板橋の塾 穎才学院のブログ 【エイサイブログ】 穎才学院ホームページへ

2013年9月24日

日曜劇場『半沢直樹』、半沢はなぜ出向するのか。

こんにちは、穎才学院教務です。日に日に秋の気配が深まってきました。みなさま、お風邪など召していらっしゃいませんか。

さて、TBSのドラマ、日曜劇場『半沢直樹』が最終回を迎えました。最終回のラストでは、主人公の「半沢直樹」が関連会社への出向を命じられたそうです。私自身は最終回を見ることができなかったのですが、生徒に「せんせー、半沢直樹はみんなのために頑張ったのに、どうして出向させられちゃうの?」と聴かれたので、答えることにしました。先生というのは、弟子から教えを請われたときに的確な応答をするものです。私は、

「それはね、働くということにおいて、個人的努力の対価は、常に個人には戻されないものだからだよ。」

と応えました。その場で咄嗟に内田樹先生の言葉を引用して応えたのですが、後になってから考えてみると、なかなか上手い応答だったなあ、と思いました。さすが、わが師匠。

今回の『半沢直樹』最終回のエンディングは、労働の対価が個人に宛てて遅配なく配給されるものであると信じている人たちにとっては、にわかに理解し難いものであったでしょう。つまり、そのような人々にとって、今回のエンディングは「納得の行かない」ものであったはずです。

しかし、私には「大和田常務」への処分も含めて、『半沢直樹』最終回の内容は非常に理解のし易いものでした。

個人的理由から銀行への背任行為を行った大和田常務は、降格して「東京中央銀行」に残されます。これは、「個人のミスは組織がカバーする」という人類学的な合理性に則った処分です。人類学的に正しい方法は、個人のミスを個人の責任に帰するのではなく、個人のミスを集団で補い合うということです。

東京中央銀行の経営危機を救い、大和田常務の背任行為を暴いて組織の体質改善を訴えた半沢直樹に言い渡された辞令は、部長職への昇格と「東京セントラル証券」という子会社への出向という内容でした。これは、「個人的努力は集団を構成するほかの人々と利益を分かち合うというかたちで報われる」という人類学的原則に沿った展開です。半沢の功績は、東京中央銀行の関係者全員で分かち合うという形で、既に半沢へと饗されました。行員の誰もが、金融庁検査を乗り切り銀行の窮地を脱することができたことを喜んだはずです。この時点で、半沢の個人的努力は人類学上は報われているのです。

もし、半沢が部長に昇格し東京中央銀行本店に留まったなら、半沢は東京中央銀行という組織のための努力に対する報酬を、個人に宛てた昇進という恩賞として受け取ることになってしまいます。それは先に挙げた「個人的努力は集団を構成するほかの人々と利益を分かち合うというかたちで報われる」労働の原則に反することになってしまうのです。

ですから、「中野渡(なかのわたり)頭取」は、銀行の責任者として正しい辞令をくだした、と言えるでしょう。半沢を子会社に出向させる辞令は、半沢が銀行員として正しく働くために必要なものだったのです。

私は、半沢直樹の次回作があったとしても、その脚本が「半沢VS中野渡頭取」という構図を取るとは思えません。おそらくは旧産業中央銀行側とコネクションを持つ政治家、あるいは金融庁の黒川の上司、そうでなければ外資系メガバンクといったところを相手として、半沢や大和田専務、黒川検査官らが手を取り合って戦うはずです。たぶん次回作では、岸川元部長の面目躍如たるシーンが挿入されるはずです。そうでないと、岸川の娘と黒川検査官がわざわざ結婚する必要が、物語の筋として無くなってしまいますから。

なんて、勝手な予想をしましたが、当たるかどうかは、わかりません。ただひとつ、確実に言えるのは、私たちは自分のために働く存在ではない、ということです。誰かのために、組織のために働くということが私たちの喜びであり、個人的努力の成果を集団で分かち合うということが、私たちにとりかけがえのない幸せなのです。

