2014年8月18日
2014合宿4日目
合宿4日目、参加生徒は全員元気です。現在、関越自動車道から目白通りに降りて、練馬区谷原五丁目を走行しています。
2014年8月17日
2014合宿3日目
合宿は3日目です。参加生徒は全員元気です。とはいえ、疲労からか学習中に眠ってしまう生徒も見られました。その都度、講師が声をかけておきるよう促し、がんばれと励まします。
3日目の昼食はカレーライスでした。
おかわりをする生徒がおおくいました!
3日目の学習を終えるとお楽しみイベントのキャンプファイヤーと花火大会です。
↑「火の精霊」役の生徒が代表して点火します。キャンプファイアーが燃え上がりました!
今回の合宿では全日程を通して志賀高原には雨の予報が出ていましたが、花火大会直前に奇跡的に好天に恵まれたのです。
↑ 手持ち花火で楽しみます。
↑ えっ!
↑ えっ!?
穎才学院の伝統(?)「焦げてもいい服で参加する花火大会」です。
この花火大会の起源は、教務主任が中学時代に部活の顧問(恩師)から教わった「正しい遊び方の花火」にあります。我が師によれば、「ロケット花火は手で持って投げるもの」だそうです。もちろん、ロケット花火には「手で投げないでください」と但書があります。そのような場合、「ロケット花火は手で持って投げてはいけない」と教えるのが大人の役割です。でも、もう一つ大人の役割があります。それは、充分子供の安全に気を配った上で「ロケット花火は手で投げるものだ」と言い、実際にそれをやってみせることです。
子供の成熟には矛盾するメッセージを贈る同性の二人の年長者が必要です。このことを私たちに初めて学問として教えてくれたのはレヴィ=ストロースですが、子供に「矛盾したメッセージを贈る」というのは、長い間、共同体で大切にされてきた流儀のひとつでおあるのです。
穎才学院の花火大会を通して、子供たちはそのようなことを学んでいます。
花火のあとは、キャンプファイヤーを囲んで、みんなで学習の目標、志望校を宣言しあいます。
みんなで手をつないで、仲間のメッセージを受け止め、仲間にメッセージを届ける。
人の体温が自然と伝わる、暖かいコミュニケーションがお楽しみイベントのしめくくりです。
ことしもこれまで素敵な合宿が出来ています。本合宿を応援してくださっている、参加生徒の御家族のみなさま、スカイランドホテル従業員のみなさまに心からお礼を申し上げます。
子供たちの未来に幸多かれ!
2014年8月16日
2014合宿2日目(その2)〜飯盒学習
合宿2日目は、午後のプログラムがすすんでいます。昼食は中華丼でした。おかわりをする生徒がたくさんいました。
昼食後、13時から高校生はきちんと机に向かって学習に取りかかります。
一方、小学生・中学生は飯盒を使って米を炊く学習です。
↑ まずは子供たちだけで、火を点けてみます。格闘すること約20分…、なかなか点きません。
↑ ここでホテル支配人の佐藤さん登場!佐藤さんの指示にしたがって、火を点けてみよう!
↑ ねじった新聞紙から薄い材木に火を移して…、だんだん太い材木を入れていくと!
↑ 大きな炎になりました!!
↑ 佐藤さん特製の金網+円形穴付きトタン板の上に、飯盒をならべて…
↑ 火加減は子供たちに任されました。きちんと炊けたかな?
↑ 飯盒の蓋の上をおさえて炊き加減をさぐる方法を教わって、ここそのタイミングで火から外します!
上手く炊けたかな?しばらくご飯を蒸らします。「子供泣いても蓋とるな!」です。
飯盒の中身は??
真っ白なご飯が炊けました!写真ではわかりませんが、おこげもきちんとできていました。
↑ 炊けたご飯は、その場で美味しくいただきました!
