午後の紅茶CM「香り立て。日本の紅茶」篇をめぐって

午後の紅茶CM「香り立て。日本の紅茶」篇をめぐって

 キリンは2015年3月、新しい「午後の紅茶」を発売しました。パッケージデザインや製法の一新は、発売30年目を迎える定番紅茶ブランドに新鮮なイメージを与えています。

CM曲は嵐『Love so sweet』、キャストは早見あかり・大原櫻子・季葉を起用。

 「午後の紅茶」に限らず飲料製品の販売に欠かせないのが、商品のイメージをわかりやすく伝えるCMです。キリンは「新・午後の紅茶」のCM曲として、嵐の『Love so sweet』を選びとり、CMキャストに早見あかり・大原櫻子・季葉(きわ)の3名を起用しました。

 嵐の『Love so sweet』は2007年2月に発売された楽曲です。この曲は、人気ドラマの主題歌として劇中で使用されたほか、ライブコンサートでも多く歌われていて、嵐の代表曲のひとつです。今回、キリンは8年前に発売された嵐の曲をCM曲に使用し、商品に持たせたい爽やかな印象をわかりやすくCM視聴者に伝えています。

 またCMキャストに起用された3名の女性は、いずれも気鋭の女優・歌手・モデルです。2015年3月27日時点で、早見さんは20歳(3月17日がお誕生日だそうです)、大原さんが19歳、季葉さんが15歳、みなさん1990年代後半のお生まれです。CM「香り立て。日本の紅茶」篇では、早見さんが赤色のシンプルなドレスを着て「ストレートティー」のイメージを表現し、大原さんが黄色のワンピースで「レモンティー」の爽やかなイメージを、季葉さんが白のツーピースで「ミルクティー」のキュートなイメージを伝えています。CM中では、それぞれが午後の紅茶をおいしそうに飲み、綺麗な氷と紅茶のビジュアルに響きの良い氷の解けるサウンドエフェクト(キリン飲料系CMの十八番)が重ねられた後、裸足姿の3人の女性が元気よくジャンプします。春のおとずれる季節にあわせてTVで放映されるようになったこのCMは、商品イメージの中核としての「新しさ」や「フレッシュなイメージ」を的確に視聴者に伝えているようです。

「すぐれたCM=すぐれた物語」は身体に効く。

 私がこのCMを視聴して思い出したのは、「すぐれた物語は身体に効く」という内田樹(思想家)の説明です。私たちは物語を身体で読みます。すぐれた物語は、読み手の身体の中に静かに、そして確実に浸みこみ、じわじわと読み手の心と身体を癒します。それは「すぐれた小説」においても「すぐれた映画」においても言えることです。

 村上春樹はこのようなすぐれた小説の持つ効能について、「極端なことを言ってしまえば、小説にとって意味性というのは、そんなに重要なものじゃないんですよ。大事なのは、意味性と意味性がどのように呼応し合うかということなんです。」と説明しました。(『出版ダイジェスト』2003年2・3月号 出版梓会)

 村上春樹はすぐれた小説のディスクール(表現)を「温泉のお湯」に喩えます。温泉のお湯につかっているとじわじわと身体が温まってきますよね。湯船から上がってしばらくしても、その温かさは身体のどこかにのこっている。いや、身体だけでなく心もポカポカとしてくるかもしれない。でも、それがなぜフィジカルに良い効能をもたらすのかについて、科学的な言語で説明することはなかなか難しい。それが物語の機能の特徴とよく似ていると村上春樹は言うのです。

 キリンのCMについても、これと同じことが言えるでしょう。2015年3月のキリン「午後の紅茶」CMを視聴した人は、それぞれ心が元気づけられたり、身体に活力がみなぎってきたりするような経験をするでしょう。でも、それがなぜかは科学の知では上手く説明できない。そのような上質な物語としてのCMを編みあげるのが、大手広告代理店スタッフたちの力であり、そのようなCMを放映するのが日本を代表する飲料製品企業としてのキリンのプライドでしょう。

 今、世の中にはたくさんの物語があふれています。それは小説という形、映画という形をとるだけでなく、マンガ、音楽、動画…、さまざまな形をとるものです。その中には、私たちの生きる活力をうばう、邪悪な性質を帯びたものも少なくありません。ISによる残虐な行為を録画した動画はその代表です。そのような邪悪な物語たちを退け、私たちが健やかに生活を続けることができるように、私たちはすぐれた物語をひとつずつ取り集めていかなくてはなりません。

「人口全体の5%が本好きであれば…」

 村上春樹は「人口全体の5パーセントが本当の本好きであれば、世の中はなんとかなっていくものです。」と言っています。ですから、みんながみんな読書好きになる必要はありません。世の中には、実際、活字にふれることが苦痛で仕方が無いという体質の方がおられます。そのような方にとって、本を読むことを強いられることは、本当につらいことでしょう。

 でも、私たちは生きていくために何らかの物語を必要としています。だから、太古の人間は夜に焚き火を囲んで物語を語ったり聞いたりしたのだと思います。現代の私たちも、誰かに自分の物語を聞いてもらうことが大好きです。もちろん、私たちは自分の物語を物語るだけでなく、ときどき他の人の物語を聴きたくなります。そんな私たちにとって、小説・映画・マンガなど、様々な形で好きな物語にふれることができるという環境を持つことは幸運です。みなさんが、心身の温まる素敵な物語に出会われますよう、各々の魂の物語に出会うことができますよう祈っています。

 春を迎えるにあたって、こんな文章を書いてみました。