そのことを忘れずに、塾生には勉学に励んでいただき、卒業生には大学・企業など各方面でしっかりと活躍してほしいと思っています。

2013年9月12日

marasy(まらしぃ)による「チョコレート・ディスコ」

こんにちは、穎才学院教務です。

さて、本日はピアニストのmarasy(以下、まらしぃ)さんについて紹介いたします。

まらしぃさんは、1990年生まれのピアニストで9歳の頃から本格的なライブ活動をはじめ、2008年にニコニコ動画・Youtubeで動画配信による演奏活動を行うようになりました。その活動は雑誌『日経トレンディネット』などでも紹介されていて、ファンに愛される良きピアニストのようです。

私がまらしぃさんの音楽にであったのは、2013年9月から地上波TVで放映中のTOYOTA社の「AQUA(アクア)」CMを見たときのことでした。非常に美しく軽快で、それでいて丁寧に演奏されたピアノアレンジの「チョコレート・ディスコ」(Perfume、2007年)を聞いて、とても上手なピアニストがいるものだ、と私は感心しました。


翌日、そのCMについて調べてみると、演奏していたピアニストがまらしぃさんで、ニコニコ動画やYoutubeでの演奏活動で有名な方である、と知ったのです。早速、iTunesで何枚かのまらしぃさんのCDを購入して聴いてみたのですが、とても演奏が上手い!非常に感動しました。

おそらく、まらしぃさんのピアノ演奏は「左手」に特徴があるのではないか、と思います。右手の動きももちろん素晴らしいのですか、どちらかと言うと、左手で演奏されているであろうパートが重厚かつ華麗なサウンドなのです。左手の練習のためのピアノ曲として、ショパンの『エチュード第12番ハ短調』(Op.10-12「革命」)がありますが、まらしぃさんの弾く「革命のエチュード」は、きっと素晴らしいのだろうなあ、と想像せずにはいられません。

先日「ヨハネス・ブラームス国際コンクール」で日本人ピアニストの木下敦子さんが優勝されたというニュースがありました。このようなコンクールでのピアノ演奏とニコニコ動画やYoutubeでのピアノ演奏、あるいはアドリブが重要なジャズピアノの演奏とを比べるほど野暮なことはありませんがが、ニコニコ動画やYoutubeで活躍する、言わば在野のピアニストにエンターテイメントとして一流のプレーをしてみせる若者がいることは、とても喜ばしいことである、と私は思います。

ピアノを弾くのが大好きな子供も、サッカーをするのが大好きな子供も、本を読むのが大好きな子供も、のびのびと趣味を楽しんで欲しいものだ、と思います。大好きなことに耽る子供時代の大切な時間から、お金では買えないような素晴らしい才能が花開くかもしれません。

趣味ばかりに耽って、勉強はどうするのか?そんなときは、穎才学院にいらしてください。私も穎才学院の講師たちも生徒たちの多くも、ピアノやサッカーといった、何かしらの趣味・特技を持っています。多かれ少なかれ私たちは、そのような自分にとって大切なものと一緒に成長するものです。子供たちの好きなものは大切にしてあげたいと思います。勉強が大切なものを邪魔する、というのも切ないことですから、そんなときはどうすれば良いのか、一緒に考えませんか。

2013年9月11日

受験計画を立てよう!

こんにちは、穎才学院教務です。秋らしい風がふくようになりました。体調を崩しやすい時期ですが、みなさまお元気でしょうか。

さて、穎才学院では中学受験生、高校受験生、大学受験生を対象に受験計画の調査が始まりました。休み時間や授業後は、みんなで仲良く過ごしている2013年度受験生には、ひとりひとり自分自身の頭を使って、志望校の選定、受験戦略の立案を行ってもらいます。

小学生も、中学生も、高校生も、まずは自分で受験計画・戦略を立案します。
2013-196.jpgもちろん、経験不足の若い世代のことは、お兄さん・お姉さん世代が面倒をみたり、世話を焼いたりすることもあります。写真は、合宿で仲良く遊ぶ高3男子と小6男子です。小学生は中学生・高校生の背中を見ながら、自習室で一生懸命勉強しています。中学生には、高校生の頑張る様子を見て辛い受験勉強をなんとか乗り越えようと努力する様子が見られます。

