東大生 塾講師の募集(応募はこちら)

2017年東京大学合格、おめでとうございます!

新校舎「本郷校」開校!東大赤門から徒歩2分!!

東大生が穎才学院を選ぶ3つのメリット


穎才学院は本HPでの講師募集しか行っていませんが、講師間の口コミで応募が増えています。他の塾・予備校でのアルバイトを経験されて、穎才学院ではたらく友人の話を聴き、穎才学院に転職される方も目立ってきました。現職の講師から評価をいただいている「穎才学院が選ばれる理由」について3つ、お伝えいたします。
理由その1:東大生の働きやすい立地・環境
本郷校は赤門からすぐ。東大のスケジュールに合わせたシフト調査・調整を行っています。私服でOK!

理由その2:効率的にたくさん稼げる!
時給は1300円~2000円と平均的ですが、勤務時間すべてに時給が発生します!事業拡大中につき、希望したシフトには確実に時給がつきます!時間のムダがありません。

理由その3:教えることにだけ専念できる!
報告書の作成や電話対応などの授業以外の業務がありません。教えることにだけ専念できます。

 2016年穎才学院は東京大学本郷キャンパスすぐ近くに「本郷校」を開講しました。板橋区だけでなく身近に穎才学院のような「少し変わった良い塾」が欲しいという、多くの方のご期待に応えての展開です。穎才学院は学生のみなさんに楽しんで働いていただける塾のようです。おかげさまで、職場環境の不満を理由とする講師の離職は、5年に1件ほどです。そんな塾だからこそ、子供たちも休まず塾に通ってくれるのだと思います。子供の出席率は95%程度。新しい校舎でも子供たちが健やかに学習できるように、本郷校で勤務する講師の募集をいたします。東大生・東大院生のみなさん、ふるってご応募くださいませ!

講師応募フォーム

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学部・学年
お問い合わせ内容

在籍講師より

山田 慎二先生

穎才生活も5年目に入りましたが、一度もやめようと思ったことがありません。それはきっと、一度も無理をしてこなかったからだと思います。毎週当り前に教室に来て、当り前に授業をし、生徒が理解できた時の顔を見るのが楽しく…そんなサイクルが自然に続いていきました。「適当に」ではなく「当たり前に」授業ができる、皆が自然体でいられる良い職場だなあと思います。

三浦 健先生

生徒との距離が近い。ワキアイアイとした雰囲気でとても教えやすい環境。一方で、いろんなところから他の先生の指導が聞こえてくるので、講師としては緊張感もあり身が引き締まる。教材が揃っていて、昔勉強した時の記憶が蘇り知的興奮を覚えると同時に、是非生徒さんに解りやすい授業をしたいと思い、やる気がでる!

井上 智皓先生

私が穎才学院で面白いと感じることは、多様な生徒が同じ空間で学んでいるところです。私も小学生から高校生まで担当する機会がありますし、また生徒の皆さんも学年や学力で隔てられることなく同じフロアで勉強に励んでいます。そうした環境だからこそ生徒と講師、あるいは生徒間の距離も自然と縮まるのでしょう。そんなアットホームなところに魅力を感じながら働いています。

松本 実先生

はじめのうちは一対一に緊張しますが、わからない所を一緒に考えて、もやもやを解消する事ができた時はすごく達成感をおぼえます。教える側からの一方通行ではなく、互いにやりとりをして問題に取り組むので自分自身も成長できているかもしれないです。


東京大学に合格されたみなさん、おめでとうございます。

 穎才学院では、東大生の若い力を求めています。みなさんの受験での貴重な経験を現役の高校生・中学生・小学生に伝えてください。近年、実質的に無給の労働を講師に強いる塾が増えています。穎才学院では創業時から「コマ給」ではなく「時給」で給与をお支払いしています。講師が塾に出勤してから退勤するまでの時間に時給(1300円~2000円)をかけた金額が毎月支払われます。若い学生のみなさんには、全うな給与体系で健やかに働いていただかなければなりません。そして、穎才学院では入塾希望者多数のため質の高い講師の増員を目指しています。ぜひ、みなさまのお力添えをいただきたく、お願い申し上げます。

穎才学院(えいさいがくいん)とは、どんな塾なのか?

