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2010年2月25日

【土佐日記 現代語訳】門出

 男もすると言う日記というものを、女もしようと思ってするのである。
ある年の陰暦一二月の午後八時頃に、出発をする。その時のことを、少し書きつける。
ある人が、地方勤務の四・五年の任期を終えて、決まった雑務などの事務もすべてし終わって、解由状なども取って、住んでいた邸からも出て、船に乗ることになっている場所に移る。あの人や、この人、知っている人知らない人が見送りをする。長年の間、親しくつきあっていた人々が、別れをつらく思って、一日中、あれやこれやして、騒いでいるうちに夜も暮れてしまった。
二十二日日に、和泉の国までと、旅の無事を祈って、神に願を立てる。藤原のときざねが、船旅ではあるが、馬のはなむけをしてくれる。身分の上中下すべての者が、すっかり酔って、たいそう不思議なことに、(腐りにくい)海のほとりで(腐るというのではないが)ふざけあっている。

【土佐日記 現代語訳】忘れ貝

 四日。かじ取りが、「今日は、風や雲の具合がとても悪い。」と言って、船を出さなくなってしまった。しかしながら、一日中波も風も立たない。このかじ取りは、天候も予測できない愚か者だったのだなあ。
この港の浜辺には、様々な美しい貝、石などがたくさんある。それだから、亡くなった娘のことばかり恋い慕いながら、船中の人が詠んだ歌は
浜辺に打ち寄せる波よ。恋しい人を忘れるという忘れ貝をうち寄せておくれ。そうしたら、私は船から下りて、その忘れ貝を拾おう。  
と詠んだので、ある人が堪えられなくなって、苦しいことの多い船中の気晴らしに詠んだ歌は、
忘れ貝を拾ったりはしますまい。白玉のように可愛らしかったあの子を恋しく思う気持ちだけでも、あの子の形見と思いたいから。
と詠んだのだった。(死んだ)娘のためには、親は子供のように聞き分けがなくなってしまいそうだ。「玉と言うほどもなかっただろうに。」と人は言うだろうか。しかし「死んだ子は、器量よしだった。」という言い方もある。
 やはり、同じ所で、日を過ごすことを悲しんで、ある女が詠んだ歌は、
手を浸しても子が死んだ悲しさのせいで寒さすら分からない泉に、水を汲むことはないのに手を浸し続けているうちに、だんだん日にちだけが過ぎていくことよ。

【土佐日記 現代語訳】帰京

 家に着いて、門をはいると、月が明るいので、実にはっきりと様子が見える。聞いていたよりも、言いようもなくひどく壊れ傷んでいる。家に託してあった人の心も、すさんでいたのだったよ。隣との境の垣はあるが、一つ屋敷のようなので、望んで預かったのである。それでも、ついでごとにお礼の物も絶えずやっていたのだ。今夜は、「こんなこと。」と、大声で言うこともさせない。実に薄情に見えるが、謝礼はしようと思う。さて、池のようにくぼんで、水がたまっているところがある。そばに松もあった。5・6年のうちに、千年もたってしまったのだろうか、一部分がなくなってしまっていた。新たに生えたのが混じっている。大部分がみな荒れてしまっているので、「ひどい。」と人々が言う。思い出さないことはなく、恋しく思う中で、


この家で生まれた女の子が、一緒に帰らないので、どんなに悲しいことか。

同じ船で一緒に帰京した人たちもみな、子どもが群がり集まって騒いでいる。こうした中に、やはり悲しさに堪えきれず、ひそかに気持ちを理解してくれる人と詠み交わした歌には、

