2013東京大学(前期)解説

東京大学 2013年度前期試験 解説

生徒のどんな質問にもこたえます。

どうすれば、「東大現代文」が読めるようになるの?東大の「古文・漢文」を読むコツってなに?

東大に合格する人は、どのように試験問題に取り組んだの?

東大受験生が持つ疑問・不安に、きちんと応答する、
そんな個別指導塾があるといいと思いませんか。

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第一問 湯浅博雄「ランボーの詩の翻訳について」

第二問 『吾妻鏡』

第三問 『三国史記』

東大 2013 現代文 湯浅博雄「ランボーの詩の翻訳について」

「いい人間」の作るラーメンは、「うまい」ラーメンですか?

「東京大学の入試問題の分析・傾向について、知りたいのに何をふざけたことを言っているんだ」という方、もう少しだけ本文にお付き合いください。東京大学の入試問題が受験生に何を求めているのか、ということについてラーメンを切り口にわかりやすく説明いたします。「東大なのにラーメンなんて、おもろいこと言うやんけ」という方、期待は裏切りません。どうぞ、このまま本文にお付き合いくださいね。

直木賞作家の石田衣良さんは、ラーメンについてこのように書いています。

「悪い人間がつくるラーメンはまずくて、いい人間が作ったラーメンはうまいのなら、世界はどれほどすっきりとわかりやすくなることだろう。作者の人間性と作品のあいだになんの相関関係もないのは、芸術もラーメンも同じだった。」(『電子の星 池袋ウエストゲートパーク4』より)

ここで言うように、作者の人間性と作品との間には何の関係もありません。これと同じことを、20世紀の初頭に、フェルディナン・ド・ソシュールという学者がスイスの大学で学生たちに説明しています。私たちは、ラーメンを味わうときに、メンもスープも具も、そのすべてを大切に味わいます。メンから食べるとか、まずはスープを一口飲むべきだとか、そんな能書きはどうでもいいのです。ラーメンのどこから食べようが、ラーメンを味わっていることに変わりはありません。ですが、メンを少し食べるだけとか、スープを一口飲めば全てがわかるとか、そんなことをしていたら、いつまでたってもラーメンのおいしさはわからないでしょう。きっとラーメンの神様も怒ってしまいます。

2013年度東京大学入学試験(前期日程)の国語「第一問」では、湯浅博雄の「ランボーの詩の翻訳について」(岩波書店『文学』2012. 7・8号所収)を引いています。そこでは、それぞれの文章には「特有な、独特なもの、密かなものが含まれて」いて、私たちはそのようなものを「絶えず気づかうべきであろう」と言うのです。

ほら、ラーメンとよく似ているじゃないかと思った貴方。貴方は東京大学の入試問題が受験生に求めているものが何か、よくわかっているのです。本文をどこから読むか、何から手を付けるか、なんての能書きはどうでもいいのです。しっかりと、本文と設問文をすべて読むこと、そして丁寧に読み解くことが大切です。ラーメンを最後の一滴まで味わうように…ですね。

まずは、本文を全て読みましょう。

2013年東大現代文(第一問)の本文は、「詩人―作家が言おうとすること、いやむしろ正確に言えば、その書かれた文学作品が言おう、言い表そうと志向することは、それを告げる言い方、表し方、志向する仕方と切り離してはありえない。」の一文ではじまります。著作権法上、本文全体を掲載することはできません(してはいけません)。みなさんには、適切な機会を得て本文を通して読んでいただきたいと思います。できることなら、指で本文をなぞりながら黙読したり、丁寧に音読したり、丁寧に読んでいただきたいのです。場合によっては、全文筆写するのもよいでしょう。私は、国語の授業に際して、指で本文をなぞりながら黙読したり、(お風呂場で)丁寧に音読したり、書斎で全文筆写をしたりして、予習をしています。そうしないと、ポンコツな私の身体には文章が完全には入ってこないからです。教えるからには、責任がありますから、よい演奏を提供する音楽家が練習を積むのと同じように、私は前もって本文を読む練習をしています。これから現代文の受験勉強に取り組む学生さんも、ぜひ文章を丁寧に読む習慣をつけてください。私の師匠によれば、「文章は身体を通して読むもの」である(または「文章が私を読む」)ので、「身体を媒介させて文章を読む」という訓練をされるとよいと思います。

