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ある公立中高一貫校の適性検査。

その本文はマンガ「宇宙兄弟」に関する書籍から取られた。

モデルロケットの体験教室で知られる植松務さんのインタビューをもとに書かれた文章が載っている。

そこで植松さんはこんなことを言っている。

「調べる方法には、二つあって。まずわかっている人のしていることをこっそり見る。もう一つは、わかっている人と仲よくなって、教えてもらう。そうして自分ができるようになったら、人に教わる。」

ほんと、その通りです。

一つめの仕方は、試験中にするとカンニングになります。当然ですね。

でも、学習能力のある方はこの一つめの仕方でずいぶん上手く学習することができます。まあ、学習能力のある方が学習できるというのは、当たり前です。でも、学習の際に参考にする対象が無いと、そいった学習能力も生きないでしょうね。

この仕方が「自習」です。学習能力のある方は、本を読んだり、WEB教材を利用したりして、だいぶ上手く学習することができるでしょう。

でも、それにも限界があって、読めないもの・わからないことに出会い、それについて理解できるようになるには、やはり誰かしら導き手が要るということになります。

一般的な学校や大学という仕組みが優れているのは、この点です。たくさんの先生がいて、たくさんの学び手がいて、その多様性が保障されている限り、学び手それぞれはそこで導き手に出会う可能性を高くすることができる。

多種多様な本を所蔵する図書館では、同じようなタイプの本しか所蔵しない図書館と比べて、読み手が夢中になれる本に出会う確率が高い。そういう仕組みになっています。

そして、誰もが高い学習能力を備えているというわけでもないので、やはり植松さんの言う二つめの仕方というのが重要になるわけです。

植松さんは、実に上手い言い方をしていますね。

教えてもらうために、わかっている人と仲良くなろう、とすすめています。

ここで「仲良く」なるというのは、教師におべんちゃらを言って媚び諂うとか、スマホでいっしょに自撮りをして、その画像に「親友!」などと書き込むとか、そういったことではありません。

勘違いしていただきたくないのは、誰かと仲良くなって教えをたまわる上で、いわゆる「コミュ力」なんて特に必要ないということです。

人と話すのが苦手でも、空気を読むのが下手でも、誰かと仲良くなって、教えをたまわるということはできます。

大切なのは「コミュ力」ではなく、その誰かに対する畏怖の気持ちです。

畏れながら敬う気持ちと言ってもいいでしょう。そういうのを「憧れ」というのですが、そういった気持ちがあれば、どんな性格の人でも誰かについて学ぶことができます。

何だったら、実際にあったことが無い人からも、本や映像を通して、教えを受けることができるでしょうね。

私が子供のころから、いいえ、それよりもずっと以前、何なら何千年も前から、ずっと知られていることなのだと思いますが、私たちが学ぶというのは、何か情報を得るということとは随分ちがいます。

教わるというのは、情報を受け取るということではなく、それらを活かして何かができるようになるということです。あるいは、手持ちのものを活かして、何をすればいいか考えられるようになるということです。

私たちがどう生きるか、そういうことを決定するのは私たち自身です。ですが、私たちは他の人の考えをコピーすることができるので、実際には自分自身で考えていないのに、自分で考えたと自分自身を欺くことがあります。気をつけたいですね。

私たちが私たち自身について主体的な決定をくだすためには、まず私たち自身が私たち自身のことをよく理解せねばなりません。そのためには、他者と私たちの結びつきについて、世界と私たちの結びつきについて、やはり私たち自身がよく理解せねばなりません。

学習に必要なのは参考書や問題集、優れた(?)塾講師だけではなく、そういった学習者自身の「理解」であるのだと思います。

子供が学習するというのは、そういう理解力をそれぞれの仕方で徐々に身につけるということであり、学校でも塾でも、すべきことはそういった子供たちの成長の支援です。

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