に傷つけられ、損なわれる経験を淡々と記述し、そこに「何の意味もない」ことを、繰り返し、執拗に書き続けてきた。(『村上春樹にご用心』210ページ)
邪悪なものが私たちを損なう、というのはよくあることです。
そして、たいていの場合、その邪悪なものが私たちを損なうことに何も意味はありません。私たちが「未熟だから」とか、「過去に罪を犯したから」とか、そういった理由で私たちが損なわれるわけではないのです。
邪悪な人間というのは、残念ながら世の中に現われます。しかも、そういった人は「仮面ライダー」や「プリキュア」の物語の中に出てくるような解りやすい形では存在しません。邪悪な人間というのは、その100%が邪悪なのではなく、その一部分だけが(しかし決定的に)邪悪なのです。ですから、一見すると、普通の人・いい人のように見える人が、時として邪悪な人間として立ち現われてしまうのです。
また、邪悪なのは何も人間だけではありません。世の中に存在する仕組みやシステムの中には、やはりその一部分が決定的に邪悪なものがあります。そういった仕組みやシステムは、私たちに何らかの恩恵をもたらすものでもあるのですが、実は私たちを損なうものでもあるのです。
『1973年のピンボール』という物語の中には、前足を万力のようなもので潰された飼い猫の話が登場します。
「そうさ、猫の手を潰す必要なんて何処にもない。とてもおとなしい猫だし、悪いことなんてなにもしやしないんだ。それに猫の手を潰したからって誰が得するわけでもない。無意味だし、ひどすぎる。でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪がたくさんあるんだよ。あたしにも理解できない、あんたにも理解できない。でもそれは確かに存在しているんだ。取り囲まれてるって言ったっていいかもしれないね。」(『1973年のピンボール』91〜92ページ)
私たちもそれは同じかもしれません。しかし、意味も無く私たちを傷つける悪意が世の中のどこかにあることを知っている人の立ち居振る舞いは、そういったことを知る由も無い人のそれと、異なります。無駄かもしれないけど、安全を積み増しする手仕事を惜しまない人は、そのような邪悪なものに対する危機の予感の中に生きている人でしょう。
そういう人は、地道な手間仕事の大切さを知っているからこそ、「『気分のよいバーで飲む冷たいビールの美味しさ』のうちにかけがえのない快楽を見出すことができる」のであり、毎日の何気ない出来事を大切に出来るのだと思います。
2015年10月 7日
「手間仕事を引き受けられる」という能力

穎才学院教務部長の森本新芽です。
本日、穎才学院本校は板橋でいつもどおり開校していますが、私だけ出張として名古屋市立大学に来ました。
TBS系列のテレビ番組『SKE48ゼロポジション』の収録に穎才学院教務として関わらせていただきました。
番組の詳細は追ってご報告いたします!
出演者はSKE48の選抜メンバーみなさん、TBSアナウンサーの安東アナ・宇垣アナでした。
←収録後に記念撮影
今日は穎才学院教務としていつもの通り「子供たちを成熟に近づける」ということをモットーとしてお仕事をさせていただきました。
そしてTBSアナウンサーのお二人の立ち居振る舞いから、たくさんのことを学ばせていただきました。テレビアナウンサーのお仕事ぶりを初めて拝見したのですが、お二人は常に周りのスタッフや出演者が気持ちよく仕事をできるよう心がけていらっしゃいました。
安東アナはTBSアナウンス部でも重要な役職を任せられているベテランアナウンサーです。安東アナはロケ中、常に丁寧な敬語でお話されていました。スタッフへの言葉使いも、SEK48メンバーへの言葉使いも、私への言葉使いも、全て同じです。深みのある丁寧な日本語でした。
仕事に関わる人それぞれに対して丁寧に心配りをされる安東アナの姿勢に強く心をうたれました。
宇垣アナは過密スケジュールの中で立ち仕事を続けながら、ついにロケの最後まで疲れの色をひとつもお顔に浮かべませんでした。サポート役という立ち位置を選びとられて、安東アナの一歩後ろに控えながら、出演者の発言内容や進行段取りにきちんと心配りをされている姿は、感心せずにはいられませんでした。
ロケ後、帰りのタクシーの中で宇垣アナにお伝えしたのですが、テレビアナウンサーになるというのが大変なのは、ただ人気職だからだけではなく、共に仕事をする周りの人たちへの心配りを欠かさないという手間仕事を引き受けられるだけの高い能力を必要とする職業だからだと解りました。
お二人はこれからもきっときちんとしたお仕事を積み重ねられることでしょう。そんな方たちとお仕事ができたことをとても有り難いことだと思っています。
2015年10月 6日
風邪などに注意しましょう。