「Man in the Mirror」の歌詞の内容を抜き出しても、あまり意味が無い。

マイケル・ジャクソンの名曲に「Man in the Mirror」(『BAD』1987収録)があります。ライブビデオ『Live In Bucharest: The Dangerous Tour』(2005、通称『ライブ・イン・ブカレスト』)や映画『Michael Jackson’s This Is It』(2009)、シルク・ド・ソレイユ公演『Michael Jackson: The Immortal World Tour』(2011)で最後に演奏される曲で、マイケル・ジャクソンにあまりなじみの無い世代の方にも、メディアを通してメロディー・ラインが知られていることがあるようです。実は、この曲の作詞はマイケル・ジャクソンではなく、サイーダ・ギャレットという女性歌手です。しかし、「Man in the Mirror」を聴く人は、この曲を「マイケルのメッセージ」として聴くでしょう。それは、歌詞が書かれた時点で作詞者の手元を離れ、マイケルたちによって歌われることで作品となるからです。「Man in the Mirror」の歌詞の内容を抜き出しても、あまり意味がありません。やっぱり、楽曲全体をきかなくちゃ。それはアルバム『BAD』のものでも、『ライブ・イン・ブカレスト』の名演でも、それぞれに味わいがありますから何かから始めればよいのです。このように、マイケルファンは言うでしょうね。

身体を媒介させて作品を味わう。≒ ライブでの一体感を身体で味わう。

『ライブ・イン・ブカレスト』では、ファンたちがマイケル・ジャクソンといっしょに歌詞を歌っているシーンが映ります。ブカレストはルーマニアの首都です。ライブにやってきた聴衆には、ルーマニアの若者が多かったはずです。ルーマニアは英語圏ではありません。しかし、彼らは楽しそうに「Black or White」(1991)を歌っています。このようなとき、若者は自身の頭脳で論理的な思考をしているとは感じていないだろう、と思われます。ライブに参加して身体が自然と動き出すというのは、頭脳を使った論理的行為であるようには私たちには実感できません。まるで頭のてっぺんが何かに接続されているような感じで、音楽やグルーヴが身体に降りてくるのです。

サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を翻訳した村上春樹

作家の村上春樹は、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』やフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、チャンドラーの『ロング・グッドバイ』など英語圏の名作を翻訳したことでも知られています。村上さんは、翻訳する際の自身の感覚を「他人の家の中にそっと忍び込むような」経験であると言っています(岩波書店『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』より)。同じく翻訳家としてレヴィナスの著作を翻訳した哲学者の内田樹は、同様の感覚を「他人の頭に自分の身体を接続する」感じであると述べています(ARTES『もういちど村上春樹にご用心』より)。2013年東大現代文(第一問)の本文は、このような翻訳における勘所のようなものを、言語学的な側面からよりそう形で、論じたものであると思われます。

「論文を味わう」ことのできる読解力が求められている。

はじめのラーメンの喩えにもどると、ラーメンを最後の一滴まで味わうように、「論文をすみからすみまで味わう」ことのできる読解力が、東京大学に入学する学生には求められています。これは、考えてみれば当然のことです。東京大学に入学した学生は、前期教養課程(駒場キャンパスでの1年生から2年生までの期間)で理科・文科ごとに設定された「必修」の授業を履修することになります。文科の学生が、主に1年生の間に履修する必修授業に「基礎演習」という授業があります。ここで学生は、「問題の立て方」「認識の方法」「論文の書き方」「発表の仕方」といった「基本的な知の技法」を少人数(クラスを半分に割ります。)のゼミナールで身に付けるよう求められます。大学受験の現代文の学習を通して、受験生が身に付けることができるのは、これら4つの能力のうち、「問題の立て方」「認識の方法」になるでしょう。例えば、20世紀に書かれた東京大学「基礎演習」のサブ・テキスト『知の論理』には、このように書かれています。

