寒いですね。今朝は。

私は東京にいるので、うちよりはまだマシだろうという向きもあると思われますが、やはり寒いです。

寒さというのは、数値による相対的比較をしても、仕方が無いものです。寒いものは寒い。

明日から大学入試センター試験(本試験)です。13日・14日、2日間の日程で行われます。

受験生だけでなく、試験監督にあたる大学教員も、受験生を見送る家族も、それぞれに大変な日です。

言っても仕方のないことなのですが、大学入試センター試験のころは毎年寒いんです。雪も降ります。

どうせなら日本の社会も4月でなく9月始まりとして、入学試験は5月の下旬までに終えてしまえば良いのに。昨夜、職場から帰る道々、同僚とそんな話をしていました。詮無いことです。

大学入試センター試験に限らず、入学試験というのは、なるべくフェアに実施されるべきですが、完全にフェアな状態で実施されるということはありません。私たちが社会的に担保すべきは、制度的なフェアネスでしょう。工夫を凝らし、手間をかけたり注意をはらったりすることで、保障されるフェアネスというのは大切です。

それでも、個人間の格差、地域間の格差、そういったものは無くなりません。

今日だって、東京都心はただ寒いだけ、積雪はありません。でも、日本海側や九州地方など、降雪・積雪している地域があるでしょう。それも積雪により、交通機関がストップしたり、日常の移動に支障がでたりしている地域がありますね。

試験当日も、そういった影響が無いとは言えません。

それだけとって考えても、ずいぶんとアンフェアです。

都会の受験生は有利です。何かと。でも、それは都会の受験生の罪ではないし、今日、雪でひどい思いをしている人たちも、なるべく天を恨まないように、堪えていらっしゃるのではないでしょうか。

最近、思うんです。

社会にアンフェアなことは多い。それは良いことではない。でも、そういうアンフェアなものは怒鳴りつけても、蹴飛ばしても、アンフェアなままであろうと。

村上春樹が「雪かき」という言い方をしています。『ダンス・ダンス・ダンス』にでてくる表現です。

雪かきは誰かがしなくてはならない。でも、雪かきされた道や線路を通過する人たちは、たいていの場合、その行為に特別な感謝も感慨も示さない。

そういうものです。

でも、やはり雪かきは誰かがしなくてはならないのです。早起きするなり、汗をながすなりして。人知れず。

誰かが「雪かき」してくれた道を私たちは歩いている。

私がこれまで通ってきた道も、きっとそういう道だったのです。だから、私も雪かきをしなくてはならない。持ちまわりで、同じように。

私はそう思います。もちろん、そう思わない人がいらしてもいいのですが、私はやはりそう思うのです。

東京都心の方は想像してみましょう。今日、結構な雪が降り積もっているとします。朝起きて、あなたは驚きます。窓の外にひろがるのは一面の深い雪景色。これでは通勤も通学もままならなそうです。今日は大事な取引先との打ち合わせや入学試験があり、雪が降っているからといってお休みということにするわけにはいきません。

そんなとき、雪に対して「まじファ(以下略)」などと悪態をついたり、雪だまりを蹴飛ばしたりしても、状況は一向に改善しませんね。

休みの日なら、雪景色を楽しむこともできたかもしれないし、実際に今日のそれを見て楽しんでいる人もいるのだろうけれども、今日の積雪は困る。よりによって、こんな日に雪が降るなんて…。

そういうことを私たちは考えるかもしれません。

でも、もう少しよく考えてみてください。東京都心でも、数年に一度くらい、積雪することがありますよね。それを見こして、スノーブーツや雪かき用のスコップを備えておくこともできるでしょう。そういう準備があれば、積雪しても安全に外を歩くことができたり、辺りの雪かきをしたりすることができるのです。

今度は日本国内のことについて考えてみましょう。豪雪地帯には積雪に対する備えが必要ですね。そういう地域でなくても、数年に一度の大雪にそなえて、除雪車を配備したり、積雪の対策を施したりする必要はあるでしょう。

雪は各地どこでも同じように降るわけではありません。雪国でも、大雪になる年があれば、降雪が少ない年もあるでしょうね。

それでも大雪に対する備えが必要な場合というのはあって、それに必要な費用は、原則としてその地域で負担をしなければなりません。費用の問題だけでなく、実際に積雪があったとき、除雪やその対策にあたる人員というのが必要です。そういった人たちは雪が積もると、そこにでかけていって、黙々と仕事をこなします。