スカイランドホテルの佐藤さん、御世話になりました。ありがとうございます。
2014合宿2日目
おはようございます。合宿2日目です。6時半に全員で集合して、ラジオ体操です。
↑「ラジオ体操第1」は、みんな上手にできました。
↑でも…「ラジオ体操第2」になると…。 なんだこの動きは!
最近は学校でラジオ体操をきちんと教えないこともあるようですね。うーん。
2日目の朝、参加者全員体調などに大きな問題はありません。
↑ 洛南高校流「食事作法」を行って…「いいただきます!」
2日目の朝食で3回の食事を摂りました。お子様が食事を摂られる様子を拝見していて思うことは、アレルギー等の体質の問題は除いて、尚「偏食・好き嫌いが多い」ということです。「これも食べない…。あれも食べない…。じゃあ、この子はふだん何を食べているんだろう?」と思わずにはいられないことがあります。とても心配です。
穎才学院の合宿では、食事の際にどの生徒がどのくらいの食事を摂って、どのくらいのものを食べ残しているか、毎年、教務・事務で把握するよう努めています。これまで約10年間の統計上、偏食の傾向が見られるお子様は「睡眠時間が短い」「極端な夜型である」「昼間、急に睡眠状態に陥る」といった睡眠・生活リズムに関する問題や、「集中力が続かない」「学習の成果がなかなか上がらない」といった学習に関する問題を合わせて抱えていらっしゃることが多いです。
合宿期間中、食事について好き嫌いの目立つ生徒は、おそらく日頃から食事に関して偏食の傾向にあるのでしょう。そのような食事について好き嫌いの目立つ子供は、年々増加しているように思います。それは穎才学院の塾生だけの傾向ではなく、おそらく全国的な傾向だと考えられます。
いわゆる「食育」の重要性を強く感じます。私たち人間にとって、味覚は大脳の「大脳辺縁系」がつかさどるものであることが知られています。また、人間だけでなくラット(ねずみ)にも「味覚の嗜好性(味に関する好き嫌い)」は存在することが知られていて、ラットの「味覚の嗜好性」の発言には「大脳辺縁系」の一部の機能が関係していることが、大阪大学の研究等で確認されています。そして、私たちにとり、「大脳辺縁系」は記憶や情動、自律神経活動をつかさどる重要な箇所でもあるわけです。
今後の大脳に関する研究の進展が待たれますが、「味覚の嗜好性」と「記憶」や「情動」、「自律神経活動」には何らかの関連があると予測されるところです。
そして、そのような脳科学的なアプローチが発展する前から、私たち人間の社会には「食文化」が存在します。例えば、20世紀の偉大な文化人類学者、クロード・レヴィ=ストロースは1964年から71年にかけて"Les Mythologiques"と題した5冊のテキストを編みました。日本語訳としては『神話論理』というタイトルでみすず書房から出版されています。レヴィ=ストロースによれば、さまざまな民族にみられる食事には一定の構造が発見できて、食べ物に関する重要な構造のひとつが「生のもの」「火にかけたもの」「腐ったもの」という三角関係である、というのです。これを「料理の三角形」と呼びます。
〈わたしは、先住民の哲学において料理が占める真に本質的な場を理解しはじめた。料理は自然から文化への移行を示すのみならず、料理により、料理を通して、人間の条件がそのすべての属性を含めて定義されており、議論の余地なくもっとも自然であると思われる――死ぬことのような――属性ですらそこに含められているのである〉
といったのは、まさにレヴィ=ストロースです。彼に拠れば、私たちは料理を通して人間にとって大切な事柄の多くを知ることができるのです。
話を「食育」に戻しましょう。仮に、いま全国的に子供の偏食が顕著になっているとするなら、私たちには、家庭のほかに子供たちへの「食育」を担う場所を立ち上げる必要があるでしょう。それは「学校」であるかもしれませんし、「家庭」でも「学校」でもないどこかであるかもしれません。