ひとりでは、乗り越えられないことも、仲間といっしょだから頑張れる。

すぐに怠けてしまう弱い自分でも、導かなければならないさらに若い世代がいるから、きちんと目標に向かって努力できる。

いろいろな世代の人間が一緒にくらすのが、共同生活のポイントです。そして、共同生活の優れた点のひとつは、若者が成熟する機会がたくさんあるということです。ひとりで暮らすよりも、みんなで暮らした方が、人間は正しく大人になります。


私たちは、自分自身よりも若い世代と共に生活することを選んだときに、今までよりも大人になるのです。

中学受験も、高校受験も、大学受験も、「共同生活」的受験勉強で、正しく楽しく乗り越えましょう。


2013年9月 5日

大学入試センター試験利用入学試験 出願のコツ

こんにちは、穎才学院教務です。関東地方では、本日未明から激しい雷雨となりました。通学・通勤中に雷雨の影響を受けた方も多かったかもしれません。みなさま、大丈夫でしょうか。

さて、穎才学院では大学受験生が秋に実施されるマーク模試に向けて、出願校の調査や選定を行っています。本日も、生徒が1人相談にやってきました。だいたい30分くらいかけて、その方にはアドバイスを伝えました。

大学入試には様々な出願形式があります。本日は、その中の「大学入試センター試験利用入学試験」(通称「センター利用」「センター出願」)についてお話しいたします。

「大学入試センター試験利用入学試験」というのは、私立大学などが、1月に実施される大学入試センター試験のスコアに基づいて、出願した生徒の入学の可否を判断する、という形式の入学試験です。主に2月中に実施される私立大学の「一般入学試験」と違って、大学入試センター試験後の比較的早い段階で合否が決まります。

「大学入試センター試験利用入学試験」に出願する際に大切なことは、「落ち着いて1月下旬以降の入学試験に臨める心理状態を作る」ということです。反対に、大学入試センター試験の受験後に避けたいことは、「センター試験の結果が良くなかったと悲観する。(ネガティブな気持ちをひきずる。)」ということです。穎才学院では、生徒一人ひとりが落ち着いて1月下旬以降の入学試験に臨めるように、彼・彼女の性格を考えながら一人ひとりに違ったアプローチで受験校を選定させます。

大切なのはデータではありません。人と人が関わる中でその人が得る感覚、つまり直観です。

私は17歳のときに、当時のクラス担任から、

「データは直観を裏付けるためにあるものよ。」

と言われてから、この言葉の意味をとても大切に噛みしめています。

「『ウチダの身体』は『ウチダの頭』よりはるかに賢い」(『私の身体は頭がいい』文春文庫)と仰る内田樹先生にはまったく及びませんが、私は、私の身体感覚を、私の頭で行うポンコツな論理的思考(つまり「言語的理性」)よりも圧倒的に信頼しています。生徒にも、私の言葉や世間の予備校講師たちの言葉よりも、自分自身の頭や身体を使って考えたり感じ取ったりすることを勧めています。

私の言うことは信じてはいけないよ〜。あなたはどう思うの?あなたはどんなことを感じているの?

というのが私の採用する基本的な指導方針です。予備校講師たちや模擬試験のデータが示すことに基づくよりも、自分自身の思いや感情を大切にしてほしい、と願っています。しつこいけれども、私も含めて予備校講師の言っていることは疑え、というのです。

入学する大学が、どのような大学であるかは、子供たちには入学するまでわかりません。いえ、入学した大学がどのような大学であったかわかるのは、卒業して暫くの時間が経ってからかもしれません。物事の意味は、全て事後的に決定されるのです。

子供が大学を卒業して暫くしてから、「ああ、私の通った大学は良い大学だった。」と言えるように、きちんと自分の頭と身体の感覚を起動させて受験する大学を選び、大学で学ぶのに必要な基本的姿勢をちゃんと身に付けて、大学に入学してほしいと私たちは願うのです。

私たちにとって良かったと思える記憶というのは、良かれ悪しかれ、私たちが私たちの身体を賭けて選び、魂を込めて関わった出来事です。心を込めて受験する大学を選び、身体全体で大学生の生活を体験し、良き師・良き本に出会い、成熟した大人になって欲しいと私たちは子供たちに願うのです。