生まれた子も帰ってこないのに我が家に小松が生えているのを見ることの悲しさよ、

と詠んだ。まだ詠み足らないのだろうか、また、このように詠んだ。

亡くなった子が松のように千年も見ることができたら、遠い土地で悲しい別れをすることがあっただろうか、そんなことはなかっただろうに。

忘れがたく、残念なことも多いが、書き尽くすことはできない。とにもかくにも、早くきっと破ってしまおう。

【戦国策 現代語訳】蛇足

 楚の国に司祭者がいた。あるとき召使たちに大杯の酒をふるまった。召使たちは相談し合って言うことには、「この酒は何人もで飲めば足りないが、一人で飲むなら余るほどある。地面に蛇の絵を描いて、真っ先に描きあげた者がこの酒を飲もう」と。その中の一人が真っ先に蛇を描きあげた。酒を引きよせて飲もうとした。左手で杯を持ち、右手で蛇に描き加えながら言うことには、「私は蛇の足を描くことができる」と。その足がまだ描き終わらないうちに、もう一人が描いていた蛇が出来上がった。杯を奪い取って言うことには、「蛇には元々足が無い。あなたはどうして蛇の足を描くことができるだろうか。いやできない」と。とうとうその酒を飲んだ。蛇の足を描いたものは、とうとうその酒を失ってしまった。

【十八史略 現代語訳】先従隗始

 燕の人々は太子の平を擁立して君主とした。これが昭王である。昭王は戦死者を弔って、言葉使いを丁寧に話して褒美を手厚くして、そして賢者を招こうとした。郭隗に質問して言うことには、「斉の国は私の国が乱れているのに乗じて、攻撃し燕を破った。私は燕が非常に小国で、それにって斉に報復することに力が足りないことを承知している。本当に賢者を国に招いてともに国政を運営し、そして先王の恥辱を晴らすことが、わたしの願いである。先生は賢者として適当な人物を示せ。私はその賢者に仕えることがでるだろう」と。
隗が言うことには、「昔ある国の君主で千金を使って召使に命じて千里の馬を買い求めさせたものがいた。召使は死んだ馬の骨を五百金で買って帰った。君主は怒った。そこで召使が言うことには、『死んだ馬の骨でさえ高い値で勝ったのですから、まして生きている名馬ならなおさら高い値で買うでしょう。名馬はすぐにでもやってきます』と。一年たたないうちに、千里の走る名馬が3頭もやってきた。今、昭王が必ずや賢者を招きたいと思うならば、まずこの隗から始めなさい。私が厚い待遇を受けたと聞けば、まして私より賢い者は、どうして千里の道を遠いとするだろうか、いやしないだろう」と。
そこで、昭王は隗のために邸宅を新しく作って、隗を先生として仕えた。そこで、天下の賢者たちがこぞって燕にやってきた。

【伊勢物語 現代語訳】さらぬ別れ

 昔、男がいた。(男の)身分は低かったけれども、母は皇女であった。その母は、長岡というところに住んでいらっしゃった。子(である男)は京で宮中に仕えていたので、(母のもとへ)参上しようとしたけれども、何度も参上することができない。(男は【ただ子どもというだけでも可愛いものであるのに加えて】)一人子でさえあったので、たいそうかわいいと思いなさった。そんな時に、一二月ごろに、急ぎの用事だと言って、手紙があった。驚いて(男が)見ると、和歌が書いてある。
年をとると避けられない死別があるというので、ますます見たいと思うあなたですよ。
その子は、たいそう泣いて和歌を返した。
世の中に避けられない死別が無いといいのに。親に千年も長生きしてほしいと祈る人の子のために。

【枕草子 現代語訳】香炉峰の雪

 雪がたいそう高く降り積もっていたのに、いつもとは違って、御格子をお下げ申し上げて、炭櫃に火を起こして、世間話などをして、皆が集まっておりました時に、中宮様が「少納言よ、香炉峰の雪とはどのようなものでしょう」とおっしゃったので、御格子を上げさせて、御簾を高く巻き上げたところ、中宮様は微笑まれた。同席の女房たちも、「そのような事は知っていて、歌にまでも歌うけれども、やはり、あなたはこの中宮様におつかえする人としてふさわしいようだ」と言う。