 まずは、御挨拶です。穎才学院(えいさいがくいん)は、東京都板橋区の個人塾です。「完全個別指導」、すなわち「生徒ひとりに対して先生がひとり」という形式の指導を徹底することをモットーとする塾です。通常、「個別授業」といっても「ひとりの先生が複数の生徒を担当する」という形式が一般的です。私たちは、そのような形式ではなく、生徒ひとりに対して先生をひとり配するという形式を取りますので、生徒が20人授業を受ける時には、20人の先生が必要です。穎才学院は、おかげさまで「入塾待ち」の出る塾になりました。ひとりでもおおくの方に、質の高い学習機会を提供したいので、みなさまのご応募をお待ちしています。

生徒と講師が「プレイヤー」、塾が「楽器」。美しいハーモニーが楽しく生まれる。

 穎才学院は「楽器」です。そこに人が集い、力を合わせて楽しく「演奏する」ことで、美しい音楽が生まれます。学ぶ場所としての塾が、子供たちの成長に資するものであるように、私たちは日々努めています。まだまだ行き届かないところもありますが、生徒と講師の成長にとって良き居場所を営むことができるよう、これからも頑張っていきたいと思います。

「無給の労働」「待機時間」が無いので、まとまった給与が得られます。

 穎才学院では、講師に対して「無給の労働」「授業時間前後の待機」を要求いたしません。労働に対しては、きちんと報酬をお支払するシステムを構築するよう15年間心がけています。また「生徒の急な欠席」があったときにも、自習室で学習している生徒を充てて授業をしていただくよう努めていますので、いわゆる「待機給」(通常の時給よりも安い時給)が発生する時間は、ほぼありません。塾にとって一番大切なのは、塾生です。ですが、一番大切な塾生の健やかな成長のためには、講師のみなさんが健やかに働いてくださることが欠かせません。ですから、穎才学院では「生徒の学習」の次に「講師の待遇」を重視しています。

一番大切なのは「塾生の成長」、次に大切なのが「講師の成長」。

 穎才学院で一番大切なのは「塾生の成長」です。次に大切なのが「講師の成長」です。私たちは、採用する講師を「即戦力」であるとは考えていません。長い時間をかけて少しずつ講師として成長してくださることを望みます。採用時には、筆記テスト・模擬授業などは課しません。みなさんは、東京大学の入学試験に合格されたのですから、改めて「入学試験に対応する学力の程度」を確認する筆記テストを、みなさんに対して課する必要があるとは思えません。また、採用にあたって弊社で面接を実施いたしますが、その際にみなさんの居ずまいを拝見しますので、模擬授業を課してそこであらためて居ずまいを確認する必要もありません。ジャック・ラカンは『自我』で「人は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分知っている」と論じました。ラカンという巨大なる賢人の言葉に拠るならば、ある人間が師として機能するために必要なのは、その人間の知的内実ではなく、師としての立ち位置です。穎才学院では、講師を「敬意の宛て先」として取り扱うよう、生徒・保護者に対して学び手のとしての心構えを要求します。ですから、みなさんには、講師として安心して立ち居、振舞っていただきたいとお願いしています。

学生が学業より労働を優先することはありません。学業最優先でどうぞ。

 学生であるみなさんにとって、最優先されるべきことがらは「学業」であることは言うまでもありません。まして、国立大学の学生である東大生は、自分自身の学びが「国費」によって下支えされているという意識を持たなくてはなりません。これは東京大学が独立行政法人となってからも、変わらないことです。みなさんは東京大学で学び、学んだ経験を活かして社会に献身する「義務」を既に負っているのです。(もちろん、それは東京大学の卒業生についても言えることです。)ですから、穎才学院の講師となられても、「学業」に関する事情は最大限斟酌いたします。例えば、「うなぎの産卵地を探しに太平洋へ」とか、「ロケット打ち上げ実験のためにコロラドへ」とか、「修士論文の資料収集のためにオーストリアへ」とか…。これらは全て実際にあった事例ですが、このような学業に関する御事情については、きちんとお話をうかがい、誠実に対応させていただきます。た。もちろん、急病(インフルエンザなど)や忌引きについても同様です。お願いしたいことは、子供たちのために丁寧な手間仕事を心掛けてほしいということ。それ以外については、教務部が誠意をもって先生のお仕事をサポートいたします。

