中学2年生

苦手科目・苦手分野の克服が大切です。

学校の教科書・オリジナル教材・先生のプリントなど、いろいろな授業の進め方が学校にはありますよね。どのような授業の進め方にも、きちんとあわせて苦手科目・苦手分野のサポートをすることが大切であると、穎才学院では考えております。

各学校のオリジナリティーのある教材にも、穎才学院の講師は即座に対応可能です。学校の成績UPのために塾に通ったけれども、教材やカリキュラムがあわないという方、通信添削教材を購入したけれども進度やペースがあわない、全然添削教材を提出していないという方、一度、穎才学院までご相談くださいませ。

穎才学院と他の中学生対象塾(高校受験指導塾)との違い

①「決まったカリキュラムが無い」ので入塾の時期・タイミングに関係なく「学びたいところ」「学ぶべきところ」から学べます。
②「通いたい時間」が選べます。他のお稽古・スポーツとのスケジュールの両立が簡単です。

穎才学院と家庭教師派遣会社との違い

①講師と生徒の相性を「直接」観察しています。
②「合わない先生のチェンジ」「好きな先生の指名」が簡単です。

穎才学院の目標はお子様の「成熟」です。

成熟というのは「ただ年を取る」ということではありません。「自分が良ければ他のことはきにしない」とか「弱いものいじめをして楽しむ」とか、そういった仕方が未熟な人たちの選び取りがちな仕方だとしたら、成熟した人たちがすることは「自分に関することと同じように他の人のことについて考えられる」「弱いひとと一緒にくらせる」、そういった仕事です。年を取っても未熟な人というのはいますし、いらして構わないのですが、そういった方の割合が一定を越えると世の中は上手くまわらなくなります。そういった人の割合はできれば80%以下、おおくとも85%くらいまでにおさえておきたい。家族でも学級でも会社でも、組織や社会の中で5人に1人が大人なら、その共同体は上手くまわります。少なくとも7人に1人は成熟した大人でいてほしい。穎才学院の仕事はそういった「大人」の割合を穎才学院の中からふやしていくことだと思っています。今のところ、順調にやれています。みなさんのおかげです。

「普通の子供」の考え方とは?

だいたいのお子さんは、毎日学校に通って、遅刻もせず早退もせず、さして授業態度に問題があるわけでもありません。塾に通っていれば、そこにだってきちんと行きます。でも、そこで彼らはどんなことを考えているのでしょう。平成生まれの「普通の子供」の考え方について、漫画家の大場つぐみさんは『バクマン。』という作品でそれを見事に言い当てました。

義務教育9年目の僕達に
大人はいつも
「進路は?」
「将来の夢は?」
と聞く
 

真城最高(ましろもりたか)14歳は
こう答える
「わからない」
「まだ決めてない」

より良い高校 大学
会社へと進むのが
ふつう
 
そう
ふつうに生きていくだけ
 
親に迷惑をかけたくない
引き籠りといわれたくない

だから 家でゲームやパソコンの
画面に向かっている方が楽だけど
学校にはちゃんと通っている

将来 フリーターと呼ばれたくない
だから目指してもいない
サラリーマンになり

社会でもトップに躍り出るのは
今から高い成績を取ってる人間
もうランク付けはされているわけで

社会に出ても今の延長でしかない
 
つまらない未来
生きている事は面倒臭い
 
これが
14年
流され 良い子に生きてきた
僕の人生観

(集英社『バクマン。1』より)

好きなことに打ち込む!

しかし、そんな主人公が、完全燃焼し燃え尽き真っ白な灰になった「あしたのジョー」の矢吹丈のように、命を懸けるつもりでマンガを書くようになったのは、主人公が「自分の好きなもの」を大切に出来たからです。スポーツでも、音楽でも構いません。とことん何かに打ち込むという経験は、お子様にとって非常に大切です。

何かに一生懸命打ち込むことが出来るひとは、他のことにも一生懸命打ち込むことができるものです。それは勉強でも同じです。お子様の勉強の仕方に不安を覚える場合には、勉強のことだけでなく、何かに一生懸命打ち込むことが出来るのか、見てあげてください。そこに成績の問題を解決する糸口があるかもしれません。

「将来のために勉強しなさい」と言わない

子供の将来について親が心配するのは当然です。誰も自分の子供を不幸にしようなんて思わない。そうでしょう。でも「どうすれば幸せになれるのか」「どうすれば上手く生きられるのか」、そんなことは親自身にもわかりません。(みなさんだって、どうすればよいかわかりませんよね)