「言語が自分の思い通りになるものであり、個人的な実感や判断に全面的に依拠したものだという思い込みから脱して、(中略)主体の意思を超えて言語や関係の論理が主体を拘束しているという事態をわれわれはわれわれの自己理解や他者理解のなかに組み込まなければならないのです。」

社会人向けの「教養書(?)」の中には、言語を「思い通り」に操ることを目指そうという本が少なくありません。作家とは言葉を「思い通り」に操ることのできる人間である、と信じて疑わない方は多いかもしれません。むしろ、そうではないのです。私は作家ではありませんが、作家も「そうではない」と言うと思います。『知の論理』で言うところの、「主体の意思を超えて言語や関係の論理が主体を拘束している」ということを、早熟な書き手ならば10代で理解するでしょう。内田樹の言葉を借りれば、私たちは「言語の檻」に囚われているということをよく理解してはじめて、言語の檻から「自由」になることができるのです。それは、『パイレーツ・オブ・カリビアン デットマンズ・チェスト』で檻に囚われ食べられそうになったジャック・スパロウが鉄柵の隙間から脚を出して、逃げていく様子に似ています。

ジャック・スパロウのように、檻の中に入ったまま逃げていこうと思うと、自分の檻がどれくらいの大きさなのか、しっかりと把握しておかなければなりません。そうでないと、岩壁にぶつかったり、木に衝突したりして、ちゃんと前にすすんでいくことができませんからね。私たちも、私たちの発した言語(=檻)がどのような大きさで、どんな形をしたものなのか、その都度モニタリングしておかないと、思い込みで動いたりしてしまったら、あっという間に衝突してしまいます。

「古典」をよく読み、言語の型を身体化させること。

詩人は、詩を書くときに言葉を選んでいるのでしょうか。おそらく、実際は反対です。私たちはよく、結果と原因を取り違えます。村上春樹風に言えば、答えは「イエスでもあり、ノーでもある。ノーでもあり、イエスでもある」となるでしょう。詩人が言葉を選んでいるというよりも、言葉が詩人に降りてくるというような感じであろうと推察します。これは、言葉が詩人を選ぶと言っても、いいと思います。

詩人のそれとは異なるところもありますが、子どものころに、なんだかよくわからないけれども、連呼していた言葉というのは、これとにているところがあります。みなさんも、そのような経験をお持ちかと思いますが、あれは本当に「なんだかよくわからない」けれども口にしたくなるものなのです。このようなとき、言葉が子どもを選んで降りてきている、と言うことができるでしょう。子どもは、言葉に憑りつかれているのです。子どもといっしょに生活した経験のある方は、このようなときの子どもが、何かに憑りつかれたように言葉を発している、というのはよくお分かりになると思います。

成長し、さまざまな経験をしながら、子どもから大人になっていくときに、私たちは「古典」を通して、言語の定型を何度も身体にすりこむことになるでしょう。谷川さんの言葉を借りれば、村上春樹や三島由紀夫、太宰治、上田秋成、藤原定家といった作家の作品、すなわち「古典」に「揉まれながら」日々を暮らしているうちに、丁寧にそれを読んだり書いたりさえしていれば、日本語という言語の定型が身体に馴染むようになるでしょう。

 

東大 2013 古文 平仮名本『吾妻鏡』

『吾妻鏡』とは

鎌倉時代後期成立の歴史書。鎌倉幕府の遺跡を変体漢文で日記風に記述。源頼政の挙兵(1180年)から宗尊親王の帰京(1266年)までの87年間を記録しています。鎌倉時代前期研究の重要史料です。東京大学には、島津家から徳川家に献上された「島津本」と呼ばれる写本が、東京大学史料編纂所所蔵として存在し、島津家文書の一部として国宝に指定されています。