下部リンクからのメール、またはお電話【03-5944-3100】での御応募をお待ちしております。



穎才学院では次世代の社会(教育・子育て)を担う優秀な働き手を求めています。

 次の文章は、いつ、誰によって書かれたものでしょうか。

 「ある学校に、いつも、全員の先生から打たねばとても駄目だと考えられ、箸にも棒にもかからない子どもがいた。よくよく調べてみると家庭で毎日のように父親に打たれていた。暴力による罪は、人の性格を頑なにし、人を刺激して、自らの受けたのと同じようにその相手に暴行する。子どもを殴ることは、子どもの溌剌として感動しやすい感情を傷つけ、混乱させる。教育的な力は微塵もない」

 この文章は、今から100年以上前、1900年にエレン・ケイというスウェーデンの教育家によって書かれたものです。

 ケイは、当時はびこっていた教師づらをした碌でもない人間たちによる子どもへの暴力を何とか混雑したいと考えました。彼は来る「20世紀」が子どもの幸せを実現する世紀となることを切実に願って、一冊の本を上梓します。それが『児童の世紀』(1900年)です。

 それから約115年。ケイの願いはどこまで実現したでしょうか。私たちは、ケイに対して「大丈夫、あなたたち先人の努力の積み重ねのおかげで、子どもたちはいま幸せに学んでいるよ」と胸をはって言えるでしょうか。

 残念ながら、私は言えません。本当に残念で、悔しいことですが。

 いま、世の中には子どもを手段として自己実現を測ろうとする、教師の皮を被った悪い人間が跋扈しています。法的に取り締まる手段の無い、ある種の「暴力」が教育の名のもとに行使されることも、しばしばです。「子どもたちから考える力を奪う行為」や「子どもたちのやる気(生命力)を損なう行為」というのは、ある種の「暴力」と言えるでしょう。

 実は「次の文章は、いつ、誰によって書かれたものでしょうか。」で始まる、この文章自体が約15年前に出版された教育学の本からの「引用」です。私が大学院時代にお世話になった汐見稔幸先生の本、『「教育」からの脱皮』(ひとなる書房 2000年)の冒頭部分を、汐見先生とエレン・ケイへのオマージュとして、「引用」させていただきました。

  「引用」とは、「自分の説のよりどころとして他の文章や事例または古人の語を引くこと」です。私は汐見先生やエレン・ケイが言うように教育とは「子どもの可能性の開花を支援する営み」であると信じています。そこで、教師が自分自身を子どものための手段とすることはあっても、教師が子どもを手段として自己実現を測ることはありえません。

 子どもには自己の可能性を開花させるための「拠り所」が必要です。それは時に「学校」であったり、「家庭」であったり、あるいは「学校でも家庭でもない中間的な空間」であったりするでしょう。そのような子どもの「拠り所」としての「学校でも家庭でもない中間的な空間」を営もうとする仲間が、いま板橋のひとつの塾に集っています。

 ここまで、この文章を読んで共感してくださる貴方には、ぜひその手伝いをしていただきたい。私たちの考え方に共感し、共に子どもを育てる仕事を引き受けてくれる有志を、穎才学院は求めています。

みなさんは、「子育て」ができるようにならなければなりません。

 私たちが生きていく上で大切な能力というのは、どのようなものでしょうか。もちろん、答える人の価値観によって、この問いの答はさまざまです。穎才学院では、私たちが生きていく上で大切な能力とは「子育て」する能力であると考えています。

 「子育て」する能力、それは「共生」する能力といっても良いでしょう。他の人に支えられながら、同時に自分自身を他の人の手段としながら生きていく、というのが「共生」するということです。みなさんは「無人島ルール」を知っていますか?「無人島ルール」とは、無人島で食事を作り、みんなでそれを食べるときのルールです。

「みなさんは無人島で生活をする家族です。今日も島で取れた野菜や根菜・魚介類を使っておいしいスープを作ります。無人島では食事のための器として、貝殻をつかっています。子どもであるあなたは、1枚の大きな貝殻を見つけてそれを持ち帰り、それを使ってスープを食べようとしました。すると、お父さんがあなたに向かって『お前にはスープを食べる資格がない』と厳しい顔で言うのです。」

 さて、どうして「あなた」は「お父さん」に厳しくしかられたのでしょう。このような問いに答えることの出来る人は、「無人島ルール」を知っている人ですね。そして、このような「無人島ルール」を身につけていることこそ、社会で働くうえで必要なことなのです。