だから親はつい「勉強しないと将来好きなことができないよ」とか「勉強しておかないと食えないぞ」とか、そういった言い方をしてしまう。そうじゃないでしょうか。実際「好きなことができる/できない」と「勉強した/しなかった」はあまり関係しません。同じように「勉強した/しなかった」と「豊かな生活がおくれる/おくれない」もあまり関係しません。統計的に日本の4年生大学を卒業した労働者と高校を卒業してから働いている労働者とでは生涯年収が平均で4000万円から5000万円ほど違うということが知られています。でも、それは「勉強して成績がよくなれば楽な暮らしができる」というのではありません。勉強ができなくても裕福な暮らしをする人がいるのは子供でもわかります。勉強して「良い高校」にいっても「良い大学」に入っても、必ずしも報われるわけではないということもやはりみなさんがよく知っていることです。学歴と年収の関係に関する統計的事実と「〇〇すれば××できる」という短絡とを同じにしてはいけません。そうですよね。

「お金のために勉強する」という仕方には無理があります。

お金があれば勉強しなくなるし、お金なんていらないと思えばやっぱり勉強しなくなる。

お金を学習の動機づけとするというのは、おすすめできません。

勉強すること自体に楽しみが見いだせるように

やっぱり「勉強すること自体が楽しい」「学校に行くのが楽しい」、そういう状態がいちばんシンプルです。もちろん「勉強する」の部分が「サッカーをする」でも「演劇のお稽古をする」でも良いんです。「学校」の部分が「塾」でも「図書館」でも構いません。そういう何かしていて楽しいこと、そこにいて落ち着く場所というのが一つずつあれば、子供はそれだけで随分と救われます。私たちは穎才学院の中学生にも、穎才学院にいらしていない中学生にも、そういう大切なものや大事な場所が見つかるよう願ってやみません。そういうことについて私たちにお手伝いできることがあれば、とてもありがたいことだと思っています。

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×社会に必要とされる人材になるために。 〇誰かに必要とされる人材になるために。

「何が違うねん、頭おかしいんとちゃうか?」と思われた貴方、ぜひ少しだけお時間を割いていただき、この記事を読んでみてください。「何が違うんだろう、わくわく。」という方もぜひこの記事をお読みくださいね。

何が違うかと言えば、「社会に」と「誰かに」の違いなわけですが、「社会」という言葉は用いるときに注意しないといけない言葉で、生身の人間によって構成された血の通った集団という意味なのか、人間の力では制御しきれない怪物のように巨大な構造という意味なのか、よく考えなければなりません。前者の意味で社会という言葉を用いた場合、「社会に必要とされる人材になるために」と「誰かに必要とされる人材となるために」とは、ほぼ同じ内容を指すものとなりますが、後者の意味で社会という言葉を用いた場合、2つの表現は全くことなる内容を指すようになりますね。英国の政治学者ホッブスは、社会(国家)を旧約聖書に登場する巨大な怪物リヴァイアサンに例えて説明しました。このように、社会は個人の幸福や成熟と関係なく駆動することがあるものです。現に私たちが生活する社会では、政府も企業も、ほとんどの場合、個人的な幸福や市民的な成熟には何の関心も持っていません。