10月に入って風邪をひく方が増えてきたようです。
気温が急に変わったり、空気が乾燥したりすると、喉を傷めたり、体調を崩したりすることは多いでしょう。
もちろん受験生に限ったことではありませんが、健やかな体調は良き学習に欠かせない条件です。
食事をしっかり摂って、充分な睡眠時間を確保し、穏やかな毎日をお過ごしください。
受験生も焦りが出るころですが、急に前のめりになって駆け出すだけでは、ころんで怪我をしてしまうかもしれません。充分に気を練りこんで毎日を確かなものにしていこうではありませんか。
ともにがんばりましょう!
2015年10月 5日
「図書館の自由に関する宣言」
少しずつ秋の気配が深まってきたように感じます。みなさん、お元気ですか。
こんにちは。穎才学院教務です。
「読書の秋」とよく言われます。
確かに秋の天気が良い日には、お気に入りの本を携えてお散歩に出掛けたくなるものです。
最近では、オンラインで簡単に書籍が入手できるようになりました。
また、インターネットを利用して調べものをするということも少なくありません。
一方で、図書館を利用することで、私たちは必要なときに自由に図書・記録・資料にアクセスすることができます。
デジタルデバイスやインターネット環境が発達した今日でも、デジタル書籍やインターネット上にアップされた情報の総量は、世界中の図書館で管理・保存されている図書・記録・資料によって知ることができる情報量におよびません。
みなさんは、「図書館の自由に関する宣言」という文書をしっていますか。
図書館の自由に関する宣言(抄)
図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することを、もっとも重要な任務とする。この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。
第1 図書館は資料収集の自由を有する。
第2 図書館は資料提供の自由を有する。
第3 図書館は利用者の秘密を守る。
第4 図書館はすべての検閲に反対する。
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。
日本図書館協会の綱領であるこの文書は1954年に作られたものです。第二次世界大戦中、日本の図書館は思想統制・言論弾圧に屈せざるを得ませんでした。図書館が二度とそのような行為に加担することがないよう、綱領では、図書館は市民の知る自由を守る立場にある、ということがクリアーに宣言されています。
最後の「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。」という表現なんかは、ドキドキしてしまうくらい力強い表現です。
有川浩さんの「図書館戦争」シリーズは、若い世代を中心に、多くの読者に支持されている作品です。有川浩さんは、この「図書館の自由に関する宣言」を『図書館戦争』という物語の扉のページに引用しました。
「図書館戦争」シリーズは、本をあまり読まない若い世代にも支持される本です。そういう本って、珍しいですよね。そして、その本が図書館の公共性をめぐる宣言からはじまる、ということには何か意味があるような気がしてなりません。
2015年10月 3日
手間を惜しまないということ。

2学期がはじまってひとつきが経ちました。
児童・生徒みなさんは、健やかに学習に励んでおられるでしょうか。
みなさんの成熟を私たちは願っていますが、その際、大切なことは「手間を惜しまない」という姿勢です。
授業中も、部活中も、家庭学習中も、勉強・部活動において手間暇を惜しまないようにしてください。
楽をしようとする姿勢は成熟と相性が悪いものです。
人にバレないように手を抜く人がいますが、周りの人たちはちゃんと気づいています。バレていないと思っているのは、本人だけです。
誰かに怒られないように勉強するなんて、つまりません。
試験に合格することだけが目的の学習は、上手く捗らないものです。
みなさんが学問と仲良くなれるよう、穎才学院の大人たちは手間を惜しみません。
さあ、いっしょにがんばりましょう。
2015年10月 2日
身体は大切に。

穎才学院教務です。
先月から少しずつ過ごしやすい気候になってきました。とはいえ、季節の変わり目に体調を崩す方も少なくありません。大人も子供も、自分自身の身体と上手く付き合うことが大切です。
私たちの身体は「身近な他人」だと思います。
よく耳を澄まして、「調子が悪いよー」「もうだめだよー」という、助けを求める身体の声を聞きとらなければなりません。
私のおすすめは、朝起きて15分でいいから、ストレッチや運動をすることです。うっすら汗をかく程度、身体を伸ばしたり動かしたりします。そうすることで、上手く身体の調整をしてやることができると思います。
みんなで元気にがんばりましょう!
2015年10月 1日
10月になりました。

穎才学院教務です。
10月になりました。神無月です。
今年も、残すところ100日もありません。
大学入試センター試験までの残り日数も、100日に近づいてきました。
受験学年のみなさんは心中穏やかならぬものがあるでしょう。
穎才学院は全国の受験生の長期的成熟と短期的成長を願っています。みなさんは、きっと素敵な大人になるでしょう。長い時間をかけて、成熟への歩みを進めてください。そして、そのような心構えを備えていれば、中学・高校・大学入試において、きっと良い成果を上げることができるでしょう。人間的成熟の困難さと比べれば、受験的学力伸長など容易の極みです。
みなさんの成熟と合格を予祝します。
これからもがんばりましょう。