「知っていることしか教えない」教師づらをした人間は立ち去らなければなりません。

 穎才学院に「カリスマ塾講師」はひとりもいません。いや、「カリスマ塾講師」など、いてはならないと私たちは考えています。そのような人間は、学び手として子供の前に立つべきではありません。そもそも「予備校講師・塾講師」という存在自体が、過去の時代の遺物になろうとしています。

 1960年代の終わりに「学生闘争」と呼ばれる一連の社会運動があったことは、みなさんも御存知でしょう。そのとき、大学に在籍していた優秀な人材の一部は、硬直した大学の体制と決別するようにして、自らの意志で大学を辞めていきました。当時彼らは、大学や社会の側からは「アウトサイダー」であるとされたわけですが、非常に優秀な知性としなやかな心とを兼ね備えていたので、たくさんの若者が彼らの言葉に耳を傾け、知的好奇心を刺激され、学びの世界へと足を踏み入れていったのです。そして、そのようなアウトサイダーとしての優秀な知性を回収したのが、当時の予備校・塾でした。彼らは、教室を埋め尽くす若者たちのまえで、ときには流麗に、ときには訥々と講義してみせました。場合によっては、タバコをくゆらせながら。そのような時代が、かつて実際にあったのです。

 それからしばらくして1990年代になると、予備校講師・塾講師の大半は、もはや大学で論陣の一翼を担うような優秀で柔軟な知性ではなくなっていました。彼らのほとんどは、かつての優秀な人材の作ったロールモデルのうち、ただアウトサイダーであるというところだけを体現したような存在となってしまいました。学校の良識ある教師たちが、自校の生徒たちに向けて「予備校や塾には通うな」と言い始めたのも、このころです。賢い教師たちは、予備校講師や塾講師が碌なものではない、ということを早くから気付いていたのでした。

 この時代以降、予備校講師や塾講師の大半は、ただ自分自身の「知っていること」を教えるだけの役割しか担い得ません。当然、そのような教師もどきを崇拝して育った子供は「知っていること」しか取り扱うことのできない、とても狭隘な知性の持ち主となってしまいます。「知らないこと」といかに向き合うか、無知を知り、いかに未知と向き合うかという問題を把持し続けることが、知性のかなめであるということは、疑いようが無いと言うのに。

「知らないこと」について思考できる「しなやかな知性」を育みましょう!

 賢いみなさんは、もう、お分かりでしょう。今、子供たちに必要なのは、「知らないこと」や「分からないこと」を大切に取り扱い、それについてきちんと考えることができるしなやかな知性の持ち主です。

 もちろん、新自由主義的なグローバル経済社会においては、「限定されたルール」の中で最大の利益を獲得すればよいのですから、「限定されたルール」の中で「知っている」ことを急速に増大していけばよいのです。でも、それは私たちの拠って立つ大切な大地を切り崩すようなことになりかねません。そのような営みに終始する人は、いずれ足元をすくわれることでしょう。「ビット・マネー」とかいう怪しげな投機商品の取り扱いが破綻するなど、現実にそのような例は枚挙に暇がありません。

 経済学者の神野直彦は『「分かち合い」の経済学』(岩波新書2010年)で「市場原理こそが究極の民主主義なのだ」と主張する新自由主義的な市場原理主義者を単純明快な論理で論破しました。市場原理主義者は「市場では社会にたいする貢献に応じた所得が分配されるが故に、公正である」と主張します。「努力したものに高い報酬が支払われるのは当然である」という考え方です。「東大生は、他大生より、努力したのだから、他大生よりも高時給で当然である」、「〇〇士の資格を持っているものは、資格を持っていないものよりも、努力をしたのだから、彼らより高い報酬を得るべきである」というような碌でもない考え方が、このような市場原理主義から導かれます。

 もちろん、このような粗忽な考え方は、誤りです。第一に新自由主義的な市場経済において「高い報酬を得る」のは、正確には「努力したもの」ではなく「富者の欲求に貢献したもの」です。同じように努力をしているのに、ただ「富者の欲求」に貢献しないという理由だけで貧しさを強いられるのは不当である、という反駁がここから可能です。次に新自由主義的な市場原理主義者は、私たち人間が「他者の利益」を考える生き物である、ということを見落としています。私たちは、時に自分自身を犠牲にして他者のために努力する、ということがあるのです。