アンフェアネスに対する備えや対応というのは、そういうものです。

それはどこでも一様な仕方で出来するものではありません。それが出来しやすいところも、出来しにくいところもあります。でも、一度それが出来したら、私たちは何とかしてそれによる支障や問題を取り除かなければなりません。それは社会的に重要なことです。

そして、そういう仕事はたいした敬意の対象になるわけでも、高い報酬が得られるわけでもなく、そういうアンフェアネスが取り除かれても、それが取り除かれるのは当たり前だというくらいにしか思われないことが多いかもしれません。

でも、そういった仕事をしてくれている人たちがいるから、私は安全に穏やかな暮らしを営むことができているのでしょう。

私が歩いているこの道を、前もって誰かが設け、誰かが歩きやすいように整えてくれていたのです。

それならやはり、今度は私がそういった仕事をしなければなりません。

大学入試なんて、大学での高等教育なんて、無くても生きていける。大学に行くのは、大学で学ぶのはそれが社会で役に立つから。そうなのかもしれません。

でも、学術が蔑ろにされる社会、人々が「役に立つ」と思うことしか学ばない。それは「雪かき」の行われない社会です。ある種の雪かきが。

学術の他にも、地道な「雪かき」仕事というのは、あります。それは図書館員の仕事であり、鉄道員の仕事であり、教員の仕事です。家事全般もそういった仕事であるでしょう。

それぞれの図書館の業務を丁寧におこない、館の環境を維持し、そこで読書をしたり調べものをしたりする利用者の活動を下支えする。そういう図書館員の仕事がそうです。

私たちが日常、ダイヤの通りにかつ安全に鉄道を利用することができるのは、その運営に関わる鉄道員たちのおかげです。

児童・生徒からノートを回収し、そこに記された内容や字の具合をいちいち確認する教員たちの地味な仕事が積み重ねられているから、私たちの社会のリテラシー(読み書き能力)が保障されています。

家庭内を掃除したり、洗濯やアイロンがけをしたりするのも、それと同じですね。家族が(あるいは自分自身が)気持ちよくそのスペースを使うことができるように、必要になったときすぐにその服を着用することができるように、備えているのです。

そういうのは全て「雪かき」仕事です。

そういう仕事があるから、世の中のささやかな安寧が保たれているし、何も全員がそういう仕事を全て熟さなくても、そういった仕事の恩恵に与ることができるのです。

家で自分が洗ったわけでもない、アイロンをかけたわけでもない、そういうワイシャツやブラウスが調えられていたら、本当にありがたいと思いませんか。

そしたら、代わりに「今度は僕が料理を作りおきしておこうかな」とか「私が少し汚れてきたベランダの掃除をしておこう」とか、そういったことを思いつき、実行するものですよね。

そうすることで、作ったおぼえのない料理が冷蔵庫の中でストックされていたり、掃除をしたおぼえのないベランダが心地よく整っていたり、洗濯したりアイロンがけしたりしたおぼえのないシャツやブラウスをクローゼットから取り出して身に羽織ったりすることができるのです。

こういったことを幸せというのではないでしょうか。

社会における「雪かき」仕事も、そういうやりとりの中で行われるものだと思います。

労使関係における労働には対価が伴います。当たり前です。でも、それだけが労働や仕事なのではありません。

そういう労働に対価が支払われるのも、互いに贈与し酬いあう関係ですし、それは多くの「雪かき」仕事により下支えられる社会の仕組みと同じです。

雪のように不規則に、一定ではない仕方で降り積もるアンフェアネスを、

それぞれがそれぞれにできる仕方で取り除く。

そういう互酬の関係が重要だと思います。しみじみと。

明日、大学入試センター試験の受験生はさまざまな「雪かき」仕事に支えられて、試験を受けてきます。

そういうことに気がついても、気がつかなくても、試験のスコアはあまり変わらないのかもしれないけれど(変わるのかもしれないけれど)、受験生はいずれ受験生ではなくなる。当たり前ですね。だから、彼らが社会で幸せに生きていけるように、彼らが贈与互酬の世界に身を置けるように、まずはその身に贈られる温かみのある仕事に気づかれるよう願っています。

大学入試センター試験に関わる皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。そして、ありがとうございます。

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