平仮名本『吾妻鏡』とは

1668年(寛文8年)に徳川家綱の命で刊行された平仮名版『吾妻鏡』のことか。寛文8年刊の平仮名版『吾妻鏡』は内閣文庫・陽明文庫・広島大学などが所蔵しています。

本文

静、まづ歌を吟じていはく、

吉野山みねのしら雪踏み分けて入りにし人の跡ぞこひしき

また別に曲を歌うて後、和歌を吟ず。その歌に、

しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな

かように歌ひしかば、社壇も鳴り動くばかりに上下いづれも興をもよほしけるところに、二位殿のたまふは、「今、八幡の宝前にて我が芸をいたすに、もつとも関東の万歳を祝ふべきに、人の聞きをもはばからず、反逆の義経を慕ひ、別の曲を歌ふ事、はなはだもつて奇怪なり」とて御気色かはらせ給あ、御台所はきこしめし、「あまりに御怒りをうつさせ給ふな。我が身において思ひあたる事あり。君すでに流人とならせ給ひて、伊豆の国におはしまししころ、われらと御ちぎりあさからずといへども、平家繁昌の折ふしなれば、父北条殿も、さすが時をおそれ給ひて、ひそかにこれをとどめ給ふ。しかれどもなほ君に心をかよはして、くらき夜すがら降る雨をだにいとはず、かかぐる裳裾も露ばかりの隙より、君のおはします御閨のうちにしのび入り候ひしが、その後君は石橋山の戦場におもむかせ給ふ時、ひとり伊豆の山にのこりゐて、御命いかがあらんことを思ひくらせば、日になに程か、夜にいく度か、たましひを消し候ひし。そのなげきにくらべ候へば、今の静が心もさぞあるらむと思はれ、いたはしく候ふ。かれもし多年九郎殿に相なれしよしみをわすれ候ふ程ならば、貞女のこころざしにてあるべからず。今の静が歌の体、外の露ばかりの思ひをよせて、内には霧ふかき憤りをふくむ。もつとも御あはれみありて、まげて御賞翫候へ」と、のたまへば、二位殿きこしめされ、ともに御涙をもよほしたる有様にて、御腹立をやめられける。しばらくして、簾中より卯の花がさねの御衣を静にこそは下されけれ。

2013年 東京大学 古文『吾妻鏡』より 現代語訳例

静御前が、まず歌をよみあげていうことには、

吉野山のみねに積もる白雪を踏み分けて出家してしまった人からは便りがないといいますが、私にとっても、そのように遠くへいってしまった人のことが恋しいものですよ。

また別に舞曲を歌った後に、和歌をよみあげる。その歌には、

いにしえの倭文の織物の麻糸をつむいで巻き取った苧環(糸玉)から糸を繰り出すように繰り返しながら、昔を今にする方法があればいいのにと言うように、義経様が「静や静」といってくださった昔を今にする方法があればいいのに。

このように歌ったので、鶴岡八幡宮の社殿も鳴動するほどに、身分の高い人も低い人も感興をもよおしていたところに、頼朝殿がおっしゃることには、「今は、八幡様の御前で自身の芸を披露するときに、そもそも東国の源氏一族の長い繁栄を祝うべきであるが、周囲の人が聞いていることも気にせず、反逆者の義経を恋い慕い、別の舞曲を歌い上げることは、非常におかしなことだ」とおっしゃって、気色ばみなさるので、政子様はこのことをお聞きになり、「あまりにお怒りの気持ちを表現なさいますな。私の立場でも思い当ることがある。頼朝殿が既に流罪の立場となりなさって、伊豆の国に流されていらっしゃったころ、私ども(北条家)とご縁が浅くないといっても、平家隆盛のころであるので、父君北条時政も、そうはいってもやはり時勢を恐れてなさって、うちうちに私が頼朝殿に会いにいくことをとどめなさった。そうであるけれども、やはり頼朝殿に愛情を通わせて暗い夜を通して降る雨をさえ気にすることなく、着物の裾を持ち上げて少しばかりの隙間から、頼朝殿のいらっしゃるご寝室に忍び入りましたが、その後に頼朝殿が石橋山の合戦地に向かいなさるとき、私はひとりで伊豆の山にじっと残って、頼朝殿の御命が無事であることを願い続けていたところ、日中に何度か、夜に何度か、意識を失いました。その悲嘆に比べますと、今の静の心情もそうであるのだろうと推察せずにはいられず、気の毒でございます。彼女も長年義経殿に親しくしていた縁を忘れます位ならば、貞淑な女性の志であるはずがない。今の静の舞曲の様子は、表に少しだけ愛情をみせて、内に深い霧のように濃い憤りを含んでいる。きっとお気の毒に思って、ぜひとも静を賞賛ください。」とおっしゃるので、頼朝殿はこれを聞きなさり、ともに涙をながされた様子で、お怒りをおさめなさる。少したって、御簾の中から卯の花の襲のお着物を与えなさったという。

