板橋の塾 穎才学院のブログ 【エイサイブログ】 穎才学院ホームページへ

2013年3月30日

三技諒君に、送る言葉。

 三技諒君、卒業おめでとうございます。貴方は、中学生のころから塾生として、しっかりと穎才学院で学び、大学入学後は事務として塾生のために尽くしてくれました。本当に感謝しています。何よりも、若いあなたの未来が、前途洋洋たるものであることを願います。もし寂しくなったり行き詰まったりしたときには、穎才学院に遊びに来てください。『天空の城ラピュタ』の「ドーラ」のような塾長や、才能豊かな東大生講師たちが貴方に勇気と元気を与えてくれるでしょう。くれぐれも体には気を付けて、しっかりと20代を生き抜いてください。

 ところで、このHPは近いうちに「三技諒」君の名前でweb検索したときに、上位でヒットするようになるでしょう。今の時代は、本人と実際に関わる前にwebでその人の名前を検索する、ということが多いようです。それは、人間についても本についてもラーメンについても同じです。本を読む前に私たちはwebでブックレビューを調べますし、ラーメン屋に行く前にwebでその店の評判をチェックします。そのような行為は、ここでは非難されるものでも評価されるものでもありません。ただ、私たちはそのようにしてwebを利用して、本について調べ、ラーメン屋について調べ、人間について調べているのです。ですから、このページにたどりついた方の中には、三技諒君御本人の他に、三技諒君がどのような人間であるか、ということについて少なからず興味を持っている、または既に三技諒君のことをある程度知っているという方がおられることでしょう。

 では、文学的な修辞を用いて、三技諒君がどのような人間であるのかを表現してみましょう。三技諒君とは、「雪かき」仕事の大切さを知る「ホールデン少年」です。

 2013年の1月、都内で大雪になった日がありましたね。雪に対して日常の準備のない東京では、交通網がストップし、人々は立ち往生しました。三技諒君は、そんなときに黙ってスコップを持って「雪かき」をするような人間です。雪が降ったときには、誰かがしっかり「雪かき」をしないと、雪が凍ってしまったり、いつまでたっても溶けなかったりして、私たちの生活は支障をきたしてしまいます。「雪かき」という仕事は、とくに達成感があるわけでもなく、体力は消耗しますし、それに対して報酬も支払われませんし、社会的敬意も向けられないような地道な仕事です。しかし、アルベール・カミュもJ・D・サリンジャーも村上春樹もエマニュエル・レヴィナスも、そのような「雪かき」仕事が人類学的にとても大切なものである、ということを語っています。

 哲学者の内田樹は、このような「雪かき」仕事をめぐって、「世の中には、『誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる』というふうに考える人と、『誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう』というふうに考える人の二種類がいる」といいました。三技諒君は、この第一の種類の人です。誰かがやらくては人間的秩序が崩壊してしまう、という大切な営みに対して、誰かがやらなくてはならないのなら、私がやるというアプローチのできる人は、とても貴重です。高い学歴を持っていてもこのような能力を持たない人間が多いことは、世間でもよく知られています。三技諒君のような人間がちゃんといることで、チームのメンバーは安心して仕事に取り組んだり、家族は安心して生活を営んだりすることができるでしょう。

 また、三技諒君は学生時代を通して学童のアルバイトをしていました。私は、学童での彼の働きぶりを直接見たことはありませんが、彼が子どもたちから慕われ、職員の方から信頼を得ていたことはよくわかります。三技諒君は、子どもの危機(リスク)に対して非常に鋭い感覚を持ち、それを予期することができるような人間です。
 J・D・サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で、ホールデン・コールフィールド少年は妹のフィービーに「好きなこと」を問われて、このように語ります。

 だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。

 「ライ麦畑のキャッチャー」という、物語のタイトルと関わる、この箇所を読んだとき、若い読者は何のことを言っているのか、わからないと言うかもしれません。内田樹先生も「高校生のときにはじめてこの箇所を読んだとき、私は意味がぜんぜん解らなかった。」と言っています。しかし、「それから大きくなって、愛したり、憎んだり、ものを壊したり、作ったり、出会ったり、別れたり、いろいろなことをしてきたら」、この世界には「ライ麦畑のキャッチャー」のような存在が絶対に必要だ、ということがわかるようになったと言うのです。