「るろうに剣心」に学ぶ、新自由主義の論理VS「分かち合い」の倫理

 漫画家の和月伸宏は『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』で、「志々雄真実」(ししおまこと)VS「神谷道場」+「京都御庭番衆」連合軍+一匹オオカミ「齋藤一」の闘いの物語を描きました。一連の物語は原作の中で「京都編」と呼ばれ、位置づけられています。2014年夏に大友啓史監督により、この物語が『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』として映画化されます。

 この物語に登場する志々雄真実は、戦時における「実力」(戦闘力)を唯一の物差しとして、人間の優劣を決定する人間です。一方で、「神谷活心流」をかかげる「神谷道場」の面々は、子供も女性も男性もみんなでたくましく生きることを目指します。また、「京都御庭番衆」は、京都の庶民と共に生きることを選んだ闘いのエキスパート集団です。そして、警察官の「齋藤一」は、実は新撰組の生き残りとして「悪即斬」(悪いものはすぐに斬る)という生き方を貫き続ける人間です。この中で物語の主人公となるのが、神谷道場に身を寄せる流浪人の「緋村剣心」(ひむらけんしん)であるわけです。

 剣心は、「飛天御剣流」(ひてんみつるぎりゅう)という抜刀術を修め、圧倒的な武力で敵を圧倒することのできる武人です。幕末の動乱の果てに、剣心が選んだ道は人を殺す刀を捨てて、目の前の困っている人を助けるという、実に地道な生き方でした。彼の刀は「逆刃刀」(さかばとう)と言って、刀の峰と刃の部分が「逆」に付いています。そのような刀で人を斬ることはできません。人を斬れない刀を持つ剣客として刀で人を守る、という非常に逆説的な生き方を自分自身に課した、ストイックなファンダメンタリストが剣心なのでした。

 それに対して志々雄真実が掲げる論理は、「強さこそ正義」というものです。圧倒的な武力を裏付けとする恐怖政治的施策により、志々雄真実は莫大な財力を蓄えます。その財力は、個人で当時の日本政府が有する最大の戦艦をも凌ぐ、最新鋭の鉄甲艦を購入することができるほどのものでした。彼は、その鉄甲艦を「煉獄」と名付けます。それは、強大な武力と恐怖によって弱者を支配し、弱いものが死ぬことを是とする志々雄真実の論理を「魂の罪を浄化する炎(purgatory)=煉獄」として肯定する逆説的なレトリックであると言えるでしょう。

 この物語は、新自由主義者の象徴としての志々雄真実と、「分かち合い」の倫理に基づいて生きる人間の象徴としての剣心および彼をめぐる人々との闘争の物語であると理解することもできるでしょう。志々雄真実は、「強者としての自分」あるいは「強さそのもの」のために闘います。彼の眼には、「強さ無きもの」のありさまは映りません。剣心は「共に生きるもの」のために闘います。彼は「京都編」の闘いを通して、自分自身と共に生きる人たちが剣心が生きることを望んでいることを理解します。それによって、彼は自分自身を生かす必要があることを知り、自分自身は生きても良いのだということを理解するのです。この気付きにより、剣心は強靭な肉体と最強の抜刀術に合わせて、「しなやかで強い心」を手に入れたのでした。

みなさんは「志々雄真実」になりたいですか?「緋村剣心」になりたいですか?

 このようにくどくどと説明を重ねてきましたが、実際は難しい理屈など必要ありません。みなさんは「志々雄真実」になりたいですか?「緋村剣心」になりたいですか?ここでは男女の別は関係ありません。みなさんは「志々雄真実」のような生き方を選ぶのか、「緋村剣心」のような生き様を選ぶのか。

「高時給アルバイト」の募集には、たいていウラがあります。

 塾講師・家庭教師アルバイトなどで時給3000円~5000円程度の高時給案件は、実はほとんどが採用にコネクションが必要だったり、「理科三類限定」とか、「大手進学塾での中学受験経験者限定」とかいった条件を満たさないと募集の対象とならなかったりするものです。また、実際に勤務しても、1日あたりの勤務時間が90分~120分程度であるとか、遠隔地での勤務で往復の通勤時間に1時間~2時間かかるとか、採用期間が短期であるとか、さまざまな理由から、毎月安定した収入を得ることが難しい、ということが少なくありません。