【奥の細道 現代語訳】月日は百代の過客にして

 月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬の轡(くつわ)を引いて老いを迎える者は、毎日旅をして旅を住処(すみか)としているようなものである。古人の中には、旅の途中で命を無くした人が多くいる。わたしもいくつになったころからか、ちぎれ雲が風に身をまかせ漂っているのを見ると、漂泊の思いを止めることができず、海ぎわの地をさすらい、去年の秋は、隅田川のほとりのあばら屋に帰ってクモの古巣を払い、しばらく落ち着いていたが、しだいに年も暮れて、春になり、霞がかる空をながめながら、ふと白河の関を越えてみようかなどと思うと、さっそく「そぞろ神」がのりうつって心を乱し、おまけに道祖神の手招きにあっては、取るものも手につかない有様である。そうしたわけで、ももひきの破れをつくろい、笠の緒を付けかえ、三里のつぼに灸をすえて旅支度をはじめると、さっそくながら、松島の名月がまず気にかかって、住まいの方は人に譲り、旅立つまで杉風の別宅に移ることにして、
草葺きのこの家も、節句の頃には、にぎやかに雛をかざる光景がこの家にも見られるのであろうよ。
と発句を詠んで、面八句を庵の柱にかけておいた。
 三月も末の二十七日、あけぼのの空がおぼろに霞み、月は有明けの月でうすく照らしているので富士山の嶺がかすかに見わたすことができる。上野や谷中の桜の梢はいつまた見られるかと心細い思いにかられる。私を思ってくれている弟子たちはみな昨夜から集まり、一緒に船に乗りこんでくれた。千住というところで船をあがれば、前途はるかな道のりの一歩を踏み出したことに胸がいっぱいになり、この世は夢、幻とは思いつつも、道に立つと切ない別れで涙がとめどなく流れた。
(冬の寒さは身にこたえ、春は格別である。)その春が行ってしまうのだから、鳥までもわびしさで泣いているように聞こえ、魚も目に涙を光らせているように思われるものだ。
これを、旅の句の初めとして足を踏み出すが、名残りが尽きず、なかなか先に進まない。人々は道に立ち並んで、姿が見えなくなるまで見送ってくれるのだろう。

【方丈記 現代語訳】ゆく河の流れは絶えずして

ゆく川の流れは絶えることがなく、しかもその水は前に見たもとの水ではない。淀みに浮かぶ泡は、一方で消えたかと思うと一方で浮かび出て、いつまでも同じ形でいる例はない。世の中に存在する人と、その住みかもまた同じだ。玉を敷きつめたような都の中で、棟を並べ、屋根の高さを競っている、身分の高い人や低い人の住まいは、時代を経てもなくならないもののようだが、これはほんとうかと調べてみると、昔からあったままの家はむしろ稀だ。あるものは去年焼けて今年作ったものだ。またあるものは大きな家が衰えて、小さな家となっている。住む人もこれと同じだ。場所も変らず住む人も多いけれど、昔会った人は、二・三十人の中にわずかに一人か二人だ。朝にどこかでだれかが死ぬかと思えば、夕方にはどこかでだれかが生まれるというこの世のすがたは、ちょうど水の泡とよく似ている。

私にはわからない、いったい生まれ、死ぬ人は、どこからこの世に来て、どこへ去っていくのか。またわからないのが、一時の仮の宿に過ぎない家を、だれのために苦労して造り、何のために目先を楽しませて飾るのか。その主人と住まいとが、無常の運命を争っているかのように滅びていくさまは、いわば朝顔の花と、その花につく露との関係と変わらない。あるときは露が落ちてしまっても花は咲き残る。残るといっても朝日のころには枯れてしまう。あるときは花が先にしぼんで露はなお消えないでいる。消えないといっても夕方を待つことはない。

【伊勢物語 現代語訳】芥川

昔、男がいたという。女で手に入れられそうになかった女を、何年もの間求婚し続けていたのを、やっとのことで盗み出して、とても暗い中を来たそうだ。芥川という川のほとりを連れていったところ、草の上におりていた露を、「あれは何かしら。」と男に尋ねたそうだ。行く先の道のりも多く、夜も更けてしまったので、鬼がいるところとも知らないで、雷までがとてもひどく鳴り、雨もたいそう降ったので、荒れたすき間だらけの蔵に、女を奥に押し入れて、男は、弓と胡を背負って戸口にいて、早く夜が明けてほしいと思い続けて座っていたときにに、鬼が早くも一口で食べてしまったそうだ。「ああれえ。」と言ったけれど、雷が鳴る騒ぎで、聞くことができなかった。ようやく夜が明けていくので、見ると連れてきた女がいない。足ずりをして泣いてもどうしようもない。

「あれは真珠ですかそれとも別の何かですか」とあの人が尋ねたときに、
「露だ」と答えて消えてしまえばよかったのに。

 

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