 世の中には、回避できない危険(デインジャー)または起こってしまった危険(ハザード)と、起こりうる危険(リスク)というものが存在します。2011年に起こった大地震は前者です。私たちは、デインジャーやハザードがいつ起こるかわからない世界で生活しているので、そういった危険に対しての適切な対処法を知ることも私たちにとり大切なのですが、もう一つ大切なことは、ヘッジ(予防)することのできる危険に上手く対処するという技術です。三技諒君は、「起こりうる危険(リスク)をヘッジ(予防)する」能力に長けた人間です。このような人間がチームにいることで、チームのメンバーは安心して仕事に取り組んだり生活を営んだりすることができるでしょう。

リスクをヘッジすることが必要な組織のリーダーは、三技諒君をその組織に採用するべきでしょう。採用すれば、三技諒君はお金では買えない貴重な成果を組織にもたらすはずです。

リスクヘッジが苦手な方は三技諒君をパートナーとして生活するとよいと思います。家族や仲間を危険から遠ざける三技諒君は、非常に頼もしい存在となるでしょう。おすすめです。
 
 三技諒君の仲間の中では、彼があまりに有能で優しい人間だから、社会人になってから激やせするか激太りするかというくらい過酷な状況に置かれるのでないかと心配する向きもあるようです。もちろん、環境が大きく変わりますから、体調をくずしたり病気になったりすることがないよう、私も心配はしています。しかし、きっと三技諒君は大丈夫。激やせしたり激太りしたりするようなことはないでしょう。それは、三技諒君が「人と人との関係の中に身を置く」という術をしっているからです。政治学者の姜尚中は、『悩む力』で「人と人とのかかわり」の中でかたちづくられる自我について論じました。三技諒君がそのような「人と人とのかかわり」の中に身を置く限り、これまでのようにこれからも、仲間たちが彼のことを見守って助けてくれるでしょうから、きっと三技諒君が神経衰弱に陥ったり、過食症になってしまったりすることはないであろうと思います。

 このように、三技諒君の未来は豊かな仲間に恵まれた幸福なものであるでしょう。たとえ、『テンペスト』のプロスペローや『松浦宮物語』の氏忠のように、数奇な運命に巻き込まれることがあっても、彼の身に付いた技術や仲間たちの力が彼を安寧の場所に導くはずです。それでもだめなら、本を読みなさいね、三技君。
 
 すっかり長くなってしまいました。三度、彼の未来が幸多きものであろうことを言祝ぎ、『テンペスト』の終幕のように、彼を称える穎才学院の人々の拍手とともに送辞を結びたいと思います。

これが最後。

こんばんは穎才学院事務の三技諒です。

2009年4月より穎才学院の事務として勤務し私が塾生だった期間と合わせて約8年間、お世話になりました。4年間での総勤務時間3412時間、日に換算すると142日分、大学生活の約1/10の時間を穎才学院で過ごしたことになります。

塾生だった頃からふり返ると、たくさんの思い出があります。「受付の前で荒木塾長に2時間お説教をしてもらったこと」「5階の教室のカギを壊してしまったこと」「傘も持たず雨が降る中で森本教務主任に怒られたこと」「授業時間外にも関わらず懇切丁寧に指導してくださった講師の方々」「合宿中、なかなか寝なかった中学生・体調を崩し心配をかけた高校生」など、挙げたらきりがありません。

その中でも穎才学院で過ごした8年間で感じ、後輩の塾生に伝えたい3つのことを記したいと思います。


【1.決意したら行動すること。】
突然ですが5羽のカモメが防波堤にとまっている情景を思い浮かべてください。そのうちの1羽が飛び立つことを決意しました。「残っているのは何羽でしょう?」


ー  答えは「5羽」です。

誤解されがちですが決意そのもの自体には何の力もなく、そのカモメは飛び立つことを決意しましたが翼を広げて空を舞うまでは他の防波堤にとまっているカモメとどこも違いありません。人も同じで決意した人と何も考えていない人では何の違いもありません。しかしながら、人は他人のことを行動で判断するのに対し自分のことは決意で判断することが往々にしてあります。私が塾生だった頃、行動を伴わない決意を幾度となく行ってきました。これは期待してくれている人に対する裏切りでしかなかったと感じています。結果はどうあれ、決意したことに向かって行動、努力していってほしいと思います。