 また、最近では経費削減を徹底する企業が多く、学生アルバイトの人件費を安く抑えることに腐心する企業がほとんどです。もちろん、人件費の抑制は企業活動として悪ではありません。しかし、募集時に高い時給をちらつかせて、実際に勤務がはじまるとさまざまな無給の業務を義務付けたり、拘束時間が異常に長かったりする、というようなことがあって、アルバイトの学生が辛い思いをする、というのは本当に良くないことだと思います。

 もちろん、そのような形態での講師募集を行っている企業の活動を否定できるわけではありません。ただ、私たちとは考え方が異なるということです。私たちは東大生・東大院生が落ち着いて勤務できるアルバイト環境を提供し、それによって塾生たちの成長がはかれる、という「働き手」「学び手」の双方が成長できる塾づくりをしたい、と考えているのです。

東大生の良さを活かせる、東大生が楽しく働ける塾をお探しではありませんか?

生徒が成長する様子に直接関わることができることが楽しい。
東大生にとって働きやすい職場で、無理なく長く働くことができる。
採用された東大生は、ほとんどの方が辞職しません。弊社に長く根付いてくださります。

子供たちの成長のために「わからないこと」を大切にする立派な学生講師になって欲しい。

みなんさんは、なんのために塾講師アルバイトを希望していますか。

お金のためでしょうか、スキルアップのためでしょうか。

もちろん学生さん個人の価値観や生活環境などを考えると、さまざまな動機があるでしょう。

ただ、基本的に大手学習塾、特に上場していたり、多店舗展開している塾の場合、利益を出すことが企業の最大の目的であるということは理解しておく必要があると思います。

もちらん、だから利益の追求はだめだ、ということではありません。

利益を追求している会社ということであれば、子供たちの何十年も夢を与えつづけている東京ディズニーランドも同じです。

利益を追求するということは効率を最大にすることです。

つまり、いかに安い人件費で、多くの生徒を抱え、高い合格率を出すか?これにつきます。

そうなると、画一的な動画教材で、一般的な大学生アルバイト講師を採用し、多くの生徒に一人の講師をあてがい、その中で有名校に合格できそうな生徒さんに集中的にケアしていくというスタイルの運営になります。