東大古文に親しむために。

本文をタイピングしながら、思いました。非常におもしろいお話ですね。これから解釈例を作ってみようと思うのですが、作業が楽しみです。ちなみに、途中で「御台所」(北条政子)が述べる頼朝との逢瀬の場面では、『女たちの源平合戦!乱世に生き、激動に散った華の生涯』(NHKワールドプレミアム)という番組を想い出しました。女優の深田恭子さんがガイドとなって、源平の争乱期に生きた女性の人生を追いかける番組でしたが、北条政子が父時政の反対を押し切って頼朝のところに駆け落ちする場面は、非常に情熱的なものでした。今回の『吾妻鏡』でも、静御前の秘めた情熱(「外の露ばかりの思ひをよせて、内には霧ふかき憤りをふくむ」の箇所)と政子の力強い物語とが、対照的ながらも交差する場面が描かれています。読んでいて非常におもしろい、勉強の甲斐のある問題ではないでしょうか。(2013.2.25記)

東大 2013 漢文『三国史記』

『三国史記』とは

朝鮮現存最古の歴史書。高麗の仁宗の命令で金富軾らが撰集。1145年に完成しました。新羅・高句麗・百済、三国の歴史を紀伝体で記録しています。

書き下し文

温達は、高句麗平岡王の時の人なり。破衫弊履して、市井の間に往来す。時人之を目して愚温達と為す。平岡王の少女児好く啼く。王戯れて曰く、「汝常に啼きて我が耳に聒し、当に之を愚温達に帰がしむ。」王毎に之を言ふ。女年二八に及び、王高氏に下嫁せしめんと欲す。公主対へて曰く「大王常に汝必ず温達の婦と為れと語ぐ。今何故に前言を改むるか。匹夫猶ほ食言を欲せず、況や至尊をや。故に曰く『王者に戯言無し』と。今大王の命謬れり。妾敢て祇みて承けず」と。王怒りて曰く、「宜しく汝の適く所に従ふべし」と。是に於て公主宮を出で独り行きて、温達の家に至る。盲たる老母に見え、拝して其の子の在る所を問ふ。老母対へて曰く、「惟れ我が息飢うるに忍びず、楡皮を山林に取る取る。久しくして未だ還らず」と。公主出で行きて山下に至り、温達の楡皮を負ひて来るを見る。公主之と懐を言ふ。温達悖然として曰く、「此幼女子の宜しく行ふべき所に非ず、必ず人に非ざるなり」と。公主明朝更に入り、母子と備に之を言ふ。温達依違して未だ決せず。其の母曰く、「我が息至って陋しく、貴人の匹と為るに足らず。我が家至って窶しく、固より貴人の居に宜しからず」と。公主対へて曰く、「古人言ふ『一斗粟猶ほ舂くべく、一尺の布猶ほ縫ふべし』、則ち苟も同心たれば、何ぞ必ずしも富貴にして然る後に共にすべけんや」と。乃ち金釧を売りて、田宅牛馬器物を買得す。