【2.周りの人に感謝すること。】
現代の生活は何不自由なく暮らすことのできる便利な社会となりました。そのような社会の中で当たり前のようにご飯が食べれること、当たり前のように携帯電話が使えること、当たり前のように塾に通えること、また講師の方々が授業のときに当たり前のように配布してくださるテキスト、授業時間外でも当たり前のように行ってくれる添削や補修、受付の前に当たり前のように置かれているお菓子など、「当たり前」となったがことが多いのではないでしょうか。それら「当たり前」のことはすべてお家の人が働いて稼いだお金から賄われていたり、講師の方々の時間を削って行われているということを知ってください。「当たり前」の中に潜む、他人の行為に対して感謝の気持ちを持ってほしいと思います。


【3.一生懸命取り組むこと。】
一生懸命【いっしょうけんめい】の本来の意味を知っていますか?普段から「一生懸命頑張ります」とか「一生懸命努力しました」など多くの場面で使っていると思います。一生懸命とは「命がけで物事をすること。全力をあげて何かをするさま。」という意味です。私を含め今の若い人たちは「一生懸命」という言葉をあまりにも簡単に使っていないでしょうか。本当に命がけでやったか?本当に全力をあげてやれるか?一生懸命という言葉を使う前にもう一度自分に問いかけて欲しいと思います。



この8年間で荒木塾長,森本教務主任を始めたくさんの講師の方々にお世話になりました。特に私にとって母のような、祖母のような存在である荒木塾長。師匠であり、兄のような存在である森本教務主任には感謝しきれません。お二人のおかげで今の自分があるのだと思います。本当にありがとうございました。

これからも穎才学院の塾生たちが世の中で活躍してくれること願ってやみません。

2013.3.30 事務 三技諒

2013年3月28日

桜の木の下に埋まっているものについて。

 東京では、寒いと暑いとが交代にやってくるような、春らしい天気になっています。みなさま、おかわりないでしょうか。

 今年の桜は、すっかり満開をむかえてしまって、もう少ししたら葉桜になりそうです。この間、平日の昼間に土手沿いを歩いていたら、ちょうどお昼休の時間だったからでしょう、たくさんの人が桜の木の下で弁当を広げたり、飲み物をのんだりして、花見を楽しんでいるようでした。でも、みなさん「桜の木の下」に座っているのだから、桜の木はあまり見えていないはずです。いえいえ、私はみなさんの花見の流儀に文句をつけているのではありません。花見とは桜の木を見るものではないのだ、ということに気が付いたのです。

 私が気付いたのは、「花よりだんご」というようなことでもありません。事実、花見客の中には食事もほどほどに、友人と話に花を咲かせたり、ぼんやりとどこかを見たりしている人たちもいましたから。

 梶井基次郎は、「いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。」と言いました。桜を見ている人たちは、目の前の桜の木を見ているというよりも、この「一種神秘な雰囲気」に醸し出される何かを見ているのですね。夜、仕事を終えて最寄駅の改札を出ると、電燈にてらされて、ぼうっと、うすいうすいむらさき色に光った桜に目を奪われることがあります。毎日、通勤電車から沿線に咲く桜並木を見て、春が来たことや春が去ってしまうことを感じることがあります。このように、私たちが思わず桜に目を引かれたり、次から次へと過ぎ去っていく車窓の桜を見ているように感じたりするのは、目の前にある桜の木を見ているのではなく、その向こう側に「花」という総体のようなものを見ているからだと思います。

 少しわかりにくくなってきたかもしれません。要は、私たちは目の前の桜の木を見ているようで、実は別の何か(「花」)を見ているということです。土手っぷちで花見をするサラリーマンは、子どものころに見た、故郷の川辺に咲いていた桜を想い出しているかもしれません。通勤電車から沿線に咲く桜並木を見る人は、学生のころ仲の良い人と見た夜桜のことを想い出すかもしれません。そう、私たちは目の前の桜に何か別のものを投影するようにして、花を見ているのです。