ですから、受験する大学の選定は、数値的データや世間の評価などに基づくよりも、受験生自身の考えと感覚に基づくことが大切です。受験する大学を選ぶことに逡巡する受験生の背中を少し押してあげる、勇気をもって自分自身の感覚に基づいた選択ができるように後押ししてあげる、というのが私たちの「進路指導」です。

そうですね、実は「指導」なんてしていないのです。私たちは、生徒みんなに自分自身の頭と身体で考え感じてもらう環境を作っているのです。

大学受験生のみなさまが、良き受験校の選定をなさいますよう。

2013年9月 2日

「身の丈に合った暮らし」と「贈与」

こんにちは、穎才学院教務です。9月になり爽やかな気候になるかと言えば、真夏のような空模様です。みなさま、お元気でしょうか。

本日から、小学生・中学生・高校生のみなさんは本格的に学校の授業が始まりましたね。9月から10月にかけて、文化祭や体育祭などの特別活動が予定されている学校も多いと思います。以前、有川浩さんの『キケン』という本を紹介したときに申し上げましたが、学生時代の青春の醍醐味は、限界までやる、学生レベルを超えたクオリティーの仕事を成し遂げる、という「オーバーアチーブ」の体験をすることです。社会や組織がうまく機能するためには、その5分の1の人間が「オーバーアチーブ」する、すなわち「自分のためではなく周囲のために報酬以上の働きをする」ということが必要です。本当に社会に出る前に「オーバーアチーブ」を疑似体験する、そして「オーバーアチーブ」する「楽しさ」を覚える。それが、学生が成熟する上で社会的に大切な構造ででしょう。文化祭や体育祭は、学生のみなさんにとってそれを体験する絶好の機会です。ぜひ、頑張っていただきたい、と思います。

とはいえ、文化祭や体育祭のような特別活動で起こりがちなのは、友達との衝突やクラス内の不和をめぐる問題です。そのような問題に関わることは面倒くさいので、あたりさわりなく、文化祭や体育祭ではみんなで感動を分かち合い、楽しい思い出を作ることを目的として、そこそこの活動をしようとする学生も多いのかもしれません。それは、ここでは良いことでも悪いことでもありません。しかし、私たちにとって、感動や思い出というのは、そのようにあらかじめ良い思いをすることを目指して作られるものなのでしょうか。

「あらかじめ良い思いをすることを目指す」という考え方は、「消費者マインド」と呼ばれるような、ある意味で、きわめて合理的な戦略です。「1000円だすから、1000円分の良い思いをしたい」とか、「私の3時間を費やすから、それに見合った価値のある経験をしたい」とかいうように考えるのは、きわめて資本主義的な「賢い消費者」のあり方です。

『THE FUTURE TIMES』という新聞があります。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文さんが中心になって発行している、「新しい社会のこと、これからの社会のこと。未来を考える新聞」です。『THE FUTURE TIMES』の第五号(2013年9月刊)には、「贈与とお布施とグローバル資本主義鼎談内田樹×釈徹宗×後藤正文」という記事が掲載されています。この鼎談で、御三人は資本主義的な(特にグローバル資本主義的な)マインドに対抗する方策について話し合いました。

資本主義的な「賢い消費者」となることが、特に若者にとって、どのような帰結をもたらすか、ということについて詳しく理解するには、この鼎談での内田先生の発言と『下流志向 学ばない若者たち、働かない若者たち』(講談社文庫)を読まれることをおすすめします。

ここで、資本主義的な「賢い消費者」となることがもたらす不幸は、「自らに先立つ他者との断絶」という形で現れます。それは「生かされているという感覚の喪失」と言ってもよいでしょうし、「生きているという実感の消失」と言っても差し支えないでしょう。『THE FUTURE TIMES』の第五号で内田先生がおっしゃるように、学習努力は得られる利益の代価ではありませんし、勤労も報酬の代価ではありません。そのことに気付かなくなっているのが、「賢い消費者」という生き方を採用した人たちです。