幸せになる近道は、他人を幸せにすること。

私たちが望むものは、他人にそれを与えることでしか私たちに与えられません。そのことを示す昔話をお話ししましょう。

昔々遠い国のお話です。ある街に一人の青年がいました。青年は、心優しく頭の良い青年でしたが、いつもさみしそうな顔をしています。「どうして、みんなは僕のことを信頼してくれないのだろう。」と青年はいつも悩んでいたのです。青年は、街のみんなに認めてもらいたくて、一生懸命頑張るのですが、なかなか信頼が得られません。疲れてしまった青年は、とうとうある日頑張ることがいやになって、街から出ていくことにしました。青年が、とぼとぼと歩いていくと山のふもとの泉のほとりに、老人が一人で腰かけていました。青年は、ちょうど歩き疲れてきたので、泉の水で喉の渇きをいやし、食事をとろうと思いました。一人きりで町を出た青年は、一人で食事をするのもさみしいなと思い、老人に持っていたパンをさしだして、一緒に食事をとろうと考えました。「おじいさん、一緒にパンを食べませんか。」と青年がパンをさしだして言うと、老人は「そうじゃの、パンを食べよう。」と言って青年にパンをさしだします。青年は、老人もパンを持っているのかと思いましたが、食事が増える分には問題はあるまいと思い、一緒にパンを食べることにしました。食事を終えると、日が暮れてあたりは暗くなり、少し肌寒くなってきました。青年は、街から持って出た荷物の中から、毛布をとりだして老人にさしだしました。「おじいさん、寒くなってきましたよ。毛布であたたまってください。」すると、老人はどこからか毛布を取り出して言います。「そうじゃの、毛布であたたまろう。」青年は、いよいよ不思議な気がしてきました。青年がパンをさしだすと、老人はパンをさしだします。青年が毛布をさしだすと、老人は毛布をさしだします。なんだか老人のすることがおもしろくなってきた青年は、この老人としばらくの間生活をすることに決めました。「おじいさん、僕と一緒にくらしませんか。」「そうじゃの、一緒にくらそう。」その夜、青年は老人と毛布にくるまって身体をあたためあいながら夜を過ごしました。翌朝、青年は二人でくらす小屋を作るため、あと焚き火をして暖を取るために、荷物のなかからのこぎりを取り出して、山に入って木を切ることにしました。青年が一生懸命に丸太一本を引きずりながら泉のほとりに戻ってくると、老人がちょうど同じくらいの大きさの丸太の上に腰かけています。翌日、青年が街に戻って釘を買い求め泉のほとりに戻ってくると、泉のほとりで老人が同じくらいの釘を持って青年を待っていました。青年は、気が付きました。この老人は、青年が老人に与えたものと同じくらいのものを青年に与えてくれるのです。青年は、この老人のすることを自然と受け入れることができました。青年と老人は協力して小屋をたて、仲良くくらすようになりました。老人と暮らし始めてから、青年は自分が以前のように悩まなくなったことに気が付きました。老人は、青年のことを信頼してくれているように思います。いままで街で信頼を得られなかった自分が、どうしてここでは信頼の得られるのだろうと不思議に思った青年は、老人に聞いてみることにしました。「おじいさん、どうしてあなたは私を信頼してくれるのですか。」老人は言いました。「そうじゃの、お前さんが私を信頼していっしょにくらしてくれるからかの。パンや毛布と同じじゃよ。お前さんがわしに信頼をくれた、じゃからわしもお前さんを信頼するのじゃよ。」

×自分の好きなことばかりする。〇他人に頼まれたことを丁寧にする。

「~したい」や「~のようになりたい」と思っても、他人にさしだすものがなければ仲間は増えません。信頼も得られません。自分の好きなことばかりを追求するのではなくて、他人に頼まれたことを丁寧にこなすことを、中学生には身に付けてほしいと願っています。苦手科目も得意科目もあるのが人間ですね。中学生のころから、得意科目だけを勉強するのは、すこし心配です。苦手科目もしっかりと学習して、いろいろなことを頼まれる人間になることが大切なのではないでしょうか。

中学生の学習は、苦手科目の学習を重点的に行いましょう。

学生さんは、どうしても得意な科目や好きな科目を中心に学習してしまうと思います。苦手科目の学習がついつい後回しになってしまいがちですね。それでは、良くない偏りが出てしまいますから、苦手科目・苦手分野の学習にあらためて力をいれましょう。まだ、間に合います。英語・数学・国語・理科・社会、学習の方法があまり見えない科目があってお困りの方は、よろしければ穎才学院までご相談ください。

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→ いまの勉強法でほんとうに大丈夫でしょうか。本物の「高校受験」をしましょう

ちょっとした確認テストをしてみましょう

【確認テスト】(制限時間 30秒)

問1 「十二支」を順番に全てあげてみてください。

 

問2 「西暦1969年」は「昭和何年」ですか。

この2つの問題が30秒以内で解けない人は、要注意です。これがわからない「大人(社会人)」は、ちょっと
恥ずかしいですね・・・。学校の授業でみなさんが聴いていることは、世の中の知識のほんの一部です。
それでは、現代の社会に対応していけません。

では、次の確認テストです。

問1 あなたの先生は「干支(えと)」について、「十干(じっかん)」と「十二支」の違いを説明できますか。

問2 あなたの先生は「西暦1969年」がどのような年であるか、説明できますか。

問3 あなたの先生は都立入試の数学・理科で両方100点を取れますか。

学校の経験豊かな先生なら大丈夫。でも、ただスーツを着ているだけで「実は大学生」という先生に教わ
っていたのでは、みなさんの学力はいつまでたってもつきません。

本物の学力は、本物の勉強をした先生でないと教えられないものなのです。

高校受験は先生(指導者)の「総合力」が重要。

「本物の先生」といっしょに勉強しよう。

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◆2011高校受験パンフレット