 村上春樹の短編に「青が消える」というものがあります。「鏡」という短編もあります。「青が消える」は「見えていたものが、見えなくなる」話で、「鏡」は「見えて欲しくないものが、見えてしまう」話です。どちらも、「そこに存在するのとは別の形で存在するもの」を語っています。この「そこに存在するのとは別の形で存在するもの」のことを、私たちは「思い出」と言ったり、「記憶」と言ったり、「トラウマ」と言ったりします。梶井基次郎は、これを喚起するものを「一種神秘な雰囲気」と形容しました。私たちは、この雰囲気に誘われて、桜の木の下で足をとめたり、友人と誘い合って花見に出かけたりするのでしょう。私たちは、花を見ながら、うっとりとした気分になったり、感傷的になったりしますが、そのような感情を梶井基次郎は「憂鬱」と言い、兼好法師は「あはれ」と言いました。

 春は花見、夏は花火、秋は月見、冬は雪というように、私たちは季節ごとに自然と触れ合いながら「もののあはれ」をおしみます。「そこに存在するのとは別の形で存在するもの」に思いをおよぼすということを、私たちは繰り返し行います。見えなくなってしまったものを思い、見えてはいけなかったものを鎮魂するということを私たちは繰り返すのです。梶井基次郎が「桜の樹の下」で言っていることも、兼好法師が「花は盛りに」で言っていることも、たぶんこのようなことで、始まるはずなのに始まらなかった物語を愛おしみ、実を結ばなかった約束を恨み、遠く離れた場所のことを思いやり、見えないものを瞼に浮かべてみる、というようなことが物語るという営みなのかもしれません。

 散り始めた花を見ながら、村上春樹の『めくらやなぎと眠る女』という短編集を読んでいて、つれづれとこのようなことを思いつきました。桜の木の下で、良き短編集をお供に花見をするのも、楽しいかもしれません。


2013年3月11日

「非現実な夢想家」として「大切な記憶」を受け継ぐこと。

 ついこの前まで寒さにさいなまれていたような気がしますが、だんだんと暖かな日が増えてきました。みなさま、おかわりはありませんか。 

 本日、2013年3月11日は東日本大震災発生から2年の日でした。2013年3月10日は東京大空襲から68年の日で、2013年1月17日は阪神大震災から18年の日でした。私は、本日14時46分に乗っていた電車が駅で訓練のため停車し、あの日のあの時間が今年もやってきたのだと思いました。ちょうどそのとき、私は村上春樹がノモンハンで体験した「激しい揺れ」のことを書いた文章を読んでいたのですが、村上春樹が「僕という人間の内部で起こった、激しい個人的な震動」を感じたと言うように、電車の中で自分の身体が揺れるのを感じました。座っていた席から転げ落ちるような激しい揺れではありませんでしたが、頭がぐらぐらとゆれ、確かに身体が揺れているように思ったのです。もちろん、その時間の東京で地震は発生していません。私の身体が揺れたように私が感じ取ったのは、あの日のあの時の揺れがしっかりと身体に刻み込まれていたから、あるいは村上春樹の「激しい揺れ」についての文章と身体が同調したから、またはその両方が原因でしょう。もしかすると私と同じように、本日14時46分に身体の揺れるような経験をなさった方は多いかもしれません。私たちは、メモリーチップに情報を記憶するのではなく、身体に経験を刻み付ける生きものなのです。

 2011年に村上春樹がカタルーニャでスピーチをしたときに言ったように、日本人であるということは「多くの自然災害とともに生きていくことを意味している」ようです。村上さんは「無常」という言葉を使って、そんな環境で生きてきた日本人のメンタリティーを説明しました。もう少しすると、東京でも桜が美しく咲きはじめるでしょう。日本人は、古代から桜を愛でてきましたが、それは桜の花がやがて消滅し、とどまることのないという「無常」のありさまを私たちに示してくれるからです。桜も蛍も紅葉も、ほんのわずかな時間にその美しさを失ってしまうものである、と村上さんは説明します。歴史的な因果関係は定かではありませんが、桜を愛で紅葉を愛おしむ私たちは、押し寄せる自然災害をある意味では「仕方のないもの」として受け入れ、被害をみんなで克服するという生き方を身に付けてきました。

