迷彩

原理主義者は迷彩をほどこす。

負けず嫌いであったり、完璧主義であったり、篤信の徒は何かと拘りが強いのだ。

でも、そういった人はわかりやすく「原理主義者」らしい装いをしていない。

そういう人はどこかトリッキーで奇天烈な格好を好むことが多いが、その装いから彼らの信仰はなかなかうかがえない。

「原理主義者」というのがわかりにくければ、ヲタクと言葉を置き換えてもらっても構わない。

信仰心に篤く、その心で世界を変え得るヲタクだ。

そういったヲタクたちは、その手で、その声で、その身体全体で何かを形づくり続けることで本当に世界のかたちを作り変えることがある。

それは大地を動かすとか、目に見えないものを呼び出すとか、そういうことではなくて、私たち人間が世界を見たり聴いたりする、その仕方を作り変えるということだ。

作り続けるヲタクを侮ってはいけない。

彼らのしていることは、まるでつるはしでコツコツと地面を掘削して、重要な水脈や鉱脈に辿り着くような作業で、

地味だし、

効率も悪いのだけれど、

たくさんのヲタクたちのうちの何人かは確実にその重要な何かを掘り当てる。

そういう仕事は数万人に数人くらいの人たちが成し遂げるのだけれど、

その仕事がそれなりに捗るためには数百人に数人単位の名もないヲタクたちが必要である。

ものを作り出す、出来の良いヲタクだけを予め選んで育てることはできない。

クリエイティブな仕事の出来を保障するには、それよりずっとたくさんの実にならない仕事を保障しなくてはならない。

イノベーションの出来というのは、そういう仕方でしかできないようになっている。

いずれにせよ、ヲタクたちが生息できないのは一様で画一的な在り方の世界である。

ヲタクというのは、固有の原理を重んじる生き物なので、その固有性を殺せば、ヲタクが生きていけなくなるのは当然だ。

わかりやすいマークや制服を身につけたり、統制されたポージングを集団で決めたりする全体主義的な仕方を好む「原理主義者」はかりそめだ。

彼らは世界を豊かにしない。

固有な仕方で生息するヲタクのうちの幾らかが、世界を豊かにするかたちを作り出す。

私は彼らの装いを「迷彩」と呼んだ。

迷彩だから、注意して目を凝らさないと、彼らの存在を見逃してしまうよ。

ちょっと変だなと思ったら、排除したり叩き潰したりせずに、注意して観察してみることである。

すぐに沸騰する人は困る。

一定の確率で大切なものを潰してしまうからである。

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