教育や医療、福祉といった人間の身体に関わる営みは、これまで、資本主義的原理の導入に対して、堅牢に守られてきました。人が生まれるとか、育つとか、死に向かっていくとかいったことに関わること対して、競争原理や効率主義を導入するのはおかしい、と私たちの先祖は直観していました。ですから、私たちの先祖は、村や町で貴賤を問わず、同じ川の水を産湯につかい、同じように祭りに参加し、同じように仏の前で眠るのです。しかし、2010年代にはいって、教育や医療、福祉の領域にもグローバル資本主義的な原理が導入される様子が目立つようになりました。財界や政界のグローバル化を是とする論理に、業界が遂に抵抗できなくなってしまったのです。

こうしたある意味で強力な消費者モデルが幅を利かせる一方で、今の30代以下の人たちからは、消費者モデルを採用した生き方に違和をおぼえて、自発的に生活基盤を小さくして、その中で美しく生きていくという生活スタイルが出現しています。『THE FUTURE TIMES』の第五号で、釈先生が示された「自分の価値を下げる場所には出て行かず、身の丈に合ったフィールドで楽しみを見出す」という生き方が、それにあたります。

気に入った街にくらして、その街の商店街で生活に必要なものを調え、仲間や家族と共同生活を行う。そのような生き方は、シェアハウスでの暮らしやワークシェアといった働き方として具体的に現象しています。フジテレビ系列の番組『テラスハウス』が視聴者に受け入れられているのも、若者たちの中に、そのような限られた仲間との身の丈に合った小さな生活に憧れる気持ちがあるからではないでしょうか。

身の丈以上の暮らしを欲望すると、私たちは賃労働で自分の時間を安く売らなくてはならず、結果的に自分の価値が下がることになってしまいます。それは、避けなければなりません。ですから、堅実な生き残りの方法として、生活スタイルの身の丈にあったリサイジングを行う、というのは大切なことだと思えます。

このような小さなスケールの生活で、私たちにとって大切なのは、共に暮らす人々と大切なものを分け合う、という戦略です。水を分けあい、食べ物を分け合い、持っている知識や技術も分け合って、上手く生活していく、という戦略がここでの賢い選択です。このような分け合い、つまり「贈与」が私たちの生活に欠かせないことを、神話や文学は私たちに向けて、繰り返し教えています。

自分が良い思いをするようにあらかじめ計算するというような個人は、決して賢い生き方をしているとは言えません。そのような生き方を採用する人は、アマルティア・センが「合理的な愚か者」といって批判した功利主義的なエゴイストや、『海辺のカフカ』(村上春樹)の「大島さん」が「想像力のない人間」といって非難した狭量なフェミニストのように、どれだけ正しさを装っていても、実際は人の生活にとって有害な、困った存在です。

私たちが何人かの仲間や家族と共に無人島にながされたときに、大切なのは「自分の利益だけを考えてはいけない」、すなわち「他の人に贈与しなければならない」というルールです。自分のためだけでなく、仲間のために家族のために余計に頑張る、という生き方を身に付けることが、危機に陥ったときにみんなで生き延びるために、私たちには必要です。

繰り返しになりますが、学生にとって文化祭や体育祭の基本は、そのようなオーバーアチーブした生き方を疑似体験するということにあります。貨幣ではない何かを仲間に贈与するということが行える、学生にとって生きる力を身に付ける絶好のチャンスが文化祭や体育祭です。

蛇足になりますが、文化祭や体育祭に熱心に取り組む学校の学生は、大学受験においても良い成果をおさめます。自分の時間を自分のためにではなく他者のために差し出せるような人は、非常に賢い人なのです。

私も、母校の文化祭・体育祭、御縁のあった都立青山高校の文化祭(「外苑祭」)などで、特別活動に没頭する学生の姿を多く見てきました。そこでインターハイに出場するランナーや体操選手のいるスポーツ選抜クラスに対抗しようとする一般クラスの面々や、劇団四季のミュージカルを徹底的に研究し、教室を劇場として、高校の文化祭のレベルを超えた素晴らしい演劇を見せる学生たちの姿は、とても美しく魅力的なものでした。

是非、みなさまも文化祭や体育祭に積極的に取り組まれますよう、そして保護者のみなさまも温かい目でそれを見守ってくださいますよう、おすすめいたします。ただ、乱暴な言動、粗野な行為にはくれぐれもおよばぬように、学生のみなさんは慎んで、大人たちは心配りして、秋の素敵な行事を楽しみましょう。

 

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