 村上さんが2011年のカタルーニャで予言したとおり、震災から2年経って、被災(人災たる原子力発電所事故の被害を受けた地域も含みます)地以外に住んでいたほとんどの人は、精神を再編成し、日常を取り戻しました。しかし、やはり村上さんが予言したとおり、「いったん損なわれていまえば、簡単には元通りにはでき」ないものをめぐる問題が、残されました。それは「倫理」であり、「規範」です。村上さんが語ったのは、「福島の原子力発電所」のことです。

 ロバート・オッペンハイマーという科学者がいました。この人は第2次世界大戦中、原子爆弾開発の中心になりました。彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。


「大統領、私の両手は血にまみれています」


トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。


「これで拭きたまえ」


もちろん、広島や長崎でながされた「血」をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこにもありません。これも村上さんがカタルーニャで語ったエピソードです。

 私たちは、トルーマン大統領が取り出した「白いハンカチ」を再びふりかざすのでしょうか。私たち一人ひとりが、特に大人一人ひとりが、しっかりと考えなければなりません。2011年の福島で起こったことを、私たちが亡くなった後に生きる子どもたちの世代に丸投げしてしまってはいけません。そんなことをしたら、子どもたちは怒ってしまいます。いつの時代も、子どもは大人のありさまを見ているのです。大人ってずるいなあ、君たちの尻拭いをどうして僕らがしないといけないんだい、と私たち大人も子どものころ思ったはずです。それを忘れてはいけません。

 村上さんは、「倫理」や「規範」を再生する仕事は、私たち全員の仕事であるといいました。私たちは2011年のあの時、死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや押し付けられた理不尽な死に応えたいという自然な気持ちから、ささやかな募金活動に参加したり、ボランティア活動をおこなったり、一人ひとりが再生の作業に取り掛かりました。村上さんによれば、それは「素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事」です。多くの人が、自分の手で物資を運び、声を枯らして善意の募金を呼びかけ、黙々とがれきを拾いあげました。一人ひとりがそれぞれにできる形でがんばったのです、心を一つにしようとがんばりました。

 村上さんは、この大がかりな作業に「言葉を専門とする」職業的作家が進んで関われる部分があるだろうと言いました。「畑の種まき歌」のような人々を励ます律動を持つ物語が、そこには必要です。物語は、人々の傷ついた心を静かに癒し、暗闇のなかで人々の足元を照らし出し、寒さに凍えそうな心や身体を丁寧にあたためるはたらきを持っています。太古の時代から、どの民族の人々も、物語ることを欠かしたことはなかったと言われます。口承の物語は、やがて場所によっては紙に書きとめられるようになり、長い時間を経て、廉価に印刷され、私たちの手元に保管できるようになりました。

 村上さんは、カタルーニャで私たちに「非現実な夢想家」という言葉を与えてくれました。私たちはやがて死にます。いつか消えていきます。しかし、私たちが生きた記憶は受け継がれます。システムの原理に基づいて押し付けられる「現実」という神話にあらがって、私たちの大切なやわらかい部分を守るために「非現実な夢想家」になることが求められる場合が、私たちにはあります。亡くなった父の記憶、年老いた母の記憶、いなくなってしまった友達の記憶…。私たちは、そういった記憶を受け継いで、前を向いて生きていかなくてはなりません。やっぱり、私たちはみんなで幸せになりたい。そのためには、私たちが先に生きた人々の記憶を私たちのやわらかい部分に刻み込み、静かに、しかし確実に受け継いでいかなければなりません。

 村上春樹の本に『村上春樹 雑文集』(2011年1月 新潮社)があります。その中に、「壁と卵」と題されたエルサレム賞・受賞のあいさつが収録されています。この文章は、「倫理」と「規範」の再生、記憶の受け継ぎといった、私たちに課せられた大切な作業についての示唆が含まれています。今回、この記事で引用した2011年9月のバルセロナ賞・受賞のスピーチはまだ書籍化されていませんが、併せてご紹介させていただきます。

 彼らの記憶が、静かに受け継がれていきますように。

 

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