2013年 東京大学 漢文『三国史記』より 現代語訳例

温達は、高句麗平原王の時代の人である。敗れた上着やぼろぼろの履物を身に付けて、市中を行ったり来たりしていた。当時の人々はこれを目撃して、愚かな温達と称した。平原王の小さな姫はよく泣いていた。王が冗談でいうことには、「お前はいつも泣いていて、私の耳にはとてもうるさい。きっとお前を愚かな温達に嫁がせてしまうだろう。」王は常にこのように言っていた。姫が一六歳になるに及んで、王は王高氏に姫を嫁がせたいと思った。姫君が応えて言うことには、「父王はいつもお前は必ず温達の婦人となれと言っていました。今、どうして前言をひるがえすのですか。平凡な人間でさえ言葉をあらためたいとおもいません。まして極めて高位の人間ならなおさらです。ですから昔から『王に戯れの言葉は無い』と言うのです。今、父王の命令には前言と食い違っています。私は敢えて謹みながら命令をお受けいたしません」と。王が怒っていうことには、「それではお前の気のおもむくままにするがよい」と。そこで姫君は宮殿を出て単独で進んでいき、温達の家にたどり着いた。目の見えない年老いた母に会い、礼を尽くしその息子のいる所をたずねた。年老いた母が応えて言うことには、「私の息子は飢えにたえかね、楡の樹皮を山林に取りに行きました。長い時間がかかっていて、まだ帰ってきません」と。姫君は温達の家を出て山のふもとにたどり着き、温達が楡の皮を背負ってやってくるのを見た。姫君は温達に胸中をうちあけた。温達が顔色を変えて言うことには「このようなことは若い女性が行うのにふさわしいことではない。お前はきっと人でないものにちがいない」と。温達はとうとう行ってしまって姫君のことを気にかけなかった。姫君は翌朝ふたたび温達親子のもとに向かい、親子と丁寧に自分の気持ちについて話した。温達はぐずぐずしてまだ決心しないようだった。その母が言うことには、「私の息子は非常に身分が低く、貴人のような立場になるには力不足です。私の家は非常に貧しく、そもそも貴人が住むべきところではありません」と。姫君が応えて言うことには、「昔の人は『わずかな粟もうすづくこととができるし、短い布もぬいあげることができる』と言いました、つまり、もし男女の気持ちが同じで通い合っているなら、どうして必ずしも豊かになってその後に結婚する必要があるでしょうか、いやないでしょう」と。そして、姫君は黄金の腕輪を売り払って、田や家や牛馬や家具を購入した。

東大漢文に親しみを持つために。

2013年の東大漢文は、朝鮮の史書『三国史記』から「温達(オンダル)」と「平岡(ピョンガン)姫」のお話が出題されました。実は、本文には続きがあります。温達と結婚した平岡姫は、温達に武芸と学問を修めるようすすめます。平岡姫に教えられながら、温達は一生懸命に文学や歴史を学び、武芸の鍛錬にも励みました。朝鮮半島では、3月3日に王や家臣たちが集まって狩りを行い、獲物を神に捧げる神事が行われていました。ある年の儀式で、他の家臣たちよりぬきんでて獲物をすばやく捕える男がいました。平岡王は、男を呼んで名を聞きます。その男こそが、姫の夫、温達だったのです。このことがきっかけで、温達は王と共に戦場におもむき、立派な成果をおさめるようになりました。王は温達の武功を認め、将軍の地位を与えて、姫との結婚を認めます。こうして、高句麗の将軍となった温達は平岡姫と幸せに暮らすのですが、高句麗の領土が新羅に奪われたときに…、というのがそのあらすじです(興味がある方は、続きを調べてみてくださいね)。このエピソードは韓国の方たちに有名だそうで、「ばかオンダルとピョンガン姫」と言えば「さえない男とつりあわないくらいの才女のカップル」を皮肉る言葉になるそうです。

本文に登場する学習すべき「漢文句法」

抑揚形 「匹夫猶不欲食言、況至尊乎。」(傍線部a)

→ 抑揚形の学習ができる学校教材 「先従隗始」(先ず隗より始めよ)

傾向と対策

第2問と同じく、女性(平岡姫)が活躍する文章です。平岡姫は、父王に対して前言を翻したことを責める場面と、温達の母親に対して貧乏は結婚の妨げにならないと主張する場面とで、古典を引用しています。後者については、『史記』からの引用であると注釈がついていますね。『史記』を読むことができる高句麗のお姫様ですから、かなり教養のある女性といっていいでしょう。東大受験では、女性が主体的に動くタイプの物語・文章は、ここ20年間出題されていません。その面では、受験生にとって、大学入試センター試験の過去問「列女伝」(1999年本試)が類題と言えるでしょう。とはいえ、平岡姫の言動は、父王に対して発言の一貫性を求めたり、結婚に際して財産の多少を問題としなかったりと、東大受験で典型といえる儒教型の道徳にのっとったものだと言えます。その意味では、主体が女性中心であるものの、これまでの東大漢文の基礎と一致した問題であると言えるでしょう。