とにもかくにも、私たち大人は子供の食事について、丁寧に考えなければならないところに来ているのかもしれないと思われます。
さて、朝食後、生徒たちは学習に励んでいます。
↑ 高校3年生が一生懸命勉強しています。
2014年8月15日
2014合宿1日目(その2) ミーティングをしました。
合宿1日目は19時から夕飯です。夕飯前には、小学生・中学生で運動をしました。身体を動かして、美味しくご飯が食べられるようにします。
夕飯は焼き物・ホイル焼き・エビフライ・杏仁豆腐でした。
夕飯のあとはミーティングです。ミーティングの話題は、「親友」と「修業」でした。
自分が「突然、深夜に車のトランクに死体を積んで家におしかけても、とりあえず事情を聴いてくれる友人」が親友である、というよくわからない定義(笑)。→糸井恵さんのエッセイより
そして、修業の要点は「よく意味の解らないことをとりあえずやれ」という点にあるということ。→内田樹『修業論』より
2つとも、努力の報酬としての結果を求めるというマインドを持っている人たちには「よく意味のわからない」話。でも、子供たちは楽しそうに聴いていました。
↑よくわからない話を楽しそうに聞く、中高生。(先生も交ざっていますね。)
ミーティングが終わったら、自習です。自習中にわからないことがあったら、先生に質問することもできます。小学生・中学1年生・中学2年生は22時30分まで頑張りました。中学3年生と高校生は23時まで頑張ります。
1日目は、そろそろお終いです。みんな、元気で過ごしています!
2014合宿1日目 宿舎に到着しました。
本日より、3泊4日の日程で夏期合宿がはじまりました。参加者全員、元気で宿舎に到着し、学習をはじめています。
↑ 横川SAで休憩。

↑ 小学6年生が仲良くイタズラ。(ぬいぐるみをミストで水浸しにしました。)
↑ 昼食をいただきます。配膳は皆で協力して。
往路では、関越自動車道で渋滞があり、宿舎到着が1時間ほど遅れました。子供たちは、特に疲れる様子も見せず、きちんと昼食を食べることができていました。
2014年8月12日
2014夏期合宿、テーマは「共に生きる」です。
みなさま、こんにちは。暑い日が続きますが、お変わりありませんか。
穎才学院では、8月15日より18日まで長野県志賀高原へ夏期合宿に行きます。
合宿のテーマは、昨年に続き、誰かと「共に生きる」です。
私たちは、自分以外の誰かのために生きるとき、自分以外の誰かと共に生きるとき、大きな力を発揮する。
という、クロード=レヴィ=ストロース先生の教えに基づいて、私たちは3泊4日の共同生活を行います。
「自分以外の誰かのために生きるとき、私たちは大きな力を発揮する」というのは、2014年上半期に大ヒットしたディズニー映画『アナと雪の女王』のキー・テーマです。スヴェンはクリストフのために、クリストフはアナのために、アナはエルサのために…。それぞれが、自分以外の誰かのために生きることを(自分で選んだわけではないのだけれど)引き受ける物語は、私たちの心に強く響きました。
私たちが生きる上で大切なことは、共に生きる誰かとのシンクロニシティ―(共時性)と高めることです。日本の夏に欠かせない「夏祭り」の多くは、このシンクロニシティ―の強化を目的としています。村人・町人がお囃子に合わせて同じ踊りを繰り返したり、山車やねぶたのような大きな構造物を力を合わせて引き回したりするのは、共同体を構成する仲間とのシンクロ率を高めるためだ、と言われています。私たちは、うっかり仲間とのシンクロニシティーの強化をおろそかにしてしまうと、平和で豊かな時は良いものの、緊急時に於いて生存確率を著しく低下させてしまうのです。狩りにおいて、肉食動物が狙うのは、群れから離れた生き物です。仲間とのシンクロを欠かすことは、私たちにとって、死の淵に歩みを進めることとほとんどイコールだといえるでしょう。