繰り返しますが、これが悪いことだとは、私たちも思いません。

ただ、生徒一人ひとりの成長の手助けをしたいと思っている私たちとは考え方が違うということなのです。

私たちは、自分の知識を子供たちにひけらかして、安っぽいプライドを満たそうとするような塾・予備校講師は、子供の前に立ってはいけない、と考えています。

子供を手段として利用して、金儲けをしようとする、講師の皮をかぶった拝金主義者も同じです。

そのような人間は、子供の成長を妨げることはあっても、子供の今から未来に渡る健やかな生活の実現にまったく役立ちません。

また、子供の前で自分の知識を見せびらかすような授業をしていては、いくら仕事をしても、働き手にとって何のスキルアップもありません。

人間が大きく成長するのは、自分自身のためだけでなく、誰かのために働くという生き方を身につけたときである、と言われます。

穎才学院で、そのような働き手として大切な姿勢を身につけることは、アルバイトをするみなさんに、就職活動や社会人としての勤務において、確実な成長をもたらすでしょう。

どこで働くのか、選択されるのは学生さんご自身です。

その材料として穎才学院と大手個別学習塾の違いをまとめさせていただきました。

穎才学院 大手塾
所属大学 東京大学・東京大学大学院
面接の上、筆記試験は免除いたします。
面接で実力を確認次第、すぐに働いていただきます。
研修給でなく本給与で最初から働いていただけます。
アルバイトの学生・大卒者
採用時に筆記試験・模擬授業有
採用決定後の研修を経て、本格的に勤務
講師の特徴 指導に対する思いが強い。
金儲けだけを目的としている講師は採用しません。子供を教えるのが上手い講師たちです。
一般的な大学生のアルバイトとして従事している先生の割合が多いのではないかと思います。募集広告を見れば、それは伺えます。
講師採用の基準 ・東大生または東大卒でであること。
・教えるということへの志しを重視して面談しています。
*東大生(および卒業生)と東大卒のプロ講師だけで運営している個別塾というのは、私どもが知る限り穎才学院以外に聞いたことがありません。
基本的には、学生アルバイトは社会的に不適合でない限りは採用されます。
一般的なアルバイトと同様、学力よりも、社会性が一定程度あるかどうか、というのが採用の基準です。
勤務と給与 拘束時間=給与となる勤務時間
給与の発生しない拘束時間はつくりません。
事業拡大中につき、希望した曜日は必ず働けます。
拘束時間=給与となる勤務時間+「無給」の時間
塾側が指定した曜日・時間で勤務
服装など 大学に通うスタイルでOK!
学生にスーツ着用を強制するようなことは不自然であると考えています。
大学に通っているときの「学生らしい清潔感のあるスタイル」で働いてください。
スーツ・白衣などの着用が義務。
生徒と先生の割合 授業時は完全に1対1です。全生徒数に対して、講師数はその3分の1程度です。 全生徒数に対して、講師は30~50分の1程度だと思います。
対象とする生徒 受験対策はもちろん、定期テスト対策・内部進学対策・推薦受験を目的とした生徒さんにも指導しています。 塾で使われる教材に沿った指導です。

子どもが好き!教えるのが好き!という東大生が集まっています。

 講師の条件は、「子どもが好き!教えるのが好き!」なことです。丁寧な先生方の指導で、子どもたちが成長する姿をみるのは、きっと大きな喜びとなるでしょう。教育系企業への就職や教員を目指される方にも、おすすめです。学生時代からコミュニケーションスキルや指導力を身に付けることができるでしょう。穎才学院を卒業した講師は、官公庁・有名企業・法曹界などで活躍中です。さまざまな目標を持った仲間と生活を共にすることは、みなさんの貴重な学生時代の経験となるでしょう。


東大生が通勤しやすい地域でのアルバイトです。

穎才学院は、本郷三丁目駅から約17分。春日駅から約12分。

 穎才学院は、板橋区役所前駅(都営三田線)から歩いてすぐの所に教室があります。本郷三丁目駅からは約17分、春日駅からは約12分で、板橋区役所前駅に到着します。東京大学本郷キャンパスの学生さんから、とても通いやすいと好評です。

駒場東大前駅から最速約35分。池袋駅から約15分。

 駒場キャンパスからのアクセスは、京王井の頭線とJR埼京線を利用して、駒場東大前駅からJR板橋駅まで26分で到着します。ここから地下鉄に乗り換えて約7分(徒歩時間含む)で板橋区役所前駅に到着です。また池袋駅からは東武東上線大山駅で降りて約15分(徒歩時間含む)で穎才学院に到着します。

東大生が働きやすい環境です。「月額10万円」以上も可能です。

 世間では時給が高額なアルバイトも増えていますが、連続での勤務が難しかったり、勤務時間が不規則だったりして、学生が一定以上の金額を稼ぐことは難しいのが実際です。穎才学院では、大学の授業後から21時30分までの時間帯で、好きなだけ働いていただけます。業務拡大中につき、意欲のある先生方のご応募をお待ちしております。

-応募資格-
■東京大学または東京大学大学院に在籍している方(卒業生可)。
■子どもが好きな方。学習に対する熱意を中学生・高校生に伝えたいという方。

授業時間前後の拘束がなく、時給の額面以上に効率よく稼げます。



-講師待遇-
■私服可。前後の拘束時間は無し。生徒の欠席分も時給保証。
■医学部、東大受験などに特化した授業の経験者優遇。
■夏合宿、講師食事会(無料)などのイベントあり。自由参加ですが、好評です。
■先生方の得意な指導スタイルを活かしてもらえます。勉強のコツを生徒に伝えてください!



-在籍講師より-

T・K先生
僕はイギリス留学を経たのち、ふたたび穎才学院でのアルバイトを選択したのですが、それは穎才には他の指導塾ではなかなか経験することのできない喜び-生徒のひとりひとりと向き合いながら、その成長過程を共有できるという喜び-があったからでした。意欲あふれる生徒たちの顔、それを自分の自慢にできるアルバイトです。

S・A先生
穎才学院は、他の集団指導の塾や大手の個別指導塾と違い、アットホームで先生と生徒の距離が近く、密接なコミュニケーションがとれます。また、塾長も先生たちも温かい人柄で、親しみやすい環境だと思います。自分の得意科目を、生徒の糧にしてあげる喜びを味わい、責任を持って生徒と接していくことは、社会に出たあとも役に立つ経験になるでしょう。