実は、学校や大学の入学試験を突破するときにも、このシンクロニシティ―の高さは欠かせません。
学校や大学の心ある教員たちは、生徒・学生を未熟から成熟へと導くことが自身の務めである、と考えています。ですから、学校や大学には集団行動を基本とする学校行事や合宿があるのです。そのような場での集団行動は、平和で豊かな社会に生きる個人主義者たちには、時として理不尽なものと考えられます。「なんでメシをひとりで食ったら、あかんねん」、「どうして、わざわざみんなと風呂に入らなければならないのか」という問いは、金に飽かした生活に耽る平和ボケした個人主義者には、なかなか理解できるものではありません。しかし、平和で豊かな社会がいつまでも続くものではない(歴史はそれを私たちに教えます。)ことを意識している賢い教員たちは、子供たちが危機に瀕したときにちゃんと生き延びることができるよう、危機に備えた教育を子供たちに贈ります。
今から80年前、ドイツでヒトラーが急速に反ユダヤ政策を進めるなか、子どもたちに生き残るための教育を提供し続けたユダヤ人女性教師がいました。レオノラ・ゴールドシュミット先生です。彼女は、ナチス政権下で奇跡的にユダヤ人のための学校を設立し、子どもを救うために奔走します。1934年、ベルリン。ユダヤ人への弾圧は教育の現場にも暗い影を落としていました。ユダヤ系の教師は公立学校から解雇され、反ユダヤ主義が国の基本方針として公然と教えられるようになっていたのです。ドイツ人として社会に溶け込んでいたユダヤ系の子どもたちは、激しい人種差別によって行き場をなくしてしまいます。他のユダヤ系教師と同じように職を失ったレオノラ・ゴールドシュミットは、子どもたちが学べる場所を確保しようと決意します。彼女は、さまざまな手を尽くし、持ち前の機転で学校の開設にこぎつけました。そして、ユダヤ人が生き残る術はドイツ国外への脱出しかなくなると予想していたレオノラは、あらゆる手段を使って学校と生徒たちを迫害から守り、彼らに未来を切り開く術を与えようと奮闘するのです。
ゴールドシュミット先生のように、「持っている知恵と財産を惜しみなく差し出して、子供たちの未来のために身体を張ることのできる人物」を「成熟した大人」と言うと指摘したのは哲学者の内田樹です。内田先生に拠れば、司法・医療・信仰・教育の4分野は人間の生存に欠かすことのできないもので、そこには「成熟した大人」が必ず存在しなければならない、というのです。この4分野のうち、主に教育(場合によっては信仰と教育)とを引き受けているのが「学校」です。そして、4分野それぞれを担う人材を育成する機関が「大学」です。ですから、まっとうな学校と大学では、教員たちが「持っている知恵と財産を惜しみなく差し出して、子供たちの未来のために身体を張る」という仕事を日々行っています。そのような仕事は、とても地味なものなのですが、子供たちにとって非常に大切です。
そのような仕事を生業としている教員たちが、未来の教え子に宛てて贈り届けるのが、入学試験であるとするなら、入学試験で教員は(国語でも数学でも、他の科目でも)、生きる力を高める必要性があることを子供たちに宛てて説明しているはずです。実際、私はそのような教員を何人も知っています。
長い目でものをみると、そのような感覚を養い、鋭くするために、小学校・中学校・高等学校のカリキュラムは作成されています。ですから、学校・大学の入学試験もそのような感覚を鋭くもった生徒の方が上手く解答できるように作られがちです。問題集を解くだけでは必ずしも身につかない、子供たちにとって大切な感覚をはぐぐむ、そのような夏合宿になることを目指して4日間旅立ってまいります。
最後になりましたが、合宿に参加される生徒のご家庭のみなさまにおかれましては、さまざまなご支援・ご協力、大変ありがたく思います。重ねて、感謝申し上げます。
合宿後、子供たちがひとまわり大きくなって帰宅されるのを楽しみにしていてくださいませ。